「何があっても驚かない」

日本では、親は子がみるものという根強い観念がある。
ひとつの信念か、信仰にも似たものか、感謝の念か。自分との約束みたいなものかも知れない。
すばらしいことだが、いざとなったらプロを頼ってもよい。

入院担当をさせていただいたAさんは、すでに寝たきりの状態だった。口だけは威勢がよく、何をするにも「ヤメロー」「バカヤロー」「コノヤロー」と罵声が飛んでくる。器用に唾を飛ばして威嚇もしてくる。ずいぶんお行儀がよろしい。
「すみません、こんな父で、ほんとうにお世話になります」付き添いの娘さんが眉を八の字に寄せ、何度も頭を下げる。

寸前まで介護をされていたそうだが、娘さんとて別に所帯があり、仕事があり、畑まで引き継いでいたというから驚きだ。苦労のにおいを纏わない、さっぱりとした雰囲気の素敵な女性だった。他県に住むお兄さんも毎週末に帰省して、介護を助けていたと言うから頭が下がる。
いいお父さんだったに違いない。唾は飛ばしてくるけど。

「これからは、少し肩の荷を横に置いて休んでくださいね。そのために私たちがいますから」
そう声をかけると、「そうさせてもらっていいのかな」と、涙を流されていた。Aさんが食事を拒否するようになったことで、「もう限界」と、あきらめがついたそうだ。何とか食べさせなければと、毎日とても苦しかったと。
話し合いの結果、太い静脈にルートを留置し、点滴で栄養を確保する方法がとられた上で、お看取りの方向となった。

それから毎週末、ご兄妹はそろってお見舞いに見えた。Aさんは私のチームの担当ではなかったが、ご兄妹をお見掛けしたときは仕事の手をとめて立ち話をした。

数か月するとAさんは少しずつ浮腫みが出始め、酸素投与が始まった。皆さんがそうであるように、なだらかに終末期を進んでいた。
「もう近いというのは、わかるものなんですか?」状況を受け容れることができているからこその問いだった。
浮腫みもそのひとつで、心臓に元気がなくなってくると、本来なら心臓や肺まで回収されるべき体液が静脈路で停滞し、やがて血管外へ漏出する。腎臓への血液還流も減るため尿も出なくなってくる。簡便に伝えると、「日に日に、ということですね。でも、もう、何があっても驚きません」
娘さんがきっぱりと仰った。
「入院前に、すでにたくさんドラマがあったでしょうね」と返すと、お兄さんも頷き、「もうじゅうぶん、たくさん、ドラマチックに色々ありました」と笑顔で仰った。

医療者側とご家族が同じ方向を向き、患者さんをみまもることができたケースだったと思う。最初から最後までズレていることも、途中でズレてくることもあり、丁寧にかかわっていく必要があるだろう。
医療保険がひっ迫するご時世に、一日、一日と命を延ばすためのケアに疑問を持ったこともある。が、今は少し違う。
その時間を使って、ご家族に、心の整理や準備をしていただけたらと願う。


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