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連載小説マリアと呼ばれた子ども

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2020年7月の記事一覧

連載小説 マリアと呼ばれた子ども 第13回

連載小説 マリアと呼ばれた子ども 第13回

次の朝、日の出とともに目覚めたマリアはまた、ベッドルームまで来て、僕のことを散歩に誘った。マリアから「お父さん、早く、早く」と急かされた。僕は朝の身支度もそこそこに、二人で友人の別荘を後にして、昨朝の野原に向かった。
皐月の日の出は早い。辺り一面にまだ朝靄も出ている時刻だというのに、マリアは足取りも軽やかだ。すでにはっきり覚醒しているのだろうか。
昨朝と同じく、別荘の周りの小径を抜けて、鬱蒼と茂る

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連載小説 マリアと呼ばれた子ども 第12回

連載小説 マリアと呼ばれた子ども 第12回

今朝の鎌倉は五月晴れだ。梅雨の走りの小雨が続いた後だ。昨日までの曇天に、真っ青な空が広がり、庭木の緑の葉には陽光を受けた露がキラキラ光っている。五月晴れをカレンダー上で五月の晴れた日のことを指すと思っている人の多いことには、いつも驚かされる。五月晴れは旧暦五月、皐月の晴れの日のことを指す。
あの日も、こんな五月晴れだった。マリアを伴ってミッチーと一緒に、三人で伊豆高原にある友人の別荘に滞在したのは

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連載小説 マリアと呼ばれた子ども 第11回

連載小説 マリアと呼ばれた子ども 第11回

僕には三つ年上の従兄がいる。大手証券会社で長年勤務した後、独立して株取引のアドバイザーをして生計を立てている。
その従兄が久しぶりに僕のところに遊びに来たのは、マリアが5歳になった夏の盛りだった。鎌倉は海にも山にも面しているので、従兄は学生時代から証券会社に勤務していた頃は毎夏、よく遊びに来ていた。
「やあ、広ちゃん久しぶり。元気にしていたかな。といっても、毎週雑誌で連載小説が掲載されているところ

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連載小説 マリアと呼ばれた子ども 第10回

連載小説 マリアと呼ばれた子ども 第10回

その日、マリアはミッチーが運転する車で、葛城邸のピアノ教室に向かうところだった。ミッチーはマリアをピアノ教室に通わせるようになってからわざわざ新調した、ミニバン型のベンツを愛用している。ミッチーは車のキーを操作して、後部座席に座るマリアのためにロックを解除しスライドドアを開けようとした。その時、ガチャっと音を立てて車のロックが解除され、ウィンウィンウィンと音を立ててスライドドアが開いた。マリアが目

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連載小説 マリアと呼ばれた子ども 第9回

マリアが幼稚園や保育園、小学校に通っていないと知ると、心配してくれることが多い。僕が馴染みの大手出版社の週刊誌の編集長も、マリアのことをそれとなく心配してくれたのだろうか。男性のピアノ教師を紹介してくれた。30歳代後半の、葛城渉という、まるで俳優のような名前である。住まいは僕の洋館から車で10分くらいのところにあるという。東京藝術大学で器楽科を学び、自宅でピアノ教室を開いて生徒にピアノを教える傍ら

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連載小説 マリアと呼ばれた子ども 第8回

マリアは10歳になった。小学校に通っていたら四年生である。近所の子どもによると、マリアは天使みたいに優しいそうである。一緒にいると犬猫はもちろん、小鳥や時にはカラスまでマリアの側に寄って来るという。
たしかに、この前、ミッチーとマリアと一緒に公園に散歩に行った時も、散歩中の犬たちもたいてい、マリアのことを見つけると側に来たがった。中には、リードを引っ張って制するご主人様のことを振り切って、半ば強引

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連載小説 マリアと呼ばれた子ども 第7回

マリアが2歳の誕生日を過ぎた頃、僕の家に引き取った。ミッチーの妹である実の母親が突然病死したためである。
マリアは生まれつき少食だった。そのことでミッチーは妹からよく愚痴を聞かされていた。赤ちゃんの頃から母乳をあまり飲まなかった。助産師さんのおっしゃる通り、体格的に小柄だったせいで吸う力が弱かったのかも知れない。生まれて半年後には、体重が減ってしまう事態に陥った。補うために人口ミルクを足していたが

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連載小説 マリアと呼ばれた子ども 第6回

連載小説 マリアと呼ばれた子ども 第6回

ミッチーはマリアを伴って月に一度か二度、藤沢駅近くのデパートの食料品売り場で買い物に出かける。その日も季節の旬の果物や魚をあれこれ物色していた。雛祭りが近いことも手伝ってか、デパートの食料品売り場は人出が多く、ごった返していた。
ミッチーは夫から頼まれて買い付けた御使い物をショッピングカートに載せて引いていたので、注意深く人混みを掻き分けながら、マリアと一緒に通路を進んでいた。
立ち並ぶ洋菓子のガ

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連載小説 マリアと呼ばれた子ども 第5回

マリアが3歳の誕生日を迎えた頃だった。明るさを増す陽光と春の始めのほのかな陽気に誘われて、ミッチーはマリアと一緒に中庭で遊んでいた。ミッチーは、芝生の上に倒れて動けなくなっている小鳥を見つけた。かすかに開いたクチバシから舌が覗いていて、両目に薄い膜が掛かっていた。両手に掬い上げると、まだ温かく、かすかに息があり心臓も脈打っているようだ。
「可哀想に、怪我をしたのかしら。」ミッチーがそう言うと、

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連載小説 マリアと呼ばれた子ども 第4回

マリアは小さく生まれた。そのせいか、乳の飲みがあまり良くなく、半年を過ぎた頃には体重が少しばかり減ったことがあった。義妹は初めての子育てで悩みも多く、姉のミッチーに相談して来た。
ちょうど盛夏の折から、義妹の家族が住む都内のマンションのいっしtはクーラーが効いているとは言っても寝苦しい。ミッチーは都内のマンションに居るより鎌倉の我が家の方が赤ちゃんは寝やすいだろうと助言して、我が家に義妹母子を呼び

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連載小説 マリアと呼ばれた子ども 第3回

実は僕の家には、父親の代から通いで家事を手伝ってくれる、大島さんという高齢の女性がいる。まだ二十歳を過ぎたばかりのミッチーが嫁いだ頃は、毎日のように通ってもらっていた。大島さんはいつも白髪混じりの長い髪をお団子に丸め、どっしりした体格に、真夏の一月ほどを除いてほぼ一年中、地味な木綿かウールの着物に割烹着かエプロンを着込んでいる。朝から夕方まで一日中、クルクルとよく働く女性だ。一見無愛想で無口に見え

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連載小説 マリアと呼ばれた子ども 第2回

連載小説 マリアと呼ばれた子ども 第2回

僕は執筆に行き詰まると、妻とマリアを伴って、愛車のベンツを運転して鎌倉の海岸を走るのが好きだった。ベンツと言っても、叔父が愛用していた古い型のベンツを譲ってもらったのだ。でもこの古い型のベンツは、古都鎌倉の街並みには不思議としっくりくる。古い型だけに、時々調子が悪くなるのもご愛嬌だ。
マリアとは二歳の誕生日を迎えた頃からずっと一緒に暮らしている。それはマリアが二歳半を過ぎる頃だったか、その時も僕が

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連載小説 マリアと呼ばれた子ども 第1回

連載小説 マリアと呼ばれた子ども 第1回

いつの頃からか、マリアという名で呼ばれるようになっていた、その子を預かってから、もう10年が経つ。
マリアは普通なら小学校の6年生に当たる。小学校には通っていない。放課後、近所の子供たちが帰宅すると、どちらからともなく誘い合わせて一緒に遊んでいる。昨日の午後も、僕が玄関脇の書斎に籠って書き物をしていると、呼び鈴が鳴った。マリアだろうか、玄関の引き戸を元気良く開けると、女の子が二人ほど賑やかな笑い声

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