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連載小説 マリアと呼ばれた子ども 第2回

僕は執筆に行き詰まると、妻とマリアを伴って、愛車のベンツを運転して鎌倉の海岸を走るのが好きだった。ベンツと言っても、叔父が愛用していた古い型のベンツを譲ってもらったのだ。でもこの古い型のベンツは、古都鎌倉の街並みには不思議としっくりくる。古い型だけに、時々調子が悪くなるのもご愛嬌だ。
マリアとは二歳の誕生日を迎えた頃からずっと一緒に暮らしている。それはマリアが二歳半を過ぎる頃だったか、その時も僕が運転するベンツで、僕たちは鎌倉の海岸を走っていた。後部座席のチャイルドシートに括り付けられていたマリアが突然、こう言った。
「東名高速の上りは秦野中井インターから3キロ渋滞です。国道246号線は下長津田で渋滞です。」
その、まったく淀みなく流れて行くマリアの言葉を聞いて、僕たち夫婦は大笑いしてしまった。マリアは同じ年頃の子どもに比べるとはるかに小柄だ。この小さなマリアの口から淀みなく流れて来たのが、直前にFMラジオから流れた交通情報のアナウンスそっくりそのままだったからだ。
マリアは幼稚園の年中組の年頃になると、近所の子どもと一緒に幼稚園に通わせた。妻は張り切って弁当を作った。その弁当を通園バッグに入れて、マリアは紺色の制服を着て、お下げ髪に黄色い丸い帽子を被り、近所の子どもと手を繋いで通園していた。僕たち夫婦から見ても、マリアは毎日、楽しそうだった。
ところが、二月ほど経ったある日、幼稚園の園長から妻は呼び出された。マリアが集団生活に馴染めないという理由で、通園を断られたのだった。
妻は元、出版社で編集の仕事をしていた。編集者として僕の担当になった時、僕たちは知り合った。
短大の国文学科を出たばかりだった彼女は、担当する僕の家に初めて来た時、緊張した面持ちで自己紹介した。
「古谷先生、初めまして。今日から先生を担当させて頂く、大野美智子と申します。友人からミッチーと呼ばれております。ミッチーとお呼び頂けたら嬉しいです。新人ですので、いろいろ不行き届きなところがあるかもしれませんが、精一杯精進致しますので、どうぞよろしくお願い致します。」
挨拶は真面目を絵に描いたようだった。おかっぱ髪に丸い目をクリクリさせながら、小柄な体から溌剌としたエネルギーを発散させていた。僕は一目でミッチーを気に入ってしまった。
僕はどちらかといえば遅筆だ。それから編集者のミッチーは、連載小説の締め切りに間に合うかどうかという瀬戸際でも何度も、機転を効かせて救ってくれた。
いつの頃からか、僕の筆が進まない時は、ミッチーを伴って気分転換に愛車のベンツで鎌倉の海岸を走るのが一番の気晴らしになっていた。助手席に座ったミッチーから家族がどうしたこうしたという何でもないおしゃべりを聞いていると、僕の小説の悩みを忘れてしまった。ミッチーは家族仲が良かった。ミッチーには一回り年の離れた妹がいて、家族はその妹を可愛がっていた。
いつしかミッチーは僕の生活に無くてはならない存在になっていた。
ミッチーに初めて会った翌年には、年の離れたミッチーにプロポーズして、僕たちは夫婦になっていた。
仲の良い家族から突然、まだ年若いミッチーを奪ってしまったような罪悪感も手伝って、たびたび僕の家に家族を招待した。
「わー、素敵な洋館ですね。」ミッチーの母親と妹は初めて僕の家を訪ねた時、はしゃいだ声を上げていた。
僕の小説がぼちぼち売れるようになってからも、ミッチーのことは編集者として頼りにしていた。マリアが二歳になる頃、僕たちが引き取ってからもミッチーは子育てと家事の合間に時間を作っては、編集者として僕の小説を支えてくれていた。
マリアが幼稚園に通い始めてから、ミッチーは午前中から昼下がりまで数時間、まとまって編集の仕事ができると喜んでいた。
「幼稚園のせいでも、マリアのせいでもないけど、何だか残念だわ。保育園もあたってみようかしら。」
ミッチーは、家から少し離れた保育園に欠員が出たタイミングで申し込んだ。この保育園は給食が出るので、弁当を作る手間暇もかからない。もしかしたら、平日の日中かなりまとまった時間、編集の仕事ができるかも知れない。ミッチーは少し期待していた。
この保育園に通い始めてすぐ、園長からミッチーは呼び出された。やはりマリアが集団生活に馴染まないという理由だった。
それからマリアは、幼稚園や保育園に通わず、自宅で過ごすことになった。

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