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連載小説 マリアと呼ばれた子ども 第1回

いつの頃からか、マリアという名で呼ばれるようになっていた、その子を預かってから、もう10年が経つ。
マリアは普通なら小学校の6年生に当たる。小学校には通っていない。放課後、近所の子供たちが帰宅すると、どちらからともなく誘い合わせて一緒に遊んでいる。昨日の午後も、僕が玄関脇の書斎に籠って書き物をしていると、呼び鈴が鳴った。マリアだろうか、玄関の引き戸を元気良く開けると、女の子が二人ほど賑やかな笑い声を上げながらマリアを誘いに来た。
廊下を台所まで走るような足音がすると、マリアの声がした。
「お母さん、ミドリちゃん家で遊んで来るね。」
「わかりました、行ってらっしゃい。マリア、あまり遅くならないようにね。秋の日はつるべ落としだから。」妻の声だった。
「はい、はい。わかってるって。じゃあ、行って来ます。」弾むようなマリアの声が響いた。廊下を玄関まで走るような足音がして、玄関の引き戸がまた勢いよく音を立てて、今度は閉められた。
ミドリちゃんというのは近所の女の子だ。マリアと同い年で、二歳下に妹もいる。
さっきの声からするとたぶん、妹を連れてマリアを誘いに来たのだろう。
妻は台所でたぶん、夕食の用意をしているようだ。
妻とは結婚してもう20年になる。僕たち夫婦は子どもに恵まれなかった。子ども好きな妻は、僕にははっきり言わないが、きっと一人くらい欲しかっただろうと思う。二人で外出する時、赤ちゃんや幼な子を抱いた夫婦を見ると、妻の顔に寂しそうな羨ましそうな表情が浮かんでいるのを感じたことがあった。
僕らの時代はまだ、不妊治療というものは一般的ではなかった。子どもは授かりものだと思っていた。だから僕たち夫婦の子どものことも自然の成り行きに任せていた。
夫婦には子どもが授かるものという風潮があった時代だ。子どもがない、夫婦水入らずの生活を羨んでか、友人知人から子どものことを聞かれた。そのたび
「コウノトリのご機嫌に任せて。」いつの頃からか、僕たち夫婦の合言葉になっていた。
妻には一回り年の離れた妹がいた。その妹は結婚した年にすぐ、子どもが授かった。
女の子だった。妻の両親にとって初孫の誕生であり、妻にとっても可愛い姪っ子の誕生だった。妻の母親は体が弱く病気がちだった。そのため母親に代わって、妻は妹の妊娠中から出産、産後の世話まで引き受けた。
義妹は臨月になると我が家に里帰りして、近くにある産院で出産した。産後も二ヶ月ほど、赤ちゃんと一緒に我が家で過ごした。その間、我が家には赤ちゃんの泣き声が響き、洗濯物にはオムツが混じって、はためいていた。
その子が二歳になった時、義妹は急な病で亡くなった。病が発見されてから亡くなるまで、あっという間の出来事だった。義妹はまだ30歳になったばかりだった。その夫も同い年だった。義弟の両親はすでに他界していた。
妻は妹の死を悲しむ間も無く、僕たち夫婦は姪っ子を引き取って育てることにした。
養子縁組の手続きは難しいと聞いていたが、意外にもトントン拍子に進んだ。幸いにも僕の書いた小説が前年ベストセラーになったせいでその年、著名な週刊誌や月刊誌で連載を持つようになっていたからかも知れない。
マリアは少し変わったところのある女の子だった。

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