連載小説 マリアと呼ばれた子ども 第7回

マリアが2歳の誕生日を過ぎた頃、僕の家に引き取った。ミッチーの妹である実の母親が突然病死したためである。
マリアは生まれつき少食だった。そのことでミッチーは妹からよく愚痴を聞かされていた。赤ちゃんの頃から母乳をあまり飲まなかった。助産師さんのおっしゃる通り、体格的に小柄だったせいで吸う力が弱かったのかも知れない。生まれて半年後には、体重が減ってしまう事態に陥った。補うために人口ミルクを足していたが、吸い口が嫌いなのか、牛乳の味が嫌いなのか、マリアは受け付けなかった。
離乳食を開始する時期と重なったため、かかりつけの小児科医の勧めもあって、重湯からどんどん米食を進めることにした。これは功を奏して、マリアは順調に体重を増やしていった。一歳の誕生日を過ぎた頃には丸々と肥えて、小柄ながら赤ちゃんらしい円やかな体型になっていた。
ただし、肉や魚、卵、乳製品といった動物性の食品を好まないので、それがマリアを育てるときの大きな悩みになっていた。仕方なく、豆腐や豆乳といった大豆製品やいろんな種類の豆を毎回の食事に取り入れることにした。
僕の家に引き取ったときも、肉や魚、卵、乳製品をほとんど口にしないマリアのために、ミッチーは大豆や小豆、その他の豆を数種類、常に柔らかく煮込んでいた。大豆と大根、人参、昆布の角切りを薄味で炊いた五目豆は、一年を通して献立によく上るようになった。マリアが来てから金時豆や花豆、紫豆など、薄味で炊いた豆が代わる代わる常備菜として冷蔵庫に入っているようになった。
週に二、三度、通いでお手伝いに来てくれる、大島さんの仕込みである。
「昔はよくこんな風に豆を炊いては、弁当のお菜にもしていたのよね。」三人の息子さんを育てた、大島さんからよく聞かされた。
その大島さんからアドバイスされて、マリアのオヤツにも落花生や胡桃、胡麻などミネラル豊富な木の実や、栗など栄養豊富な食べ物が並んだ。僕たちもマリアとともに口にするようになった。
僕とミッチーは戦後の栄養教育で教えられたせいか、肉類はもちろん魚貝類や乳製品まで口にしない、マリアの食生活では栄養不足にならないか、気を揉んだものである。
マリアは4歳から5歳の間頃、僕とミッチーの食卓に上っている魚を見ながら、こう聞いてきた。
「お父さん、お母さん、お魚さんを食べて美味しいの。」と。
僕たちは返事に困ってしまった。ちょっと考えて、僕はこう言った。
「うん、大人は美味しく感じるのかも知れないね。」
マリアは僕の答えを聞いてしばらくの間、不思議そうな表情を浮かべていたが、どうやら納得したようだった。
そんな僕たちの懸念をよそに、マリアは小柄ながらすくすくと健やかに育っていった。
それはマリアが5歳の誕生日を迎えた頃だった。ミッチーがマリアを伴って大島さんと一緒に八百屋に買い出しに行った、帰り道に、出来事が起きた。
ミッチーも大島さんも、竹で編んだ買い物カゴを下げて、結構な量の野菜と果物を運んでいた。八百屋への買い出しの帰り道は、重たいカゴを下げてダラダラ続く坂道を上るので、かなりしんどい。いつも、行きとは違う近道を通ることにしている。そこはいわゆる農道であり、もしかしたらどこかのお宅が所有する私道なのかも知れない。
その日も三人でおしゃべりしながら、農道を歩いていた。
「あ、今、50メートルくらい飛ばなかった?」ミッチーが突然、叫んだ。
「ふ、ふ、ふ。やっぱり、飛んだのね。」大島さんがさも面白いというように、ニッコリ笑いながら呟いた。
「マリアね、帰りの道が短くなると良いなって思ったの。そしたら、急に時間が飛んだの」
ミッチーは大島さんと顔を見合わせて、目配せをした。
「マリア、ありがとうね。帰り道が少し短くなって、お母さん嬉しいわ。」ミッチーはマリアの頭を優しく撫でて、そう言った。

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