消えゆく欠片
祖母が亡くなった。
その日から今日で半年。
四十九日の法要を終えて、仏教的には祖母は極楽浄土へ往ったらしい。
四十九日の間するのは、人間なら誰もが犯している、
いわゆる原罪というものの清算。
聖人君子だった祖母を思えば、
それは半分言いがかりのようなものに見える。
むしろこの世から未練もなさげに発っていったことを思うと、
四十九日など経たずとももうあの世とやらにいそうなものだ。
実際のところ、祖母はどう思っていたんだろう。
死ぬことに対しての恐怖感はあった?
思い残しはあった?
その答えは考察こそされど、本人の口から聞くことはついぞ無かった。
ある休日。妹も私も各々の進路を決め春休みを満喫していた最中、
突如として家族一行は帰省した。
その理由は、祖母の納骨に向かうためである。
もはや懐かしささえ感じる。
突然、祖母の危篤状態の一報が入った、なんでもないある朝。
ずっと祖母の死に向き合った夜。
親戚を含んでも私が一番多くの最期の手紙を書き贈った。
深夜までよく作ったものだ。
あれから火葬も終えて、もう折り合いもついて。
私は半分、法事だとか関係なく普通に帰省する気分で望んでいた。
親戚一同も集まる予定と聞いて、
賑やかな雰囲気を感じ取った私はとても上気分で車に乗っていた。
祖母との別れを覚悟しながらの前回とは大違いなものである。
少食な私は団欒での食事に消極的であったが
それでも半年ぶりの親戚とのやり取りには心躍った。
変わり種な親戚が多いのだ。
帰省に来たのは16時。
それでも夜が更けるのは思った以上に早かった。
ついてから体感3時間ぐらいでもう床に着いた気分であった。
就寝の際にも前回の帰省を思い出さざるをえなかった。
どこか心虚しい感じを音楽で無理やり抑えていた。
そんな時とは打って変わって、ずいぶんと心穏やかに、私は眠りについた。
まどろみから引きずり出されるように布団が剥ぎ取られた。午前9時の朝。未だに雪が降り積もって溶けきらないほど寒いのに、
叩き起こすことに若干の不満を覚えつつも、私は皆の集う階へと降りた。
しかし叩き起こされたのも妥当。1時間もすれば納骨の定刻なのだから。
慣例になんて従わずともいい。
そんなラフな納骨にする雰囲気だった。
軽食をとったのちに身支度を済ませると、大伯父一行が玄関にいた。
彼らは遺影へ線香をあげると、
焼却予定の仏教具を持ち祖母の墓石へと歩み始めた。
道中は、全てが終わったんだという身軽さと、
法事へ取りかかるという荘厳さが入り交じった複雑な雰囲気だった。
年端のいかない妹のいる分、若干前者の方が勝ってただろう。
やはり進行は半分もわからないし、思った以上に長かった。
お墓参りと変わりなく考えてたが、
事は思ったより重大なんじゃないかという気がしてきた。
花を添え、線香をあげ、お骨を添えた。
頭部、胴体、下半身…
全ての骨が、変わりなくボロボロだった。
それらは祖母の死を知らしめるには充分すぎる材料だった。
全ての供えが済んで、眼前に無機質な石のみが残った。
桜のように散る別れ。
祖父は般若心経を詠んだ。
その心情を察するに余りあるほど微かに。
祖母と同じように気丈で軽快な祖父がこのようになるのは
棺に献花をした時以来である。
散っていった暖かさは冷たい墓石に変わり果て、
世間と同じように祖父もまた新生活をこんな区切りで迎えるらしい。
祖父は正しく悲しめただろうか。
正しく踏ん切りをつけることができたのか。
ただ少なくとも後悔をしてなければ、祖母にとっては僥倖なことであろう。
祖父にとっての新生活の土地は我々の家である。
半年もの間、祖父は祖母の死によって独りだったが
これ以上のストレス因子など祖父にとっては存在しえないだろう。
そこで我々は祖父を迎え入れる手はずを整えた。
今回はその準備のための帰省でもあった。
ゆったり準備を重ね、ゆったり納骨に臨んだから忘れていた。
祖父母の家は今回の帰省で最期になる。
家は他の誰かに引き渡され、私たちのものではなくなる。
途端にその実感が背後に迫ったときはひどく葛藤した。
私の入学式までのあと1日、滞在期間を伸ばしても構わないと伝えたが、
必要ないと父が断じた。
そういう彼にも葛藤がない訳じゃない。
むしろ生まれ育った家という意味では彼の方が思い入れが深いはずだ。
その彼がいいのなら私は何も言うまいと思った。
見納めの家をどう記憶に焼き付けるべきか、私はしばらく家内を徘徊した。
好きでよく籠っていた2階や屋上。
眠り、起きればそこに明かりがあって
祖母が料理や裁縫をしていた1階リビング。
極度に寒い反面、入ると実家のものより暖かい風呂。
成った柿をもいで食した庭。
面影だけで祖父母の家と判断できるこの風貌の家が離れていってしまう。
そしていつかは消えてしまうだろう。
途端、幼い頃にここを離れたくなくて
祖母へ手紙を贈ったあの日を思い出した。
離れゆく、愛着あるものにしがみつく子どものような気持ちが鮮明に蘇る。
これがどういう感情なのか、私は判別に困った。
それほど愛着のあった家への寂寥?
それともそこに祖母がいない事への悲しみ?
少しして、この家が私にとって、そして祖父にとって何なのかわかった。
この家は私にとって「祖母がいた証明」であり、
ここでひとり暮らす祖父にとっては「祖母のいない証明」である。
どちらも間違いない事実だ。
その祖父の為に祖母のいない事実を突きつけさせない選択をしたのは、
他でもない私たちだ。
しかし同時に、祖母の欠片も消えていった。
その事実に突然気づくと、背後に悲しみを突きつけられた感じがした。
それは私の内部をせりあがって吐露させるに充分な悲しみだった。
瞬間、瞳が濡れた。
数滴涙を溢すと同時にお手上げな気分を味わった。
諸行無常の流れには逆らえない。
永遠を創るなどできない。
絶対的なこの世界の理に、それを思い知らされた気がする。
それでも、この家に別れを告げる選択を私は間違ってると思わない。
あぁこれは、あの時と同じだ。
いつまでも祖母の姿形にすがりたい。
それでも踏ん切りを付けて
祖母を燃やさなきゃいけなかった私たちとそっくりだ。
未練たらしくなってしまう自分で断ち切らなければ
自分にとって正しく思い出と別れられない。
これが正しい思い出との別れ方なのかもしれない。
ふとリビングを支える柱を見つめると、
およそ10年も私の身長を記録していた跡が消えていた。
こうしてこの家から私たち家族の足跡は消え
祖母のいた跡さえも散っていった。
おばあちゃん。
もうおばあちゃんの欠片は家族の記憶とおじいちゃんだけになったよ。
祖父や私が死んだら、もう祖母の欠片は消えてしまうな。
日没の高速道路の上で、私は東京の街並みを眺めていた。
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