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#2 人間なんだもの、

いろいろ矛盾することがあったって仕方ないし、完璧に論理的な言動なんて、できないじゃないですか。
そういう不完全さというか人間臭さというか、人らしさが、他人や自分に感じられたりすると、個人的にはなんだか安心するというか、すごくプラスというわけではないのですが、そんな気持ちになります。

少し話がずれますが、noteって、今書いている私らてと、本名フルネームの社会的な私とを一致させて読んで下さっている人はおそらくいないだろうという安心感のもとで発信できるので、とても楽だし、なんでも自由に表現していいよと、社会的な私のイメージに沿わせなくていいよと、普段嫌われないように好かれるように頑張ってしまい自分を見失ってしまう私に、そう思わせてあげられるので、開放的な場所に感じられて本当に好きです。素の私でいられる、いつもみたいにピエロのお面被らなくていい、大道芸もしなくていい、格好悪くても、恥ずかしくても、どんな自分も否定しないで、一旦客観視する大切な休憩室として過ごさせてもらえばいい、そんなふうに思えて、肩の力を抜ききった状態で、浮かんだ言葉を次々書いていってもいいと思えるから、このnoteという居場所が増えて、私は常々感謝しています。

話がずれたので戻しますが、「私、人間っぽいな」と思ってあげることで私を救うことができることが度々あるので今日はそんな話をしたいなと思って筆をとりました。毎日やってるつぶやきの方に書こうとして書きかけたのですが、140字ではとてもじゃないけど足りなかったので、記事の方にせざるを得ませんでした、、

前回の記事#1 のようなことがあってから、数ヶ月経ったわけですが、なんやかんやで私はずっと彼に、というより、彼のことを好きでいられた時のあの夢見がちな過去の私に、ずっと執着、嫉妬していて、まだ全然離れられていないなという自覚があって、モヤモヤしてしまう日々です。
そんな自分に嫌気がさしながらも、病みフェーズから活動フェーズに移れてはいて、色んな新しい居場所を作るため、色んな“大好き”を持つために、あちこち出向くようになれてきましたが、それでも、どうしても、私はまだ、あの頃の私がどうも羨ましいみたいで、今でも何かと思い出してため息をついてしまうのですが、
でもふと、人間だからなあ、とか、目の前に物理的に存在しないものに対してこんなにも悩むなんて、めちゃくちゃ人間っぽいなあと思えた時、仕方ないよねと思えたり、失恋からなかなか立ち直れない自分を認めてあげているようで実際には認めてあげていられなかったのを、また少し救えるようになった気がしました。

以前、付き合いもしていないのにふわふわと期待していられて、彼を好きでいられて、ドキドキしていられたあの頃の私の様子とか、彼と過ごしていた時間の、あんな瞬間やこんな瞬間、彼の言ってくれた言葉、彼と見たあの景色、彼と歩いたあの道、それぞれ数秒ずつの思い出が、何コマも、ふとした時に思い出されてしまって、かっこよかったな、と、まるで指先に針がちょっとだけ刺さってしまった時みたいにチクリと心が痛んで、苦しくて、懐かしくも悲しく、寂しくなることもあれば、なんで彼のことそんなにも好きだったんだろうとか、後から色々知ったりしてそんな人だったのか残念だなもう好きになんて絶対ならないなとか、もう二度と会いたくもないし話したくもないし可能な限り関わりたくないなとか、そんなふうに、彼と離れることになった現実を無理矢理にでも肯定したくて、離れて良かったっていうことにしたくて、そうやって彼について極端に嫌だとすら思ってしまうこともあって、いずれにせよ、結局、(彼とは会社が一緒というのもありますが、)彼のこと即ち彼を好きでいられた頃の私のことを、考えない日が多分ほとんどないので、ものすごく彼に関心を持ってしまっているわけですが、強い未練があるわけですが、それでも、そうやって一つの過去の出来事に対して美しいだとか見てられないだとか、同じように関心を持ってしまってはいるものの日々矛盾した気持ちになったり波があったりするのも、視野が狭くなってしまっているのも、そもそもこうやって失恋を引きずりまくっているのも、うまくまとまらないまま今noteに書きなぐってしまっているのも、全部、とっても人間らしいじゃない、許してやりなよ私、と思ってあげることもできて、そうすれば私は私をあまり否定せずに済むし、楽になれると思うのです。

そういうこと以外でも、例えば仕事で失敗したとか、人前で恥ずかしい思いをしたとか、誰かの求める自分でいられなかったとか、自分の目指す自分になれていないとか、私は色々悩むんですが、でもたいていの場合それは、私の“傲慢さゆえ”であって、自分はそんなことしない(くらいにはよくできた人間だ)と思ってしまっているからであって、自分を過大評価しているからだと自覚しています。特に私はものすごくプライドが高いので、なかなか自分の間違いを認めたくなくて、格好悪い自分を見せたくなくて、自分に自信を持つために常に称賛されたくて、そうなってしまっているのですが、それは私の長年にわたる課題なのですが、もちろん、人様に迷惑をかけるのはだめですし、目標に向かって悔しい思いしながら努力して成長することもとっても大事なのは重々承知なのですが、しかし、時には自分の不完全さを認めて、だって人間だもんなあ、とか、私なんかめっちゃ人間っぽいじゃん、とか捉え直してみるだけで、ちょっと目線変わるなあと思うのです。出来事は変わらなくても、それをどう捉えるかで全く違うものにすることもできるなと思うのです。

私の隣にもう1人私がいたらどんな声をかけてやるだろうかとか、どんな風に労わってやるんだろうかとかを考えながら、自分を時には厳しく鍛えつつも、同じくらい大切にして愛してあげて、いつだって私が私の一番の味方でいてあげて、受容してあげる。
そんな感じで、これからは、一つや1人に依存してばかりにならないで、自分も含めたくさんの色んなものに少しずつ少しずつ甘えて、それらを愛でて、おおらかで余裕のあるいい大人になりたいなあ、と思うのです。

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