麗らかなる東京
どうやら世間は春のようだ。
と書いて早々、激しめの三寒四温が続いたりしたのだが、4月を前にして春を通り越して初夏のような陽気がやってきてしまったので、麗らかだった日のことを記しておこう。
少し前、毎日外があたたかそうだったので、
「いいなぁ公園とかでぼーっとしたいなぁ」
なんて思っていた。しかしながらとんでもない量の花粉が飛んでいそうなので、外に出たい欲より花粉に塗れたくない欲が勝ってしまい、すっかり外に出る気を失くしていた。
毎日家に引き篭もって、朝起き抜けにトイレにも入らずにいきなりPCを起動して仕事を始める。散歩にも行かず、ついついゴミ捨ても失念してしまう。化粧もろくにせず、パジャマのままPCに向かう。
今の仕事は、在宅勤務であっても画面オン状態のリモート1on1やら、リモート会議やらの機会がほぼ毎日あるので、入社当初はある程度化粧を施してから始業していた。
だが今になってみれば、家は家だ、と無理矢理理由をつけて化粧をしない。もしくは眉毛だけ描いて誤魔化す。平気で上司にその姿を晒している。(躊躇する気持ちが無いわけではない。)
そんな乱れた日を4日くらい続けた。
堕落生活5日目をいざ迎えんとする土曜の朝――と言っても午前10時を過ぎていた。電話が鳴り、目を覚ました。表示された番号を見て、仕事の客先からの電話だと瞬時に悟った。咳払いを一回して声を整えてから電話を取る。
予想は的中した。寝起きの不機嫌な声で出なくて良かった。
あのー、こちら休日なのですが‥‥と思いつつも、その電話で起こしてもらえて良かったと思った。さすがに5日目突入はマズイ。
起きて早々に頭をフル回転させたので、二度寝するのも何だか気が進まない。観に行こうかどうしようか迷っていたバレエの公演があったので、空席を確認して、えいや!とチケットを購入し、昼間の内に無理にでも外出することにした。
外に出てみると驚いた。想像以上のあたたかさだった。
何だこの春は。もはや暑いじゃないか!花粉が酷くないと良いなぁと思いつつ、電車に飛び乗った。
趣味のバレエ鑑賞の9割程度は、東京・初台の劇場に行く。今の家に越してきてからは専ら小田急線を駆使して初台に向かう。
新宿を経由する時もままあるが、最近は新宿まで行かずに参宮橋で下車して劇場まで歩くことが増えている。
小田急線が代々木上原を過ぎ、代々木八幡に停車する。ふとGoogleマップを開いてみると、現在地付近に代々木公園が広がっている。
あぁ、こうあたたかいと、散歩したい気持ちになる。この後の予定が特に決まっていなければ、代々木公園や新宿御苑に行ってしまいたい。とはいえ、予定が無ければ外にすら出たくない、元来の出不精なのだ。わざわざ神奈川の果てから代々木公園に行くためだけに外出することを、きっとこの先実行に移すことはないだろう。
花粉に塗れるのが嫌過ぎて、近所の散歩すら億劫になっていたが、いざ外に出て一度花粉に塗れれば、この機を逃すまいとあらゆる場所に行きたくなるものなのである。まったく、自分のいい加減さと気分屋度合にはまいったものだ。
参宮橋で降り改札を出る。晴天が広がりとても気持ちが良かった。
冬は厚着して肩が凝って疲れるから苦手だ。だけどここまであたたかくなってくれれば、日中は薄着で外に出られる。足取りはどんどん軽くなる。最高じゃないか。
開演時刻まで時間がないというのに、思わずおしゃれパン屋さんに吸い込まれて、パンを買ってしまった。
適度に賑わう駅前の道路。行き交う人々が、春の訪れに浮き足立っているように見えた。
カメラのシャッターを切りたくなった。
あぁ、わたし案外東京好きなのかもな。
シャッターを切りながら、ふと思った。
東京の東の方においては隅田川沿いが好きだし、西側も都内に住んでいた頃にはウロチョロしていたから愛着がある。
とにかく、行き場のない感情が過去の生息地のそこここにこびりついていることは確かだ。
ここ数ヶ月、都民ではないのに、用事をくっつけて月に1〜3回程度は都内をほっつき歩いている気がする。
無いものねだりな性分ゆえ、住んでいないから愛情が芽生えるのだろう。いや、愛というより恋だろうか?
それは果たして愛だとか恋だとか呼べるのかは甚だ謎であるが、まぁそれはいいじゃないの。
東京の嫌いなところは沢山ある。
満員電車。長時間通勤。狭小住宅。空が見えない。人間が多い。息が詰まる。そのくせ家賃はバカ高い。
実際、東京にもう一度住みたいとは思わない。多分今住んだら、きっと前に住んでいた時よりももっと窒息しそうになるだろう。毎日を営むには適さない。
だけど、今は良い距離感を保っていられる。
街の駅に降り立てば、春の麗らかさに誘われて、人が冬眠を止めて外に出始める、ちょっとした賑やかさや、鬱屈とした冬からの解放による明るい波動を感じられる。
似たような気候であっても、地方の波動と都内の波動は異なる。
その浮き足立った波動が時に鬱陶しくもあるけれど、今の距離から感じる都内のそれは私を明るい方へと連れて行ってくれた。
住んだことがあるからと言って、東京の全部を知ることなどできなかった。結局元が出不精で人付き合いも悪いので、都内に住んでいても、知らない駅にわざわざ降り立つこともなかった。
家の最寄りと会社の最寄り、よく行くターミナル駅とその周辺がせいぜいだ。
ただ、あまり馴染みのない小さな駅でワクワクを感じることができるのは、東京だからこそ味わえる醍醐味なのかもしれない。
ここにはどんなお店があって、どんな商店街があって、どんな公園があって、どんな歴史のある土地なのだろう。
そんなことを考えながら歩くのは、とても楽しい。
これからは何かのついででも良いから、ちょっと知らない駅で降りて、散歩でもしてみようかな。東京の知らない一面を覗いてみようかしら。せっかく短い春がやって来たのだし。