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新書はエンタメである―出版就活で全滅した経験を通して思ったこと

講談社現代新書の現編集長が書いた記事が話題です。

Twitterでこの記事の評判を見ると、概ね賛否の比率が5:5程度に見えます。
そして学者等いわゆる「知識人」「読書人」の方々は概ね批判的に論じているようです。

まず筆者のこの記事に対する立場を明確にしておくと、昨今の出版不況と学術的コンテンツが置かれた厳しい立場を踏まえて、「100ページぐらいまで減らして「イッキ読みできる教養新書」」を作っていくというチャレンジ精神自体は評価すべきだと思います。
一方で、思想や社会の問題は様々な要因が複雑に絡み合っている点に留意すべきであると思います。その点から考えるとこのような「早わかり」的なコンテンツばかりを発信し続けることは、様々な言論を流通させて文化の向上と社会の発展に貢献するという出版文化本来の役割にどの程度誠実であるのかは、考える余地があるのではないかと思います。

ただ、上述したような私の考えは、今日の出版社、特に大手総合出版社の状況を考えると、そもそも前提を見誤っている可能性があります。
と言うのも、私はかつて就活で大手出版社を何社も受けて落ちた経験があり、その経験を通して出版社という存在に対する見方が大きく変わったからです。
この記事は主に就活で出版社を目指す方、特に新書やノンフィクション、ビジネス書の編集に携わりたいと考えている方に向けて書きます。あくまでも個人の意見であることには十分留意してください。

総合出版社は「エンタメ」で活躍できる人材を求めている

私は主にアカデミック、ジャーナリズムのコンテンツ、特に新書の編集に携わりたいと考えて、出版社を志望していました。
私はアニメは少し見ますが基本的にマンガは読まず、小説もあまり読まず、ファッションには全く関心がないという、出版社を目指す人間には「実は」珍しいタイプの就活生でした。

もちろん総合出版社の稼ぎ頭と言えばマンガとアニメ、そしてその版権ビジネスだろうという理解は、私の中にも漠然とありました。
就活をはじめて間もない頃の私は、総合出版社は大きく分けてマンガ、アニメ、ファッションを扱う「エンタメ部門」と、アカデミック、ジャーナリズムを扱う「教養部門」に分かれているのだろうと理解していました。そして「エンタメ部門」の話は自分には特に関係がないものとして、一般的な企業研究をやるだけで済ませていました。

しかし、こうした出版社に対する私の理解は、インターンや大学の出版就活講座での経験を通して間違っているということがわかってきました。

ある大手総合出版社のインターンに行った時のこと。登壇した新書編集に携わる社員が某有名少年マンガ雑誌から異動してきたと自己紹介していました。
また、休憩中に新書編集の別の社員にESについて相談しました。「今まで自分が読んだマンガの中で好きなものを1冊挙げ、その理由を述べよ」というお題について、あまりマンガを読んだことがないので書けないのだが、自分が今まであまり興味を持ったことがないジャンルでこのような質問をされた時にどう対処していたか、というような質問をしたのですが、返ってきたのは「ごめん、そんなことで悩んだことなかった」というものでした。

このように、総合出版社で新書編集に携わる人は、大抵マンガも読んでいます。コンテンツに好き嫌いがあまりなく、少なくともマンガ等その会社の稼ぎ頭になっているようなコンテンツについては、何か語れるものを持っているのが、総合出版社の社員なのだとその時思いました。

また、やや当たり前のことではありますが、会社側も志望分野に拘わらず、マンガやファッション誌等その会社で稼ぎ頭となっているコンテンツの生産で使える人間を採用することを好むようです。
私はある大手総合出版社の1次面接で新書やノンフィクションの編集がしたいと言ったところ、何度かの質問の後に「女性ファッション誌に配属されたらどうしますか?そこでどのように活躍できますか?」と聞かれました。「御社の中で最もデータマーケティングが進んだ分野でありそうしたフィールドで働けることも大変楽しみにしております云々」とかなんとか言った記憶がありますが、とにかくその面接は落ちました(それだけが原因ではないと思いますが)。

このように、

  • 総合出版社で新書編集に携わる人間は、多くの場合「エンタメ」でも活躍できる人材であること。

  • 会社はどのような志望分野であれ、まず「エンタメ」で活躍できるかどうかを問うてくること。

以上の2点について、アカデミックやジャーナリズムを志す出版就活生は留意しておく必要があるように思います。

出版社はあくまで「エンタメ」企業である

大学の出版就活講座で出版物流会社に勤務するOBにESを添削して頂いた時のこと。
私はESに「近年、書籍においても極端で分かりやすいコンテンツばかりが流通し、競争で他人を出し抜く方法や安易な自己肯定を促す言説が氾濫することで社会全体に閉塞感が云々」というようなことを書いていたのですが、この箇所についてOBの先輩から「何で?いいじゃん売れんだから」と言われました。
咄嗟に反感を覚えましたが、続く言葉には反感を覚えつつも納得しました。

「出版ってのはエンタメなんだからそういうコンテンツでいいんだよ。仕事で疲れて帰ってきて、なんかうまくいかないなーって落ち込んでいる人に元気を与えてくれるのがこういうコンテンツが存在する意味でしょ?そういう読者のニーズに応えるのは出版の大事な役割だよ。」(大意)

この言葉を聞いた時、私はそれまでの自分の出版社に対する見方が間違っていたのではないかと思いました。即ち総合出版社は「エンタメ部門」と「教養部門」に分かれているのではなく、全ての事業の基層に「エンタメ」があり、新書やビジネス書等の教養コンテンツも「エンタメ」として捉えられているのではないかと思ったのです。

文春編集長は「ジャーナリズム」が嫌い?

現「文藝春秋」編集長の新谷学氏は、「週刊文春」の編集長時代に数多くのスクープを連発した「文春砲」の立役者として知られています。
週刊文春のスクープによって大臣が辞任したり官僚の不祥事が明らかになったりしたことから、「文春ジャーナリズム」として文春が賞賛されることもありますが、新谷氏にはジャーナリズムを担っている自覚はあまりなかったようです。

上記の記事中では「好奇心」や「おもしろい」等という言葉が散見されます。つまり文春にとって、政治家の汚職と芸能人の不倫は「おもしろい」「好奇心を刺激する」という点で等価であるということなのだろうと思います。

「雑誌メディアの役割は、何よりも読者に、おもしろがっていただくことが基本だと思っているので。」や「企画をスタートさせるときも、正しいことよりも、おもしろいと感じるものに素直に従いたいんです。」という記事中の言葉は、総合出版社の事業の本質に繋がっているように思います。
正義や民主主義といった問題を考えて、今世界に必要なコンテンツを発信していく、というのはここでは出版社の役割とは見なされていないようです。

教養は「エンタメ」のコンテンツの一つになっている

今振り返ると、自分が就活で出版社に全滅したのは当然だったと思います。
漠然と新書の編集者になって、学者と今の世界の諸問題について話し合いながら一つの書籍を作っていくということに憧れを抱き、学知の力で社会を変えていきたいというようなやや尊大な志望動機を語っていました。
「わかりやすさ」や「おもしろさ」ばかりを過剰に追及すると物事の本質が見えなくなる。極端で分かりやすい言葉がネットを介して世界中に氾濫するようになってしまった。そしてブレグジットやトランプ大統領が生まれた。こうした時代に今一度学知を復権し、教養の持つ意義を社会に広く訴えていこう…みたいな。書いているだけで恥ずかしくなりますが…

しかし、これまで述べてきたように私は大きな勘違いをしていました。
まず出版社はエンタメ企業であり、「基本的に何でもおもしろがる」「自分の好きなもの・ことがしっかり定まっている」ような人間がいくところである、ということです。
そしてそういう人は世の中を面白いかそうでないかで区分する視座が発達しており、安全保障や資本主義のような話には興味を持つが芸能人の不倫の話題には眉をひそめるような人間には向いていないのだろうと思います。どちらも等価におもしろがれる人間がエンタメ業界人であり、そうした人材を総合出版社の新書やビジネス書の編集部も求めているのだと思います。

大学の出版就活講座に、有名な論壇誌も出している某総合出版社の役員を務めておられるOBが講師でいらっしゃったことがあったのですが、その人が「身体の頭から下の部分の感覚を大事にしろ」ということを仰ったのが衝撃的でした。質の高さに定評のある論壇誌や新書を出版する会社の役員ですら、そうしたある種の「エンタメ」感覚を就活生に求めているのだなと思いました。

そして出版社自身、おそらくそうした自己の在り方を基本的には肯定しているのだろうという点も重要です。
講談社の社是は「おもしろくて、ためになる」です。
「おもしろい」ということがまず最初に来るというところに、「おもしろさ」を追求することへのある種のプライドが感じられます。

しかし、冒頭の記事に戻ると岩波、中公と並んで「新書御三家」の一角と見なされている講談社現代新書までが世の風潮に流されてしまうのは、個人的にやはり哀しいことだなと感じています。

学術的な本は、何もその学問分野に関心のある人間が勉強のために読むだけのものではないと思います。
私の大学時代の専門は国際法ですが(非法学部)、哲学や社会学等の専門家の本から対人関係や就活等の自分を取り巻く状況に対する自分の意見を言語化する道具立てを得てきたと思っています。多読を誇れるほど読んではいませんが、それでも読んだことで少しは自分の人生は変わったと思っています。
人はライフステージの中で様々な悩みを抱えるものです。そしてそうした悩みに対応するような知見は世の中には必ずあり、そうした知見からは「答え」は出せないまでも「ヒント」、最低でも「交通整理」くらいは提供できると思います。学知等の教養の知識を必要としている人は常に存在するはずです。

とにかく短く、分かりやすくということばかりを追い求めてまで「手に取ってもらう」ことを考えるよりも、いかに「必要な人に届ける」ことができるかを考えることの方が、新書や学術出版の未来を明るくすることに資するのではないか。少しだけですが新書を読んではいる者としては、そんな感想を持ちました。


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