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『肉を食べないという選択肢』 ぱぁ〜と1

これまでの人生、牛肉、豚肉、鶏肉...いわゆる肉を食べることは普通、当たり前のことだと思っていました。むしろ肉を食べることは賛美や美化されるべきことだと。それらは栄養源になり、血や身を作るものだと思っていました。でも「肉を食べない生活」が普通になり、何ら不自由でもなく、その中でみつけたそのことって自分の身体に起きたメリットといえる変化、逆にそれまで知らなかった発見や工夫などが楽しく『肉を食べないという選択肢』ってありなんじゃない?!に至ってしまったのです。

なぜそんなことを想いはじめたのか?! なぜそれを知って欲しいと想うようになったのか?! それをここに書き記しながら振り返り、自分でももっと深く探り考え学び、友人知人のアスリートやモデルさん達にも知ってもらいたく、もしそれがメリットと想えたならば、トレーニングとともにきっと変わる自身の変化が楽しめる試みを選択肢に加えていただきたいと思いたってしまって書きはじめたのです。しかも犬や猫、いろいろな動物達と家族として暮らす方々には特に知って考えて欲しいと。

私自身は菜食主義やベジタリアン、ましてやヴィーガンでもなんでもありません。これまでの人生50余年も特に健康にも気を遣って来た訳でもなく過ごしてきました。ただそれでも食感として白米ではなく他に選択肢があれば玄米や雑穀米を好んで食し、牛乳よりは豆乳な生活。それが今では毎日好んでほぼ玄米、そして「肉抜き」という生活を3ヶ月、それがあたりまえになった中で起きた不思議な事柄をお話をさせていただきたいと思います。

それはこの人類の歴史のなかの一瞬の瞬きにも充たない私が生きたその時代に起きた人類史には残る記念すべきCOVID-19コロナ禍とともに始まりました。

個人的にはそれに感染していつ死んでも構わないと想いながら、いやむしろ早くそれが起こることを願いながらの日々を過ごしていました。しかしコロナ禍が盛り上がりを始めたそこから生活を共にしはじめたひと、今では私の伴侶となったその人物により影響は始まりました。

その伴侶は幼き時を海外で過ごし、動物を愛するが故に動物肉を食べずに育って来たそうです。日本に帰国(?)し、帰国子女として暴君になったのちの私の伴侶は誰でも知っている高校を卒業し、誰もが知る都内有名大学を主席で卒業しております。そこで学んで得た添加物などの化学、ケミカルにも強いという才女、暴れん坊であったが故なのか各方面の裏社会にも明るく論破はお手の物という到底普通の女性ではなかなか経験しないであろうことをしてきたというところが最大の武器であります。食に関してもヴィーガンも経験してきており、動物愛護運動の中でデモ行進や集会、動物実験をおこなっている企業への運動はしてきたらしいのですがフランスで肉屋さんを襲撃したりはしてこなかったそうです(苦)。

ちなみに「肉を食べること」を考えると必ず出てくるその真反対側に位置する『ヴィーガン』とは、動物愛護で暴れる過激なグループや鯨やイルカなどの話に出てくる団体とは違い、普通に食事に関してのことで、動物や魚を食べないで植物性由来食品のみを食べる人をい言うということは知っていました(汗)。ヴィーガンの植物性由来のものに乳製品を食べると『ラクト・ベジタリアン』、乳製品と卵が加わると『ラクト・オボ・ベジタリアン』、魚まで加えたら『ペスコ・ベジタリアン』と細かく別れるのだそうです。

でもそもそもベジタリアンというのはvegetable(ベジタブル・野菜)のベジではなくラテン語のvegetus(ベジェトゥス、ベジタス)を語源として生まれた言葉なのだそうで「活気のある」とか「健全な」という意味。そんなことすらそれまで知らなかった私だったのです。この『ベジ』という単語ひとつでまったくイメージが変わってしまうと思いませんか?!(汗)

しかし本来のベジタリアンという単語の意味を知った今でもそんな私のスタンスは「肉、食べたかったら食べればいいじゃぁ〜ん」と思っています。食べたいものを食べればいいと思いますし、それによってストレスになる方が不健康(爆)。ただ改めて思い返してみるに、肉を好んで食べていた「食べたい理由」を思い返して考えた時に、焼肉にしろ何にしろその「美味しい」という感覚や思い出は「タレ」や「料理方法による食感や味付け」でしかなかった気がしてなりません。ステーキは甘口のタレに黒胡椒をかけ、牛丼は汁だく、ネギが美味しかったからネギだくも通常メニューに入ったほど。。。ね?!

話を戻すと、そんな愛しい伴侶とその生活をはじめたときから玄米を主食として肉のない生活は始まりました。しかも肉を食べない生活ということ以上にもっともっと私の生きることに関して重大な大きなことが私の身には降りかかって、生活の中から姿を消してなくなりました。それは『たばこ』と『コーラ』、『カップラーメン』やら『コンビニのあんぱん』などのケミカルな食品さえも止められたということでした。

それまで「たばことコーラとコーヒーで生きています!」と公言するほどの生活。食事はコンビニあんぱんだし、空腹を柔げ満腹にならないちょうどいい中継ぎでした。たばこはそれまでに5年間だけ止めていた時期はあるものの、20歳からこれまでの人生の御供、喫煙所での話は無礼講であり情報源でした。「JTさんがバレーボールをやっている限りは禁煙しません」とJTの偉いさんに言い放ったことが今となっては嘘になってしまいました(汗)。コーラに関しては中学生まで禁止されていた反動からもあり、高校から今の今まで第一選択は水よりもコーラ、何はなくてもコーラ、血液はコーラ?!でした。風邪薬から始まった歴史の認識の元、風邪予防にもコーラ、そんな生活ではありました。でもそうは言っても『たばこ』以外は正直いうとバレやしない。禁止好物(薬物ではないけど、中身は薬物w)は気楽な気持ちで始まりはしました。でも陰でコソコソという性格でもなく素直にしかもたばこを含め急に止めたままでいられております。意外にも順応性のある私(爆)。そしてそこに肉も入っていた訳だったのです。

ただ特に『肉』に関しては、食事100%を外食という生活の中で料理に含まれているものくらい。意識しての「肉」は月一のご褒美としてのステーキくらいな感じでした。1人での食事での「ザ・肉」は牛丼以外では馴染みも少なく「肉食べたい」は月一の波のように突然来るくらいでしたので、肉無し生活のそれもあまり苦にならずでした。

そんな肉を食べない生活も定着したある日、ふと立ち寄ったお蕎麦屋さんで注文したそのお蕎麦屋イチオシに入っていた豚肉、食肉とは久しぶりの再会でした(笑)。肉を食べないということより、出されたものを残すということを嫌う私。もちろん残さずいただいたのですが、改めてそれは味ではなく食感でした。そしてそれは牛でも鳥でもないまぎれもない豚肉でした。しかしそれから約1時間後に事件は起こりました。

腹痛ではなく単に便意を催しトイレに。驚いたことに伴侶に言われていた通りにその催した便意はまさに『下痢』でした。それは驚きよりも可笑しくて可笑しくて。本来ならば腹痛を伴うらしくそれを伴侶に伝えると「でしょぉ〜♡」と誰もが一度は通る地点に来たのでしょうか?!(笑)。それは「玄米を食べていて肉を抜いているなかでの肉を食すと下痢をする」のは当たり前なのだそうで、肉を食べなくなってから初めて知った『肉を食べるということ』でした。

なんでもファスティング、断食後の肉を含んだ食事の扱いは難しいらしく、断食後にいきなり肉は死を呼び込んでしまうのだそうです(いきなり!ステーキはヤバイということかっw)。私の場合は体内からの排出活動を起こさせてしまう数切れの茹で上げられた肉でした。この経験を踏まえて改めて肉を食するということはどういうことなのかを意識してしまうとテレビで流れているCMさえも引っかかって考えてしまうようになりました。「今日は肉を切ったから菌が残っているし・・・」某食器洗剤のまな板に残った肉由来の菌。そういえば焼肉の時に皿から網に肉を運ぶ箸やトングを使わずに直箸でやるとお腹を壊す・・・。それも菌。ウィルスによって日常に制約をかけられているこの時期のこの身に今度は菌についての思考、考えが及びます。そういえば中国の次なるものは細菌兵器としてまた肉から出るであろうという話もあるくらいで・・・。

でも怖いではなく面白い。

それまで普通に口に運んでいた肉、それを食べなくなっただけでここまでいろいろと考えることができています。なんとも面白い。でもなんでそもそも肉食べていたのだろう?!ということが頭をもたげます。肉を食べないということとはどういうことなのだろうと思考が進みます。

「老化を予防すること、美貌を保つためには胃腸をなるべく使わないようにする」というのは美容業界ではあたりまえのこと。しかし牛豚鶏を分けるでもなく肉は胃腸に大きな負担をかけます。これまでも仕事としてボディビルダーの方々をはじめアスリートの方々、モデルの方々の撮影をさせていただいてきましたが、そこで学んだ肉食が体を作るではないということ。それを作り出すのは「プロテイン=タンパク質=大豆」であると承知はしておりました。時にシーズン中のビルダーさんの食事はプロテインと鶏肉のささみ。チャンプ雅さんはノンオイルのツナ缶。世界で最も有名なビルダーでもあるアーノルド・シュワルツェネッガーさんもヴィーガンなのでした!

「今、毎年700万人の人間が亡くなっている。これは警告であって政府は人々を守る責任がある。温室効果ガスの28%は肉食、牛を育てることで発生している。もっと上手いやり方があるんだ」とシュワちゃんも私の伴侶が言っていることと同じことを言っています(苦)。意識し始めるとあの人もこの人もヴィーガン、ベジタリアンという話はいろいろなところから聞きますが、特に面白かったのはポールマッカトニーさんはチーズ好きの「チーズだけ特別」で、過激ヴィーガンにそれを叩かれたという話。そんな私はビートルズ育ちのポールマッカトニーが成田で入国できずに警視庁取り調べ室直行を知る世代、その後来日出来たのは後にも先にも彼1人だけではないでしょうか(笑)。しかも彼の娘ステラは彼女のブランドを世界展開していると伴侶の動物愛護の観点から教えられるというこれまた肉抜きからの知識(笑)

そんなこんなの知識以上に面白いものが実際に肉を食べないで私が経験していること。下痢もそうですが、驚くことにおならも臭く無くなっています。おならはそのひとの『食』がダイレクトに現れてくるもの。しかし今では私のおならは匂いがない(笑)。これが驚くほどに本当に起きているのです。

便通も劇的に変化しており、トイレには毎度絵に書いたような量と質ともに理想的な便(笑)。これは肉抜きというより玄米であるらしいのですがいちよご報告(苦)。あとは顔の肌のシワが無くなったことが大きいです。目の下にはまるでホウレイセンがもう1セットずつのような感じでシワがあったのですが、それが無くなりました。これは喫煙をやめたことも大きいとはおもいますが、いちよ(笑)

そんなコロナ禍のおり、米国では黒人を白人警察が締め殺したことに端を発して人種問題運動が世界各国で激しくなりました。そこで思ったことは犬や猫、愛玩動物やペットといわれている動物達と、牛や豚、鶏などの「肉」として育てられてきた動物達との違い。昔のMドナルドでバイトが見てしまったという猫肉都市伝説、裏に行くと猫の皮が(๑ʘ∆ʘ๑)はさておき中国や韓国では犬も「食用」はリアル。可哀想とかいいながらも目の前に食事として姿をみせると「美味しそう」。ね?!複雑な思考に陥りざるを得ないでしょ?! うちの犬は可愛いけど、他人の家の犬は美味しそう。。。そんな中華風に考えられれば簡単に解決してしまうとは想うのですが(苦)。そういえば猿の頭の蓋を開けて脳をスプーンでって、それが昔の高級中華料理。「猿は猿を殺さない」は「猿の惑星」旧作新作を通して守られているシリーズ共通の柱。でも思い切り脱線してしまいますが、昔から「最後は愛し愛されした人に食べられて、その人のDNAの中に組み込まれたい」と願ってきた私にとって、肉(私も肉w)は体内には吸収されない、成長には役に立てないという事実はかなりのつまらない、大いにショックでした。管理栄養士の知識や見識ではこの肉を食べるという意味合いを理解するのは無理でした(苦)。

話を軌道修正し、そもそも愛玩動物、ペットって、おもちゃなのでしょうか?! 大多数の方々は各自の家の動物達は全否定して「家族」というくくりにすると思います。でも実際には外来種のミドリ亀が大きくなってしまったからといって近所の川や池に放流?という名目で捨ててしまい、生態系が壊されているという現実。しかし販売禁止にはならないこのお国(苦)。飼えなくなったから、食費が掛かるからと捨てられたモノ達はどこかで過酷に生き抜きながらもそれっておかしな話。むしろ捕獲され、個体種類が多ければガス室で死が待っているというなの夢のない現実。珍獣ならば保護という名目で捕まえられて狭い見世物小屋の動物園?!。これってどう思います?!いっそのこと全部殺して食べちゃます?!食糧危機で昆虫を食べる前に愛玩動物も食べちゃいましょうか?!肉屋さんに並べちゃいますか?? 狭い小屋で子供を産まされるだけ産まされていた犬の犬権、子供達の売買にはようやく規制が入ったようで、少しずつは良い方向、前には進んではいるのでしょうけれども、黒人差別がごとくに牛や豚が家畜反対運動してくれる時代はいつ訪れるのでしょうか!?

それぞほんとうに牛や豚、鶏、馬、うさぎなどと殺されてしまう動物による国際的な牛歩戦術で道路を占拠しながら家畜反対運動での行進をおこない、ひと社会の日常崩壊へ結び付けられないかとまた新たなる願いにも満ちたそんなことを考えるきっかけになったのも「肉を食べないという選択肢」をしたからに他なりません。

でもきっと動物が意思を持って抗議活動、デモをしているところを一斉掃射か何かで皆殺しにされて食材になってしまうのも現在の社会ではありえるのだろうなぁ〜(苦)。

「肉を食べない」で考えると、自分の身体へのことと動物愛護?!の2種類が同時に進行して主題がブレてしまうということが「ぱーと1」を書き終えてみてわかりました。次回「ぱーと2」以降はそこを整理してみたいと思います。

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