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高いレベルでの好みとは?

松本人志氏は次のように述べている。

「でも笑いって、結局好みだからねぇ」

などとおっしゃる方が時折いらっしゃる。

きっとそれは間違いない。


だが、本当に「好み」という言葉だけで片付けて良いのか?と感じることがたまぁにあったりする。


料理で考えてみてほしい。


コンビニに置いてあるカップラーメンと、

一流の職人が心を込めてこしらえたラーメン


中にはカップラーメンの方が好きという方もいらっしゃるかもしれない。

だが、どちらの方が料理として質が高いか、と言われたら

間違いなく後者だ。



同様に、お笑いにもレベル、つまりはクオリティの高低は存在すると思う。

料理と比べて一つ一つの「笑い」に対する質は測りづらいため、一体何が高いレベルのものでそうでないかを比べるのは極めて難しいが、


「ふとんがふっとんだ!」というダジャレと、

M-1グランプリ決勝で披露される漫才


やや極端な例にはなってしまったが、

どっちの方がよりクオリティが高いかは明確だろう。


人に作られているものである限りは、少なからず「質」という概念は存在するように思う。


そして、「笑い」のプロの人たちのほとんどが高いレベルに位置しているのは間違いない。


しろうとがなにをえらそーにね。


ウエストランド井口さんが絶対嫌いそうなことを書いてしまったのであった。


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