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観て「楽しい」で良い

中学生の頃までホラー映画は大の苦手で、表紙を見るだけでも夜寝れなくなるほどだった。(実際『ノロイ』の表紙は今でもトラウマである。)

のだが、いつからか抵抗がなくなり、反動での怖いもの見たさもあってだろうか、高校生の頃は特にホラーを中心に観ることが多かった。ジャンルもスプラッタ、幽霊モノ、サスペンス寄りのもの問わず。ジョン・カーペンター監督などのB級作品は大好物だった。

本日は休みだったため、それこそ高校生の頃、つまりは10年以上前に観た『ホステル』を改めて鑑賞。

ざっくり説明すると、ヨーロッパ観光に来た青年たちが謎の一団に拉致され拷問されるといった内容の作品である。

グロテスクな描写が多い人を選ぶ内容のため評価はあまり高いとはいえないが、この手の映画の中ではかなり良くできていると思う。ツッコミどころもかなり多いが、それも踏まえてのスプラッタ。感情を洗濯機の中に入れられてブンブン回されるような感覚を久々に映画で味わうことができた。



「ホラーって内容がないから、嫌いなんだよね」といった声を聞くことがある。

僕の親戚の叔父だったり、最近では同じ仕事をしている人が口にしていた。


映画は時に僕らの価値観に強い影響を及ぼすことがあり、それが人生を大きく好転させることもある。僕が現在オーストラリアに滞在しているのも、映画『イエスマン』の影響によるところが大きい、という話は以前のnoteでも何度か書かせていただいた。

映画はそれだけ高尚な芸術だと信じてやまない人がいるのも頷けるし、僕もそう信じている。信じ続けたい。


だが、映画は大衆娯楽でもあるわけだ。

一冊の本を読み終えた時のように長い間心の中に残り続けることはないが、鑑賞中に圧倒的爽快感に襲われるようなジェットコースター的映画も世の中には多く存在する。

確かにそういった作品では人生の教訓だったり身になるものは得れない。

だが、鑑賞という行為がとにかく楽しいのである。


上にスプラッタの作品名を挙げて「楽しい」と形容するのは如何なものかとは思うが、人間が痛めつけられている最中に生じる「恐怖感」、どうやってここから脱出するのかという「不安感」、そして最後にやってくる圧倒的カタルシス。グロに抵抗があり、人物に感情移入しながら作品を鑑賞した結果生じるこれらの感情は、総括すれば「楽しい」になりうる。


ただ鑑賞する。見終えて「あぁ楽しかったなぁ、面白かったなぁ」。それで良いんじゃなかろうか。


更に言えば、ホラー映画という括りで全て「内容がない」と切り捨ててしまうのは間違っている。

例えば僕の最近推しているジョーダン・ピール監督の作品である『ゲット・アウト』。

人物の気味の悪い挙動から怖さを生じさせるのが特に上手いなと感じたこの映画だが、人間のエゴや他の人種に持つ嫉妬心などが強く描かれており、(ややネタバレ御免)ただ「怖かったなぁ」だけで片付けることができないほど秀逸なモノになっている。僕がこれまでに観たホラーの中でもイチオシ作品なのでよろしければ。


とりあえずまあ、映画から何かしらインスピレーションを得ようとする意欲は素晴らしいと思うが、血眼になってそれらを探す必要はないと思う。鑑賞して、楽しい。それもまた素晴らしい映画だ。

こんなこと書いているとホラーとは関係ないがまた『パシフィック・リム』を観たくなってきた。どこか映画館でやってくれねぇかな。



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