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960/1096【質問回答】先祖を供養するべきか/好きなことで食べていきたい…他

吾輩は怠け者である。しかしこの怠け者は、毎日何かを継続できる自分になりたいと夢見てしまった。夢見てしまったからには、己の夢を叶えようと決めた。3年間・1096日の毎日投稿を自分に誓って、今日で960日。
※この毎日投稿では、まず初めに「怠け者が『毎日投稿』に挑戦する」にあたって、日々の心境の変化をレポートしています。そのあと点線の下から「本日の話題」が入っているので、レポートを読みたくないお方は、点線まで飛ばしておくんなましね。

960日目。夢と希望にあふれる、曇りの、肌寒い、白くて幸福な日。幸福の源はわたしの平凡な暮らしだ。絵を描くのとか、生きているのとか、この先の変化とか、絵を描く道具を買うのとか友達や妹と話すこととかが、バカみたいに幸せだ。心がぱあっと明るくなる。

わたしはアラブの石油王みたいな暮らしをしたいと思わない。そんなことはいいから、デジタル機器で作業をしていたい。クッソ面白い。自家用クルーザーでエーゲ海をクルージングできなくていいから、仲のいい人と話して家庭料理が食べたい。莫大な金はいらないから、友達と漫画やイラストや小説や動画の創作で遊んで爆笑しあいたい。南国でバカンス暮らしをしなくていいので、秘行でシフトチェンジする人を見て感動していたい。

わたしは、巨額の資本を運用することそのものには面白みを感じられない。けれども、わたしたちの「日常」や「平凡」には面白みが詰まっていると思う。

なぜなら、世界のほとんどの仕事というのは、日常や平凡を面白くするためにあり、人類はひたすらにそれをやっているからだ。大半の企業というのはそのためにある。われら地球人のほとんどが心血を注いで一生をかけてやっていることというのは、日常のおもしろ化なのだ。

だから、その成果である地上の平凡な日常生活がいちばん面白く見えている人は、曇りの少ない目で世界を見ているとも言える。平凡というのは、世界の良いところのいちばんの上等な上澄みであるとわたしは思う。楽園とはこの世のことである。

そしてこの物の見方についての最大の争点というのは、これが正しくとも間違っていようとも、それはまったく要点を成さないということ。要は、「そう思ってるやつは幸せだよね」ということ。

わたしはこのように、凡庸な人生に最高の幸せを見出す脳内のお花畑を得られた者を、現代の成功者だと思う。「本当に経済的に、あるいは知名度的に成功しないと成功じゃない」という条件を持った人とは、気楽度の次元が違う。極楽にいる気分よ。

雨が降ってきた。地球らしい環境。地球人の言語でブログを書いて、遊ぼう。この惑星の知的生命体ならではのアトラクションだな。

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次回の初級は6月の18日・19日での開催。

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どんなに遠回りしても、なにを信じていても、大丈夫。

秘行コースがあってよかった!

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本日の質問は、こちらの3つですよ。

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あなたがもしも、ご先祖様のお墓やご仏壇の前で手を合わせたり感謝を述べることをしなくても良いと、本当に心の底から感じているのなら、それでよいのです。しなくても、あなたに問題が起こることはないのです。

けれどももし、それをまったくしていなかったらちょっと気になる。ちょっと罰当たりな気がする。と思うのなら、その心を浄化するいちばんの手は、本当に手を合わせ線香を焚き、供養に思いを馳せることです。

わたしたちの心には、死者への思いがあります。
あの世に行っても幸福でいてほしいと思ってしまいます。

わたしたちが本当に供養するべきなのは、その信念です。その己の信念が成仏できるように働きかけるべきなのですね。もしもあなたが、娘さんの難病とそれが関係していると気になってしまうのであれば、そこに自分でとことん付き合いましょう。ご先祖様に手を合わせることで、「供養していないのが祟っているのではないか」という心配を消せるのだからお安い御用です。

先祖供養というのは、自分の心の浄化のためにやらせてもらえることだと考えると良いです。「やってやらないと、悪いことを起こすんでしょ?」という気持ちでやることではないのですね。だから、どこまでご先祖様を供養しても、ご先祖様のためにやってやった、と思わなくていいのです。

ご仏壇の前にいるときに限らず、ご先祖様を思い浮かべて、今の幸せを報告し、もっと良くなるようにやっていくから安心してね。とお声をかけてあげてください。自分がご先祖様に言われたいことを言ってあげてください。きっとずっと心が穏やかになるはずです。

ちなみにわたしは、自分が今も祖父祖母を思い出すので、毎日のように今の幸せを報告しています。もちろんわたしはイタリアにいるのでお墓や仏壇に向かっているわけではありませんが、わたしは個人的にそれをするのが好きなので、自然とやってしまいます。

それによって、自分の「先祖のことを思い出しもしないなんて冷たいかな」と思う心を供養し、成仏させていますよ。

先祖と言えども、自分でない以上は他者です。その他者のために面倒なことをしてあげていると思わないほうが良いですね。自分のためにしている。

それはわたしにとって、「現実は自分の映る鏡である」という真理と喧嘩をしない、自分に心地のよい、優しく穏やかな考え方です。心の帆を思う存分広げて使って、ご先祖様を安心させる言葉をかけてあげるのを習慣にしてみて。飽くまでも自分のために。きっと、とても気分が晴れますよ。

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他者の言動は他者の自由なので、みんな自由に好きにしているのが良いのだと考えてみてください。あなたが離れるのは、良いのだと思いますよ。

「努力をしているのを知っているから、離れないでいよう」と考えなくて良いのです。そばにいるのか、離れるのかを、相手の努力量によって決める必要はないのですから。そばにいたかったらそばにいて、離れたかったら離れてください。あなたがあなたをそうやって大事にしないなら、他者に「自分をもっと大事にしなさいよ」とは言えないのです。

きっとこうなるぞ、という夢に向かっている人が、それを叶えられない理由はいろいろです。この質問文からはそれがわかりませんが、少なくともあなたがそばにいることで、相手の方が得ているメリットはあまりなさそうです。相手のそばにいることで自分が傷つくと感じるのに、それでもあなたがその人のそばにいて傷ついているのなら、それは自分の選択だと思ってみましょう。

一緒に居たいのなら、傷ではなく喜びだと考える。離れるなら、傷つかずに済むと考える。相手の人に自分のことを幸せにする義務を負わせるのではなく、わたしたちはみな、自分で自分を幸せにすることができるということを思い出してみて。あなたを可愛がってあげてね。

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自分に何ができるのか、何がしたいのかがわからない。この状態から、「自分の才能の感じられる部分とか、楽しさを感じられる部分で、自分で稼いで楽しく一人暮らしをする」というところに行くのには、それ相当に打破していくべき段階があることだと思います。

まずは、うつの心配があるのであれば、病院に行って診断を受けてきてください。それから、あなたのケースで受けられる扶助があるのか調べてください。医療扶助などがあればそれをもらって、必要なら治療をしてください。

自分にうつの傾向の自覚があるのならば、まずは実家暮らしをありがたく利用しましょう。実家にいるあいだは、少しずつお金をためておいてください。安心材料になります。それからその間、もっと情報に触れ、あれこれ試しにやってみて、好むと感じることを好きに追求してみましょう。

「好きなことがないので、好きなことをみつける方法を教えてください」
という質問は多いのですが、そういう質問はいつも、お金が稼げません、仕事をしたくありませんという相談とセットです。

「好きなことがなく、仕事もしたくないので、自分の好きなことで自分で稼ぎたいです」という摩訶不思議な発想をしてしまうんですね。「好きな食べ物もなく料理も嫌いなので、自分の好きな食べ物を自分で料理していきたいです」というのと同じ。まずはいろいろ食べて好きな食べもの見つけなよ。料理も経験積もうよ。って思いますよね。もしくはもう外食をしては?と。

わたしたちがこういう発想に陥るときって、理由はなんにしろ生きる気力が落ちているので、現在の段階でいきなりに「好きなことで食べていく」という目標に向かうと心が折れやすいのですね。

多くの人は、たくさんやったことを好きになるし、褒められたことを好きになります。才能を感じられる部分、という表現をしていますが、そういうものが生まれつき備わっていると考えると、それを探して一生が終わります。

”たくさんやったこと”が才能になります。才能を感じられて好きで楽しくて稼ぎも得られることというのは、大抵が”たくさんやったこと”なのです。生まれつき備わっているのではなくて、自分でそっちにもっていったものなのです。

好きなことを仕事にしている人は、才能があるかどうか、稼げるかどうかは未知なまま、それを”たくさんやる”というプロセスを踏んでいるのです。なので、気力のない状態の人にとって、好きなことで食べていくのをいきなり目指すのはかなりタフなことです。

好きなことで稼ぐというのは

「万が一それが評価されなくてもやりたい」
「それをするためなら他のことで稼いででもやりたい」

ということでもあります。”承認されないパンチ”や、”金にならないキック”が痛くないのです。今のあなたにとっては、好きなものがでてきてもそれを収入にするだけの楽天さや図々しさを持つのはヘビーなことではないでしょうか。

なのでまずは、好きかどうかお金になるかどうかだけに着目せず、良い評価が得られることをみつけて楽しんだほうがいいです。気分が良くなることをするのが最優先です。それが、あなたの気力になってきます。

好きなことが見つからない人は、往々にして自分の好きなことなど無視しています。評価されなそうに見えることは「好きなこと」だと認識することすらできなかったりします。そしてそういう人の多くが、好きなことをやるよりも、まずは評価や承認が欲しいのです。

わたしは、初めから好きだと感じたことを仕事にするかどうかって、幸せを得るためには少しも重要なことではないと思います。慣れて得意になったことをするのって、気分の良いものです。それが楽しさや好きや安心や得意な分野になる。そして気がつけば、いつの間にか自分は”好きなことで食べて”いたとわかったりするのです。

なので、今の時点で好きなこともやってみたいこともないのに、「好きなことで稼ぐ」と最初に決めてしまうと、身動きが取れません。まずは一旦、好きかもしれないことが出てきたら、それを使ってどこまで自分を楽しませられるかと考えてみましょう。

「好きかどうかはわからないけど、これは得意そうだ」
「才能があるかどうかはわからないけど、これで褒められたら嬉しいな」

と思えることをやってみて。話はそこからだぜ。

さて、今日はここまで。
それではまた、明日ね。

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”望みが叶う”を超えて、”望みを自分の一部として迎え入れ”、”望みから執着を抜き”、結果知らなかった自分に出会う。

人生を眺める視点を拡大し、自在にするための美しいプロセスです。

自分の信じてきたことを自分で成仏させられる、途方も無い感動的な道のりを二日間で体験します。

次回の初級は6月の18日・19日での開催。

今世の体験を、別の視点から眺める技術を心から望む、すべての人に。
どんなに遠回りしても、なにを信じていても、大丈夫。

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