義理歩兵自伝(10)
【義理歩兵自伝(1)はこちら!】
経験のないものが読み聞くと、条件反射的に
夜の闇の中、
自らの苦肉の策に翻弄されて、
涙や鼻水や汗などのモイスチャー(※A)を不本意に分泌しながら、
陽の当たらない暗いアンダーグラウンドの世界へ堕ちてゆく・・・
といったおぞましいイメージが自動的に牽引されてくる
「夜逃げ」という言葉ですが、
実際にやってみると、
心のどこかに斬り傷はありながらも、
この「強制終了後の再起動感」が想定外に爽やかで、
わ・・・・!人生が・・ふりだし感にあふれてる?!
清涼感がマルボロメンソール的な・・・!(゜O゜)
という、私たちの通常時の人格には備わっていない、心の火事場のクソ力、
いわば事故・災害時のための非常用「ドライ・ポジディブマインド」が
上記の※Aの水分で戻されて自動的に使用可能になっていて、
元気に過ごすことのできるものです。
私たちにはそこに加え、三羽の鶏が車の中にいて、
「くーくーくーくぁくぁくぁくぁかかかか!!」
「オエオッオーーーーーーー!♪」
「アイッアイッ」
と、たとえすべてを失った直後の者ですら問答無用で笑わされる声を発していたので、あてのないドライブは意外にもワクワクした空気に包まれました。
しかし、行くところもない上に、ガソリンの無駄遣いなどが命取りとなる危険性もあったため、テキトーに走った先の、草の多い、誰もいない公園のそばに車を止め、鶏たちを放して朝ごはんを摂らせました。
そこは、太陽がさんさんと降り注ぎ、公園内の夜露という夜露が蒸発して消えてしまう前に全力でそれを反射させていて、とても眩しい、キラキラと輝く真夏の公園でした。
どこにでもある小さな寂れた公園だったので、きっとちょうどあの季節と天気と時間帯だからこそあれほど美しく見えたのだろうと思います。
鶏たちは私たちが期待したとおりにガツガツと草を食べ始めたので、二歩兵とホオアカは一緒に笑いました。
しかし、そのすぐ後に私はわかりました。
こういう非常時というのは、
移動を続けている間はなんとなしに、ネクスト・ステージが待っているような、「ちょっと今だけド忘れしちゃってるけど多分後でちゃんと思い出すハズ」の目的地があるような、ピントのズレたまやかしの状態のままでいられるのですが、
移動をやめてひとつの場所にとどまった途端に、
しかもそこが公園だったりするとお誂え向きに、
ちょうど、メイク落としを使った直後と同じ気持ちに陥るのだと。
そうだ、現実はこうだった・・・(T▽T)
このとき嫌でも浮かんでくるのが、
この空気下での氷結NGワード。
我々は、「ホームレス」である・・・・・・・・・・・・・・
そう、今は、鶏が草をワシワシ食べてくれたとか、ましてやヤツらの鳴き方が面白いだとか、常に「驚きすぎてポカーン!」の顔してるだとか、首の動きのスピードに畏怖すら感じるとかとかとかとか、
そういうことで笑っている場合ではないのだ・・・・・・
ホームレス・・・ホオアカに言わせれば、ホームレシ。
今夜我らが眠るのは、外なのだ。
それから三日間、私たちは最低限の食料で食い繋ぎ、
八月の真夏の公園で野宿をしました。
真夏とは言っても、外の公園は想像以上に気温が下がり、木のベンチに眠ろうと思っても寒くて眠ることができませんでした。
私はこのことにとても驚きました。
暑くて眠れない夜にうちわを煽ぐのはマトモに家のある人にとっての真夏の風物詩であって、屋外に眠るものには縁のないことだったのか・・・!
仕方なく、車にギュウギュウに詰めた荷物の間から毛布を出して、それにくるまって、なんとか眠りました。
この毛布を出す時が「本格ホームレス実践入門」を始めてしまうようで可笑しくもあり、ベンチで眠るのを受け入れたようで屈辱的でもある瞬間でした。
私は、ホオアカが可哀想でした。
ホオアカが今まで尽くしてきたのは、家・畑・夫・子・両親・犬と猫。
ただただこれらの世話に向かい、頬を真っ赤にしながら世話に励み、
今は帰る家も夫も貯金もすべてが彼女をひとり置いて消え去ってしまい、
硬いベンチの上で、身を縮めて丸まって眠るより術がないなんて。
ベンチで眠るホオアカは、ホオジロに変わっていました。
このあと私たちは、市役所に無料で相談できるところを利用して自己破産について学んだり、ただの彼氏である大卒歩兵の親類に一時的にお世話になれないかと相談したり、あの教会に荷物をもう少し預かってもらえないかと頼んだり
ホームレシにしては忙しく動き回りながら、生き延びる術を模索しました。
数ヶ月前の春、私はお気に入りの白い着物を着て白銀に光る帯を締め、お店のそばの通りをタクシー乗り場まで歩いていました。
前月は、型紙を作りながら寝食も忘れて縫い物に没頭して、指のいつも同じ箇所にできる針の跡が希望の轍に見えていました。
そして、今は・・・・・
私はそのあんまりに激しいギャップが、コメディのように思えてなりませんでした。
悲しみがわけばいいのに、ワーッと泣いたりできればいいのに、どうしても物語の序章のような気がして、暗い気持ちになれませんでした。
あのとき、感情パックの蓋、密封しすぎちゃったのかな・・・・・・?!
と、これが心配でありながらも、私がそのホムレシ期にいつも感じていたのは、
なんとかする、とにかくなんとかする。
という、明るくも暗くも、ポジティブでもネガティブでも、迷いでも決心でもない、とても中立な、「とにかくやることになる」という、疑い・期待・心配などの不純物を取り除いた、水平線のように確かで静かな未来への予言でした。
そして、こんなに直下型の坂道から転げ落ちる顛末の間も、義理歩兵はやはり義理歩兵でした。
あの日の義理、忘れるなど言語道断。
それどころか、むしろ強まったわ・・・!
義理歩兵はこのあと、このさらに重くなった義理を返すべく、
ゲーム「渡世の義理」の任侠モードの難易度を一番高くして、次なるステージのスタートボタンを押したのでした。
つづく・・!!
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