義理歩兵自伝(2)
自伝(1)の内容をまとめてみると、
私の家族の構成員は
・学識のないこととズーズー弁に非常に強い重力にも似た羞恥心を持ち、それによって時空を歪めるほどの劣等感を持った、畑仕事をすると一心不乱となり頬が真っ赤になる小学生のような母「ホオアカ無知畑」
・抜群の頭脳を持ちながらもヤクザ気質が思考を支配し、すべての質問にまっとうな答えを出さない癖が高じて哲学的な思考回路を持っていた危ない父「哲学ヤクザ」
・味の良い液体と動くものはなんでも食料にする非凡な雑食性によって途中アルコール中毒におかされつつも、亡くなるまでピュアな心と原始人のような生態を貫いた祖父「純真クロマニョン」
・膠原病に両脚と両手指すべてを侵され、痛みとその底なしのストレスに生涯苦しみながらも、揚げ物と白カビチーズを愛し、小学校も出ていない学力から自力で常用漢字すべてを覚え、それによって三文官能小説を楽しむことの出来た祖母「障がいグルメ官能」
となっており、ここに私が生まれ、そして妹が生まれました。
しかし想像に難くないと思われますが、このメンバーでは家族という隊の結束が非常に困難であり、さまざまな作戦は常に失敗に終わってしまうのです。
例えば隊の作戦が「美智恵に歯を磨かせて寝かせる」
だとすると、
まず「ホオアカ無知畑」は真面目に私に歯を磨かせるのですが、ここで「障がいグルメ官能」が作戦を引き継ぐと、まだ眠くないという私にグルメ戦法を取り入れ、飴を与えてしまうのです。
ホオアカがそれに気づいてグルメ官能ともめ始めると、哲学ヤクザが「そもそも飴をなめたら問題だと考えることが問題なんじゃないのか」と禅問答のような議題を投げてしまい、
このドンパチに困惑する私を可哀想だと思った飲酒中の「純真クロマニョン」が、私を慰めようとチビッとお酒を与えてしまい、
それが見つかりホオアカとグルメ官能に集中砲火を浴びた純クロがそれに落ち込みさらに酒を飲み、飲み過ぎだと責められて別室へ敵前逃亡、
もう戦場はカオスと化し、誰が悪いのかわからなくなり、
ホオアカとグル官は涙ぐんでそれぞれが
「たまったもんじゃね・・やってられね・・」と言い出し、それを哲ヤクは笑って見ていて、私は飴と少量の焼酎をやったまま眠ってしまう、というなし崩し的な作戦失敗に至るのが常でした。
この対策として私が小学校にあがる年に隊は二班に分かれ、私と妹と両親の小隊は、祖父母の家から数軒先のところにあった貸家へ移ることとなりました。
書けば書くほど、なんという混沌!!
自分でも驚きます。
引っ越したあとにも母・ホオアカ無知畑と父・哲学ヤクザはあまりうまくはいっていませんでしたが、私と妹は自然とたわむれながら、近所の子供たちと遊びながら、飼い始めた犬や猫たちとじゃれあいながら、すくすくと一見普通の子供に育ちました。
しかしその実、小学生当時の私は
祖父と自然の中で獲物を捕って食べることにもすっかりと慣れがあり、蛇やハチの子を一緒に捕食しながらそれを肴に一杯やっていました。
父と話すたびに投下される禅問答と極道精神のミックスされたような議題にも耐性ができていて、それについて考えるのもとても好きでした。熱燗を一緒にやりながら(笑)、なぜ北の海から出た漁船の乗組員が、漁を終えて戻った時には数が減っているのかという話をしたりしました。答えはたいてい恐ろしいものでした。
祖母のおかげで小学校の頃には、港で男性が「女遊び」なるものをすると「梅毒」という病気を患うらしい、ということも知っていました。
そして、母に似て人の言ったことを完全に額面通りに受け取り、好きで始めた作業は完遂するまで命を燃やすのだという異常なこだわりを持ち始めたため、ほくろはガンだと聞けばそれを信じ、自力で取り除くのだといって彫刻刀などを使用して最後までやってのけたりしていました。
このような行動で、母の愛する高倉健さんの背中の唐獅子を私も背負った気になっていました・・・・(笑)
これらの奇っ怪な性質のためか、私はいじめられっ子でした。
勉強が好きで本の虫だった私は学業にはさほど苦労しませんでしたが、学校ではほとんど良い思い出がありません。
集団行動と、それに付帯するいかなる要素も苦手で、社会的生活は苦痛以外の何者でもありませんでした。
きっと、育つ間に見てきた戦場のカオスが私にとって当たり前となってしまっていたのでしょう。
平穏無事に過ごそうとすることを知らず、自分を「和の外」に置く、ということばかりに長けていたように思います。
しかし家では妹と猫といつも一緒で、たくさんの美しい思い出を作りました。
私の心に輝きとともに思い出されるのは、いつも家族と、もしくは猫と、もしくは自然とともに、身も心も預けて作った体験の記憶ばかりです。
その後、義務的に勉強やスポーツや集団での生活を強いられることにうんざりしながら、いじめに耐え抜いて暗い中学生活を終え、高校に進学し、ここで私の「義務をこなし、期待に応える」ためのパワーは底をつきました。
高校を出て進学しましたが「哲学」の授業と図書室にこもって好きな読書をする時間だけが楽しく、あとの学科はすべて興味の外にあったために通学は苦痛でした。
父の事業が大変だったこともあって学費の捻出が難しいと言われたのが天からの救いでした。
私は退学届を出して短大を辞め、晴れて学問を強制される檻から自由の身となりました。
この頃から、宇宙物理学や量子力学や仏教の本を読み始め、次第に宇宙の真理というものへの興味を深めていきました。
面白くて、ワクワクして、ソワソワして、ゾクゾクして、夢中になりました。
「ニュートン」という科学雑誌の表紙に「やはりブッダは正しかった」という見出しを見つけた時には、コンビニで鼻血を吹き出しそうなほど興奮したのを覚えています。
得られるお金は大量の文学作品や脳機能学関連の他に、心理学書や哲学書などにほとんどはたいて、震えるほどの喜びとともに読み、狂い、我を失って没頭しました。
はい、そうです。私は当時、ニートでした。(笑)
中学の途中までは秀才だった私が徐々に勉強を嫌うようになり、数年のうちに無職の引きこもりになったこの時期が、私が母を最も失望させた時でした。
しかしこのすぐあとからでした。
私の人生が誰にも予想できなかった方向へと転換し始めたのは・・・・
つづく・・・・!
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