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663/1096 過去への手紙

吾輩は怠け者である。
しかしこの怠け者は、毎日何かを継続できる自分になりたいと夢見てしまった。夢見てしまったからには、そう夢見る己を幸せにしようと決めた。3年間・1096日の毎日投稿を自分に誓って、今日で663日。

(この毎日投稿では、まず初めに「怠け者が『毎日投稿』に挑戦する」にあたって、日々の心境の変化をレポートしています。そのあと点線の下「本日の話題」が入っているので、レポートを読みたくないお方は、点線まで飛ばしておくんなましね。)

663日目、ややーこんなにも700日目に近づいているだなんて!みなさん・・もうすぐさようなら・・・(早

娘の高校で使う本類をすべてAmazonで購入して受け取ることができて、ホッとしている。イタリアに渡ってきたときは4歳だった娘が、再来月から高校生・・・高校生・・・!!ママは、涙が出る。なぜかと言われても、わからん、、涙が出るんだ・・・

育った、かわいい、無事、ただそれだけのことで。

月日は去りゆく。気がついていてもそうでなくても。
今日もあれこれに当たっていたら午前中が風のように過ぎてしまった。

娘が家にいて、夫は倉庫に行っていて、母が絵を描いて遊んでいて、食べ物があって地面があってパソコンまで動いている。

この瞬間の、万物に支えられた今を、死後にきっと「最高かよ」と思う気がすることが、ああ、幸せだなあ!!

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みなさんは、勉強が好きですか。
わたしはこう言うと誤解を招いてしまうかも知れないけれど、大好きです。好きなことであれば、勉強って楽しいですね。

ただ、好きじゃないことについての勉強は、もうもう、人の道を外れるほどに嫌いです。どういう喩えでしょうかほんとうに。でも、その喩えがピッタリなのです。

というのも、学生だったころは、中間テストや期末テストが近づいてくると皆が勉強をしているというのに、わたしは勉強をしないどころか、いつそれらのテストが始まるのかを知りませんでした。

前日になって知ったとしても、「さすがにせねば」と思って勉強をしようと思っても、机に向かって教科書を開けたとしても、んどう~~しても、勉強が出来ないのです。少しはしよう、ちょっとくらいは覚えよう、そう思うのに、んどう~~~してもできなくて、そこで心はだんだんと人の道から外れます。

なにがなんでもできねえ。
しないでいっちまえ!
0点でいい・・
親が失望すればいい・・
もういい、死にゃあしねえ!!
学校め、社会め、文部省め、資本主義め、政治め、畜生畜生・・・!!

と壮大な恨みを膨らませて、結局なにもしないで学校に行くのです。破滅的な方向にのみ異様な度胸があって、コツコツ準備する方向でがんばる力がありませんでした。

だから、わたし勉強しなかった~と言いながら平均点くらいはカバーしてくるクラスメイトたちのことを、別の生物のように見ていました。「勉強しなかった」という言葉で表現しようとしている状態があまりに常識の範囲なものだから、自分とは相容れない存在なのです。

嘘なのではなく、彼らが勉強しなかったと言うときは、「ある程度はやったけどテストに挑むのに十分とは言えない」ということなのです。甘いぜ。わたしは一秒たりともやっていないから、真に勉強をしなかったのはわたしだけでした。

そんなわけで歴史で前代未聞のマイナス偏差値を叩き出したわたしは、勉強なんて大嫌いだと思ったまま、高校の最後の年には頻繁に学校をサボって外でフラフラしていました。自分はクズだなあと思いながら・・・・

何をするわけでもないのです。彼氏と吉牛に行って特盛を食べて、ヤマザキの菓子パンを食べて、神社で飛んだり跳ねたりして遊んで、コソコソとタバコを買って吸ったり、ピルクルを一気飲みしたり、度胸試しにフリスクを一度に何粒も食べてむせたりしていました。

それが、遊園地にいるみたいに楽しかった。楽しくて、春に、ちょっと足元に目を向けて花や草を愛でる気すらなかった。いつも上を見上げていた。青い空ばかり見ていた・・・そういうときのことを、「青春」というのかも知れません。
 
なぜあの頃、そんなにもしょーもないことをして楽しかったのだろう。
みなさんにも、そう思えることってありませんか。

今わたしが、吉牛やコンビニに行って好きなものを買って外で食べて、ピルクルを一気飲みしたりフリスクでむせたりして、ウンチングスタイルでタバコを吸って、それで楽しいかと言われると、ちょっと怪しいものがあります。少しは楽しめるのかも知れない。でも、きっともうあの頃のようにときめくことは、できないのです。

わたしはずっと長い間、世間で言われるように、青春時代がある意味で人生のピークだったような気がしていました。なにをしても新鮮で楽しかったころ。未来が夢でいっぱいだったころ。失望と妥協を知らなかったころ。「不可能などない」とこちらが説得されかねないほど、力のたぎる若い身体。
あれが最高だったのだと思っていたんです。
 
でも今は、あのころに知らなかったことを知っている自分がいます。

勉強は意外と楽しいということ。
足元を見るのも幸せだということ。
自分ってそんなに悪くないということ。
人はひとりひとり違っていて、
それなのに人はひとつだということ。
青くない空も美しいということ。
自分はそんなに経たずに死ぬということ。

若かった、あのころの自分よ。
今のわたしはもう、ピルクルを一気飲みできません。
その彼氏とも一緒にいません。ごめんね。
でも当時のことを今になっても覚えています。
今は遠い遠いところにきて、あなたの知らない人と一緒にいるよ。
45歳になりました。
まだ、生きています。

スケボーにまだ乗れます。
心の勉強が今も大好きです。

学校の勉強はしなくても大丈夫でしたよ。
これまでのあらゆる過ちが、今の自分にとっての青春の思い出です。
自分が駄目に思えて辛かったですね。
でも、なにも変えることはありません。
あらゆる間違いも、今の自分をつくったと思えばすべて正解です。

わたしはあれから、学校のテストはマイナスでも、人生はいつも100点だったと知りましたよ。

夢見た未来とは違うところに来てしまったかも知れませんが、テスト勉強をしなかったこと、学校をサボったこと、フリスクでむせたこと、彼氏とばかりいたこと、

面接で失敗したこと、
夜の世界で働いたこと、
恋愛中毒だったこと、
いつもビビりだったこと、
三日坊主で怠惰だったこと、

ぜんぶそのままでOKでした。
いや、そのままでないと、わたしが困ってしまうのです。

なぜかって、どこかで一ミリでも違う選択をしていたら、未来はそこからわかれて、もう今の自分が存在できなくなってしまうから。

今の自分は今の自分のお気に入りです。
だから、過去のぜんぶがそれでいいのです。

過去への赦しは、今の自分の幸せから起こること。

わたしたちが、今の、もしくはこの先の自分に幸せを見いだすとき、そこにつながった過去はそのままで満点なのです。今がどうあるかによって、黒歴史すらもそのままでよかったと思えるものなのですね。

あの若かった、苦悩に満ちた自分に
「それでよかったよ!」と言ってあげたい。
だからやっぱり、今をせっせとお気に入りにしていこう。

過去の運命こそ、今にかかっているのです。

そんな思いとともにある今日でした。
というわけで今日は珍しくつらつらと思いを記した投稿でした。
誰かと響き合えますように。
それではまた、明日ね・・・!!

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