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926/1096【質問回答】会社勤めは自分いじめ?/家族の死の悲しみが癒えない/会話が苦手でつらい…他

吾輩は怠け者である。
しかしこの怠け者は、毎日何かを継続できる自分になりたいと夢見てしまった。夢見てしまったからには、己の夢を叶えようと決めた。3年間・1096日の毎日投稿を自分に誓って、今日で926日。

※この毎日投稿では、まず初めに「怠け者が『毎日投稿』に挑戦する」にあたって、日々の心境の変化をレポートしています。そのあと点線の下から「本日の話題」が入っているので、レポートを読みたくないお方は、点線まで飛ばしておくんなましね。

926日目。もうここまでくると、1000日に到達して残り96日をカウントダウンする日まで、おとなしく書いていようという気になってくる。
このなんとも言えない『まな板の上の鯉感』と『嵐の前の静けさ感』との合わさった「騒ぐことではない」という落ち着きはどこから来るのだろう。

『勝って兜の緒を締めよ』とは言うけれども、それは一旦勝っただけまだいい。悪いのは、勝つ前に「勝ちそうだ」と思って緩むことだ。そこで調子ぶっこいて気が緩むと、勝てたはずのものも勝てない。

というわけで、ますます淡々と落ち着いていこうと思う。
とは言え、ある程度習慣化してしまったため、兜は実はもうとっくに脱いでいる気がするのだけれど。

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今日も質問回答です。歯に着せる衣が不足しておりますが、お納めくださいませ。

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言わんとしていることはわからなくないのです。けれども、考えてみるとおかしなご質問ではないでしょうか。わたしは今木の実を食べながらこれを書いているのですが、その木の実をわたしは美味しいと感じていますか。と訊かれたら、答えに困ってしまいませんか。

これって主観の問題です。あなたはどう感じていますか。自分を苛めているように感じますか。あるいは、自分から苛められている感じがしますか。

働いていることによって生活ができるというメリットがあるわけですよね。
そこで、提供している労働力と、感じるストレスと、もらえるお金とのバランスを見て、「これじゃ自分を苛めているのと同じじゃないか!」と思うのか、「これだったら得られるもののほうが大きいから苛めではないぞ!」と思うのか、それはあなたの主観次第ですよ。

食料を得る、食べる、寝て起きる、仕事をする…生活には面倒なこともつきまといますが、生きるために必要なことをして、それを『苛め』と考えるのは馬鹿らしいことではないか、とわたしは思うのですが、いかがでしょう。

自分のことって、誰も決めてくれません。誰も正解を知りません。あなたがどう感じているのかを、他の人には決めてもらえません。誰かが「その生活は苛めのようなものだ」と言ったって、自分がそうでないと思えればいいのです。逆に、誰かが「どこか苛めなの?意味がわからない」と言ったって、自分でこんなのは自分を苛めているのと同じだ!と思えばそうなのですよ。

ちなみにわたしは『三年間毎日更新するという宣言をして毎日ブログを書いている』ことによって、「地獄だね」「まるで刑期のお勤め」などと言われますが、やってよかったと思っています。周囲には苛めのように見えていても、それさえも本人が良ければいいのです。

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程度の問題にもよります。必ず強い不安に悩まされるのであれば、不安障害などを疑ってみるのも良いと思います。が、そこまでではないという場合、会話や注意などに、意識して相手への思いやりを込めるのが良いですよ。

気楽に会話ができる人ならそんな必要はどこにもありませんが、不安な人は意見を言うときに毎度”相手への思いやりをこめたポイント”を作ってから伝えるようにしてみてください。それで、あとから不安になったときには、その相手へこめた思いやりポイントを思い出すようにすると、不安が軽減します。その納得ポイントが作れなかったら、その意見はわざわざ言わなくてもいいのですよ。思いやりなく注意などをすると、必ず後悔します。

もしくは、伝えたいことを伝えるときにも、「ベストの意見なのかはわからないから、あとから考えたらもっとよいアイデアが浮かぶのかもしれないけれど、今は~だと思う」というふうに、正直に伝えてください。このように、あとでもっと良いアイデアが浮かぶかもしれない、と、自分の不安への逃げ道を用意しておくこと。すると、会話のあとにもあまり強く悩まされなくなってきます。

「自分の意見は正しかったのか」「自分はおかしなことを言っていないか」などと考えると自信がなくてはならないように思えますが、それが不安になるというのは結局のところ、自分のためなのです。自分のためではなくて、相手の感覚を想像して話すようにすると、徐々に心配が薄れてきます。試してみてね。元・会話の苦手なオドオドいじめられっ子だった者より。

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ここに書くことを信じても信じなくてもよいのですが、どんな人も、どんな亡くなり方でも、すべての人が”必ず天寿をまっとうして”亡くなります。逆に、その前に亡くなるということはありません。

ですからお姉さまは、幼かったとしても天寿をまっとうされたのです。

もちろん、人と死に別れることは、残された者にとっては寂しく悲しく切ないものです。けれどもそれを思うとき、お姉さまのために悲しまないでください。同情や後悔からの悲しみではなく、恋しさや、生前の愛らしさを思い出して、それに長い間触れていない切なさを、愛情に変えて思い出してあげてください。今もこんなに愛しさを感じていますよ、と心の中でお伝えすればよいのです。

お姉さまは、天寿をまっとうされたことで苦しんでなどいないのです。死はわたしたちの想像を超えたものです。なにも心配いりません。
また、お優しい質問者さまがお母さまの悲しみを背負ってあげなくてもいいのです。あなたは悲しみを超えていい。亡くなったお姉さまを愛したまま、自分を責めるのを終わりにして、元気で幸せでいることを選んでいいのです。それが、なによりの供養になりますよ。そのほうがずっと、お母さまにも良い影響となるはずです。

重ねますが、お姉さまは天寿を決めてこの世にやってきて、その時間をやりきってまっとうされたのです。だから、大丈夫ですよ。

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会話における沈黙については、もうちょっと相手の方に預けちゃったらいいと思いますよ。沈黙を埋めるのも会話のネタを出すのも全部自分ひとりで背負いこもうとしてしまうから辛くなるのです。会話って相手と一緒にするものなので、自分がリードが苦手なのであれば、ある程度は相手の方に舵を預けて、それに頼るのがよいと思います。

仕事上ほぼ毎日顔を合わせてその日の出来事を伝達する必要があるのに、挨拶を交わすだけで済ませていることについて、何も言われないのですか?それは業務をこなせていないことにはならないのでしょうか。業務上必要なことなのであれば、じっくり考えて紙に書くなどして、そのメモを取り出して伝えるなどの工夫が必要だと思います。

その仕事上の情報伝達から逃げ続けるくらいならば、その人本人に「緊張すると会話がスムーズにいかず、伝えたいと思うのに言葉が浮かんでこないことがあり、自分でも不甲斐ないと感じている」ということを素直に相談してみるのもいいと思います。少なくとも、必要な情報伝達を避けていつもそそくさと逃げてしまうよりも、ずっと状況把握ができて安心していただけると思いますよ。

仕事で人対人のやりとりが必要な場合は、放置するよりは相手への信頼を示すほうが良いと思います。どこかにお勤めに出る以上、すべての同僚や上司が気の合う人しかいなくて、気楽に楽しく会話が弾む人とだけ仕事ができるという環境ってまずもってないと思うので、そこはある程度仕方がないことですよ。しゃーないです。

会社にはお仕事をしに行っているので、そこで業務をスムーズに遂行するために、どう工夫をするか、素直になって状況を伝えるか、どう信頼して正直に頼るか、業務のためにプライドを捨てるか、などなどが学びになるのだと思います。仲良くなるために仲良くなるのではなくて、仕事をする上で協力するうちに、仲良くなる人がいるということなんですよね。

それから、大人が相談をするというときに自分の気持ちを「ウッてなる」と表現するのはちょっと不足だと思うんです。表現が未熟に見えてしまうんですね。自分の伝えるべきことを伝えようというときに、最低限一般的な言葉遣いで伝えられないと、自分でもストレスになってしまうじゃないですか。

そこはある程度勉強するのが良いのだと思います。するとだんだん、伝えるということについての壁が低くなりますよ。というわけで、いろいろと状況改善の余地がありそうです。きっと良くなるので参考にして試してみてください。がんばれー!!

さて、今日はここまで。

それではまた、明日ね!


毎日無料で書いておりますが、お布施を送っていただくと本当に喜びます。愛と感謝の念を送りつけます。(笑)