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692/1096 こんな人は”小心者失格”!

吾輩は怠け者である。
しかしこの怠け者は、毎日何かを継続できる自分になりたいと夢見てしまった。夢見てしまったからには、そう夢見る己を幸せにしようと決めた。3年間・1096日の毎日投稿を自分に誓って、今日で692日。

(この毎日投稿では、まず初めに「怠け者が『毎日投稿』に挑戦する」にあたって、日々の心境の変化をレポートしています。そのあと点線の下「本日の話題」が入っているので、レポートを読みたくないお方は、点線まで飛ばしておくんなましね。)

692日目、、、来週には700日がやってくる!700日目はなにをしようかな?なにを書こうかな?それとも文章ではないものもここにアップしたほうがいいのかな?オンラインの質問会でも開こうかな?などといろいろ考えてしまうけれど、なにか良いアイデアがあればください!

オフィシャルサイトから、あるいはツイッターのリツイートかDM、インスタのDM、FacebookのコメントかMessengerでくださいませ。
(いつもはお返事はしていないのですが、日頃、いただいたものにはすべて目を通させていただいております!今回700日目に関するアイデアを送ってくださったお方には、できる限りお返事いたします!)

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みなさんは図々しくならないようにと考えて自分を抑えてしまうことがあるだろうか。ちなみにわたしはそれが行き過ぎて、人といるのが苦痛だった。

目立ってはいけない、出しゃばってはいけない、気づかぬうちに調子に乗ってしまうとヤバい、と思いすぎると、もう人の輪の中でただ黙っているだけでも辛いのだ。なんかこう、黙ってそこにいるだけで、表情おかしくなってない?黙ってれば事なきを得ると思ってるのバレてない?なんかリラックスしていないことで変な雰囲気出てない?それで嫌われない?!みたいな。

いやどんだけ弱気だよ、今のお前と別人だろ、前世の話ししちゃってない?と思われそうだけれども、ほんとにそんな感じだった。いじめられっ子だったわたしは、なにをしても嫌われる気がいつもしていた。

これが、大人になってからもしつこく続いていた。約10年前イタリアに来たばかりのころに、イタリアの一般的な建物のちょっと素敵なエントランスの写真を撮影して、「美しいですね」みたいな言葉を添えた短い記事をブログに上げるのに、とんでもなく心臓がバクバクしたレベルだったのだ。結局アップしてからも怖ろしくてたまらなかった。「なに調子に乗ってんだよ」とか思われたらどうしよう、と思うとめちゃくちゃ怖かった。あのとき、あれで確実に寿命が縮まったはず…!!

ところが今のわたしときたら、かなり図々しくなってしまった。毎日の投稿に自分のことを赤裸々に書いて、自分の意見を載せて投稿するのに、心臓がピクリとも動かない。凪。表現するなら凪である。日頃の表情も「はい、それま~でぇよ~」と歌っている時の植木等氏に似てきている。

わたしは人格もダメ寄りのそこそこ、って感じ。そしてなにもかも「うっかり」してしまう。うっかりのプロ。凡ミスのプロ。プロ凡ミサー。ミス凡ミス。あ、違うわミセスだ!!ちょっとわははは笑笑!ひどいわぁ~~~~笑

図々しくなったものだなあ~と思う。どうしてこんなに面の皮が厚くなってしまったのかと言うと、気がついたからだ。死ぬと。死ぬのだと。ほんとうの意味で、死ぬのだとリアルにリアルにリアルに思ったから。本当にこの世から去るのだと思ったから。そのことを思って涙したことが、これまでに一体何度あっただろう。

わたしは自分との死別に泣いた。自分の葬式で泣いた。自分の透け透けの身体に泣いた。もう物を持つことができない。今はいろんなものに触ることができるけれど、触れなくなることが惜しい。惜しい。惜しくてたまらない。今はいろんな音楽を聴くことができるけれど、聴けなくなってしまうことが惜しい。文字通り死ぬほど惜しい。

今は恋ができるけれど、できなくなってしまう。
今は家族に会うことができるけれど、できなくなってしまう。
二度とこのメンバーでこの形で会うことがなくなるだなんて。娘とも夫とも前夫とも、ばらばらになってしまう。

人肌に触れ、笑い、食べ、味を味わい、風に当たり陽に当たることが、今ならできるのに。歩くことも、溜息をつくことも、嘆くことも、退屈だと文句を言うことも、叶わなくなるなんて。この名前も、この人格も、この身体も、この感覚も気持ちも、ある日を境にさようなら…

それを本気で感じてから、いろんなことがどうでも良くなった。「小心者で心臓バクバクでもいいや」と思うようになってしまった。そういうビクビク人格のままでも、そんな自分なりに、生きる体験を最大に味わえばいくね?という感覚。

ビクビクしていてもブログは書ける。心臓バクりながらでも公開はできる。どちらでも公開ができるなら、どっちでもよくない?

ビクビクしていても、ちょい嫌われつつでも、温泉に入ったり旅行に行ったりお店に入ったりできるし、あれ?それでいくない?と思った。ガクブルしながらでもいい、そのままやれればいい、ガクブルがどうしたっていうの、と考えてみると、この星で楽しめることのその多さよ!!!

小心者なことを実は超絶に恥じていたし、かっこ悪いと思っていたから治したかったのだけど、「いや待てよ、ちょっとそんな時間ないわ…そんなに経たずに死ぬっつーのに、なに下らんこと考えてたんだろ。小心者なんて、一生かけたって治らないんだわ…!」と思った。

そう、その人格のままでいいからそこは放っておいて、”体験重視型になろう”と思ったのだった。すると、小心者だから向いていない、手を出さないほうがいい、資格なし、やらないほうが安心、etc…と、禁じていたことがいっぱいあったのにも、気がついた。

この自己改善重視型から体験重視型になったことは、今思ってみれば、スイッチが切り替わった瞬間だったと思う。小心者の人生が変わった瞬間だったと思う。だって、小心者が小心者であることをどうでもいいと思うだなんて、その人はそのとき、小心者なのだろうか?みたいなことにならないだろうか。大いなる、そして良い意味での自己矛盾である。

「え?あ~そうそうわたしすごい小心者でさウン!ま、それどうでもいいんだわ、もはや。別にそれでいくない?w」みたいな小心者がいるだろうか。そんな者はもう小心者失格である。そう、わたしが体験重視型になろうと決めたのは、自分でも気づかぬうちに小心者を失格となった瞬間だったと言える。

小心者は、小心者であることに悩んでいてこそ小心者である。
小心者イエーイ!みたいなやつはもはや小心者とは呼ばない。
小心者人生上等!!なやつは小心者ではない。
「小心だからこそ味わえるこのドキドキがまたいいんだよね」とか言い出しちゃうやつは、小心者失格である。資格喪失。免許剥奪!!

だからね、小心者でいいじゃん?いろいろバクバクだしドキドキだけど、それがなにか?である。それを相手にして、気にして、自分の選択を制限して行動を狭めて、ダメ出しして、劣等感にまみれて媚び売ってたら、人生終わっちゃうから。だからものは試しで、「じゃあもうあれだ、小心者でいいやな!そのまま遠慮なく生きればいいだけだ…!」と思ってみよう。

そう思えた人は、小心者失格。あなたは意外に強気な人なのだ。そして気の小さいなりに、あなたの生命が地上で味わいたがっていることをワーッと味わううちに「人生は自分の人格なんかに遠慮して狭めてしまうには、あまりに貴重なものだったなあ…」と気がつくことでしょう。
するとね、いい意味で図々しくなるのです。だって、たかが小心者であるだけで遠慮して生きるべきだなんて思えなくなってしまうからです。

以前の自分に比べるとずいぶん図々しいと思えるくらい、小さなことを気に病まなくなってきます。そんなことを言っていても言わずにいても、地上での時間は限りのあるものだもの。もう、いいじゃない。死ぬし。死ぬからね。しつこいのですが、死んでしまうんだから。遠慮して生きても寿命は伸びないのだし。だから気の強い人も弱い人も、もういいから、そのままでやり、そのままで挑戦し、そのままで楽しみましょう!

というわけで今日は、”小心者のままで人生を楽しもう”とすると、知らぬ間に小心者を失格になっているものですよ。その心地よい強気と一緒に、この地上であれこれ気に病まずに生きる、自然で図々しい生命体になってみませんか。というお誘いのシェアでございました。必要な人に届いておくれ~!

それではまた、明日ね。

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