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421/1096 人生のリングで闘え

吾輩は怠け者である。
しかしこの怠け者は、毎日何かを継続できる自分になりたいと夢見てしまった。夢見てしまったからには、そう夢見る己を幸せにしようと決めた。3年間・1096日の毎日投稿を自分に誓って、今日で421日。

(この毎日投稿では、まず初めに「怠け者が『毎日投稿』に挑戦する」にあたって、日々の心境の変化をレポートしています。そのあと点線の下「本日の話題」が入っているので、レポートを読みたくないお方は、点線まで飛ばしておくんなましね。)

421日目、悪いさ、ああ天気は悪いさ!ヴェネツィアはもうかれこれ2週間に渡って雨が振り続けている。鬱陶しいときたらありゃしない。

でも、憂鬱さに負けているくらいなら、ここからも貪欲に得をしようじゃないか!ここからなにかを学ぼうとしてみるのだ・・!

そうさのう・・・・まず思うことと言えば・・・・
空は自分勝手だ。猫のように自分勝手だ。それから、どんなに雨が振り続けようとも、ヴェネツィアの美も価値も変わらない。

空のように究極に自分勝手であるということは、究極に純粋だということなのだと思う。なぜなら、そこにいかなる媚びもないからだ。ただ、あるようにあるだけ。自分に起こることに不平不満のない態度だ。空も猫も、だから美しいのだろうなあ・・自然はいつも、わたしたちの最高の先生だ。

毎日投稿も、自分のできる限り、さらにさらに、なににも媚びないで書こう。それはきっと、限界を突破してでもトライするべきチャレンジなのだろう。怖いと思うことこそ、嫌われるかもしれないと思うこと、狂っていると思われるんじゃないかと心配になることこそ、自分のために書くべきことなのだろう。

ゴングが鳴って、もう421日も経つのだ。今日を含めて、残りはあと676日しかない。その間、自分はそれをどこまで追えるのだろう。

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上のことを書いていて思った。人が最も媚びへつらう相手、それは自分自身なのではないだろうか。
 
人が媚びるときというのは、なにかを恐れるときだ。嫌われることだったり、失うことだったり、得ることを失敗することだったり。媚びるというのは、保身のためにすることだ。
 
自分がなにかをするのが怖いというとき、不安だというとき、わたしたちはその先に味わう「やっぱり失敗した」「やっぱり自分はだめだ」「大変なことになってしまった」という感覚によって、自分に失望したくないのだと思う。
 
だから、自分という人が失望しないように、ショックを受けないように、
「この程度なら失敗しないでやれるんでしょう?ひどいことにならずに済むんでしょう?耐えられるんでしょう?」と思える範囲内で動こうとする。
こうすれば気に入りますよね?と。まさに、媚びへつらい以外の何物でもない。
 
自分に失望することを避ける。これは自分さんに、「こちらの期待から外れたら愛せなくなるよ」という宣言をしているのと同じだ。最悪だ。こんなこと、誰にも言われたくないことなのではないだろうか。
 
他人に媚びるときだってそうだ。その他人をナメているだけでなく、やはり自分をナメているのである。
「この人に嫌われたくない」という思いで誰かに媚びるとき、その相手がなにを好みなにを嫌うのか、勝手に予測している。そして、それに従って相手が自分を好んでくれるように操作しようという意図がある。
 
そのとき、この人に嫌われたら自分は傷つき、もしくは耐えられず、あるいは損をし、評判が落ち、価値がなく、生きていけない、、なぜなら自分は弱いから、ダメだから、バカだから、、、、そんなふうに思っているのだ。だから、そうならないようにしてあげている。自分さんをナメているのだ!
 
なにかをしてみたいと思ったときに、誰かにこう言われたとしたら、腹ァ立たないだろうか?

「ねえ、あんたってこの程度だと思うんだよね。だからそれ、失敗すると思うんだわ。しかも、失敗したらそのショックに耐えられなそう~ww。それだけでアンタの価値ガタ落ちだしね。人生自体が失敗、みたいな。しかも、その先立ち上がって盛り返す実力もないし。傷ついちゃって自信なくしちゃうの怖いでしょ~~?やめときなやめときなっ」

これじゃあさすがに誰だって頭にきて「てめえ言いたい放題言ってくれんじゃねえか」と言って立ち上がって胸ぐらをつかむのではないだろうか。いや、つかまないかもしれない。いや、つかまないのが普通だ。いや、つかんではならないのだった、、すまぬ俺のいつもの悪い癖だ、今のは忘れてくれ。だが、不安になり、傷つき、その決めつけと上から目線にむかっ腹が立つだろう??なあ、そうだろうジョーよ・・・!そうだと言ってくれ・・!!!(丹下の顔で

怖くて不安だからといって、してみたいチャレンジをしないというとき、わたしたちは自分で自分に上のようなことを言っているのだ。弱気で人を見下した、薄汚ぇ予測に負けているのだ。

クソくらえなんじゃないだろうか。ほんとに、クソくらえなんじゃないだろうか。さすがに3回は言わないが、クソくらえである。おや?これで3回か。まあ細かいことはいいんだ。こんなときわたしは、その弱気で媚び屋の自分に言い返してやるのだ。

なぁお前さ、人間ひとりの可能性相当ナメてるよな。わかった気になってんだよ。お前ノストラダムスなのかよ。明日起こることぜんぶ予測して当ててみろよ。俺が将来どういう可能性を持ってるのか、お前に全部わかるってのかよ。アホだなお前。

お前のその予測、ぜんぶ過去に起因してんだろ?過去しか参考にしてねえんだろって。だがな、未来をつくっているのは「今」なんだぜ。
「今」なにを見るか、なにを信じるか、なにを感じているのかによって決まるんだよ。過去はまったく関係ねえ。そんな簡単なこともわかんねえのか??

今何を信じるか。そこに過去を持ち込んでいるのは俺たち人間が勝手にやっていることだ。わかるだろ?クソ以下の無駄をしてるってことだ。
少なくとも、今すぐこれだけは認めろ。俺たちの未来は誰にも予測できねえ。未来に、あんたのその弱気な予測以外のことが起こる可能性があるっていう当たり前のことくらい、この場で認めてみろって。

お前はこの宇宙の出来事のうちのひとつなんだよ。自分をバカにするってことは、この宇宙をナメてるってことだ。そういうやつに限って、宇宙は聖なるところだとか言い出すんだよな。そう思うのならその宇宙の一部であるお前自身を信じろよ。そうだろ?お前がどんな可能性をもっているのか、お前自身にもわかっちゃいねえだろ!!!だったら決めつけんな、この弱虫が!わかったら立ち上がれ!さあ自分よ、立ち上がるんだーー!!(丹下の顔で

・・と。

自分に媚びないで生きよう。わたしももっともっと、そうしてみたい。自分のことをどこまでも手放して、どこまでも自分にさようなら。
離れて、放れて、離して、放して、地球上で生きる壇珠さんという自然現象を遠くに見ながら、この人物を通して感じられるリアルのすべてに、あの月、あの桜、あのアドリア海と同じだけの美を見出して生きたい。

雲が増えたら曇る空のように、去りたくなったらスルッと手を離れる猫のように、自分にやってきた感覚も衝動も、自分に媚びずに実現しよう。
もしかしたらそのためには、「壇珠さんそんなことしなくても!」と誰かに言われることもあるのかもしれない。そんなときは言うのだ。人生のリングから降りろってのかよ、おっさん。。。と。そう、そんときは、ジョーの顔でさ・・(キメすぎかよ!

というわけで今日は、自分に媚びずに生きたいという思いの丈をぶつけてみました。それぞれのリングで生きる皆の、健闘を祈る・・!

それではまた、明日・・!




毎日無料で書いておりますが、お布施を送っていただくと本当に喜びます。愛と感謝の念を送りつけます。(笑)