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国際社会の敵、日本

 その日、日本が国際社会の敵と認定された。国連の旧敵国条項が適応され、安保理で審議なしで、五大国は各自、旧敵国に対する「反撃」が許可される。三大国は何もしないと宣言したが、残り二大国は異なった。折しも、台湾侵攻が始まっている最中の出来事だった。
 この場合、旧敵国とは、第二次世界大戦の枢軸国で、日本、ドイツ、イタリアが該当する。旧敵国条項とは、簡単に言うと、旧敵国からの侵略に対して、五大国の反撃は、国連安保理の許可は必要なく、報告だけでよいという条項である。有名だが、これまで死文とされていた。
 ドイツとイタリアも驚いたが、特に日本が酷かった。戦後、憲法と国連を尊重する事を、基本的な国家指針としてきた日本にとって、それは青天の霹靂だった。無論、旧敵国条項は知っていた。だがそれが適用され、国際社会の敵、日本という状況までは想定していない。
 だが先の大戦中の日本は、確かに国際社会の敵だった。日本の扱いが、1945年9月2日以前の状態に戻っただけかも知れない。大陸は五大国の一角として、日本に旧敵国条項の適応を宣言し、沖縄に対する弾道ミサイル攻撃を、その「反撃」として、正当化した。
 つまり、大陸の主張では、台湾侵攻は完全な内政問題であり、沖縄に対する弾道ミサイル攻撃は、内政干渉した日本に対する、旧敵国条項適応による正当な「反撃」だった。日本は内政干渉していないと言ったが、台湾防衛戦はすでに始まっており、全ては後の祭りだった。
 実際の処、国連の旧敵国条項は、もう意味を為さない空文だったかもしれない。三大国は現実に即していないとして、大陸の主張を退けたが、空文は空文として存在し、廃案となった訳ではない。理屈として使えるなら、とことん使うのが、外交でもある。屁理屈外交だ。
 そもそも日本は、国連という組織を見誤っていた。国連は、United Nationsの翻訳だが、戦時中、United Nationsは連合国と訳されていた。どちらも同じ組織、連続体だ。だが日本語の中では全く異なる印象を与える。意味が劇的に転換されていた。名訳だったかもしれない。
 連合国対枢軸国。これが第二次世界大戦の基本構造であり、戦後の基本設計でもあったのだ。だから日本はいつまで経っても、常任理事国に入れないという意地悪もされていた。無論、常任理事国になる条件として、水爆保有国にならないといけない裏設定、大人の事情もある。
 旧敵国の日本とドイツに、核武装は許さないというのは、連合国からの呪いだろう。両国の真の国益や国防が、妨げられた。特に危機的な状況では、この制限は大きく響く。
 大陸は以前から、旧敵国条項適応を準備していた。台湾を侵攻する場合、日米が障害となる。合衆国とは武力で決着を付けるしかないが、日本は邪魔である。日米を離反させ、かつ日本の立場を失墜させる。そのために旧敵国条項を使わない手はない。廃案にしなかった国が悪い。
 それこそ、日独伊の三か国は、額を集めて相談した。今さら、こんなものを持ち出されるとは思わなかったが、冗談ではない。現代は21世紀である。20世紀ではない。しかし今から廃案に追い込むのは、遅過ぎた。すでに二大国が利点を見出している。屁理屈だが厄介だった。
 
 今日も政府と与党による合同会議が開かれる。沖縄・台湾問題は重大化した。
 議員一年生は、会議室に着席すると思った。この政府は、何と形容するのが良いのだろう。東京大深度地下政府という言葉が、脳裡に過った。それは、まるで昔のアニメのようだった。異星人に地球侵略を受けて、地下で最後の抵抗を叫ぶ地球防衛軍のようだ。
 そもそも東京の地下に、こんな施設がある事自体、知らなかった。都営大江戸線から繋がっているが、その遥か下まで掘っている。このジオフロント建設のために、大空洞を掘り、大規模原発まで置かれていた。無論、この東京大深度地下政府を生かすためにある。
 この原発は、都内の鉄道全てを、余裕で回せる電力を供給できると言う。日本政府が有事のために隠れて造った地下都市、地下要塞、地下司令部だった。こんな施設、どうやって隠しながら造ったのか、まるで分からないが、少なくとも、相当の予算をつぎ込んでいる。
 彼らは、国民に黙って、内緒で、核戦争を想定した秘密のシェルターを作っていたのだ。戦後、長い間、政権にいた与党の裏の力だった。歴代の政権が協力して、構築してきた。日本の技術の粋が込められている。ただし使えるのは、与党の国会議員等、一部の上級国民のみだ。
 運命の数奇で、議員一年生も、この東京大深度地下政府の一員となった。与党幹事長の傘下の派閥にいるためだ。現在は、政府が閣僚を集めて会議を開いているが、そことモニターで繋がる形で、下部会議も開かれ、与党派閥議員も集まっている。発言権もある。
 日本政府は、大陸から沖縄に対する弾道ミサイルの攻撃を受けて、有事に入ったという認識を持ち、この地下都市に逃げ込んだ。未確認情報だが、核ミサイルも一発だけあったという情報もある。政府は、核戦争も想定した事態を考えて、動いていた。
 核ミサイルの件は、ややあやふやな話だった。だが空中で核の不完全爆発があり、沖縄上空で放射能が検出されている。迎撃したのは米軍ではないと言う。天から一筋の光が落ちて来て、東風21号を貫き、不完全爆発させたと言う。宇宙からの一撃だったと言われている。
 なぜ飛んでいる弾道ミサイルが、核ミサイルなのか、通常ミサイルなのか、分かったのかは定かではない。だが明らかに核ミサイルだけ狙って、破壊されたと情報源は言っている。米軍の技術力は計り知れない面もある。衛星から、攻撃でもしたのかも知れない。
 だが大陸の破壊工作で、合衆国の軍事衛星は殆ど落とされたと聞いている。まだ生き残っている衛星があるのだろうか。米軍からの情報提供はなく、殆ど自衛隊か、日本の諜報機関が集めた情報だった。どうも横田の一件以来、米軍は日本政府と距離を取っている。
 そして今回の事態だ。米軍が沖縄を掌握し、本土復帰前の1972年以前の状態に戻すと、在日米軍沖縄司令官から宣言が出た。日本政府は仰天した。全く了解していないと言ったが、台湾沖で戦闘が始まり、アメリカ第七艦隊も参戦したと聞いて、その時は沈黙した。
 沖縄の新知事の発言が、理由らしいが、そんな事はどうでもいいのだろう。要するに、台湾を守るため、米軍は本気で戦う拠点が必要であり、頼りにならない日本を袖にして、沖縄を安全な後背基地として、使いたいというだけの話だろう。もう同盟国の扱いではない。
 議員一年生は嘆息すると、会議を眺めた。会議は踊る。されど進まずだ。
 地上では、断続的に降る富士山の火山灰に悩まされていた。東京は桜島に近い状態になり、電気が止まり、ライフラインがしばしば寸断された。だが東京には、日本知事会を率いる都知事がいて、精力的な活動を続けていた。彼は地上で、本物の英雄になりかけていた。
 この都知事は、頭が良くて、切れ者でもあったので、打つ政策がよく当たり、大規模災害にも拘わらず、都民の士気はかつてなく高かった。人気取りのパフォーマンスも忘れない。降灰の中、あえてマスクを外して、周囲の者に笑顔で語りかける動画が出回っていた。
 日本政府は当てにならないと、都民や国民からそっぽを向かれたが、政府もそれどころではなかったので、当面の内政は、都知事と日本知事会に任せる事にした。政府は、外から来るとんでもない破局級の事態に、対応しないといけない。人気取りなどやっている暇はない。
 だが東京都知事率いる日本知事会は、政府の危機管理能力のなさを指摘し、政府の一部権限の委譲まで求めてきた。本格的に、地方自治体が連合を組んで、中央政府の切り崩しに掛かってきた。日本を平和な自治国にすると言う。全市町村で、非核平和都市宣言もやるらしい。
 今、新しい情報が入電した。護衛隊群が大陸の艦艇と戦闘状態に入った。双方、被害が出ている。すでに海上の航空戦で、両軍は矛を交えているので、もう戦争状態に近い。今の処、どちらも何も声明は出していない。国連を除けば、無言の戦闘が続いていた。
 その後も台湾沖の戦闘は継続した。日本の海上自衛隊が、アメリカ第七艦隊の穴を埋めた。大陸は作戦を変え、台湾を包囲して、物資を渡さない兵糧攻めに転じた。だが日米の艦隊がいて、台湾の補給路は確保されている。欧州から応援の艦隊も来た。空母もいる。
 米軍は、事前のシミュレーションで、2個艦隊空母4隻投入で、1個艦隊分艦艇を喪失、空母2隻喪失と読んでいた。過程は異なったが、結論は大体同じとなった。未来予測は当たっている。台湾防衛には成功したが、損害が大き過ぎた。アメリカ第五艦隊も疲弊した。
 だが今回の台湾防衛戦では、米海軍の異常な奮闘ぶりが目立った。戦意で大陸を圧倒した。
 昔、ある米海軍将校が「我々は常々、ブルー・ウォーター・ネイビーを目指している」と言っていた。その時は、遠洋航海可能な海軍という意味にしか取らなかったが、もしかしたら全然違った意味もあったのかもしれない。遠くの仲間も見捨てず、必ず助けに行くみたいな。
 Blue water navyという言葉は、外洋海軍と訳される。米海軍の標語だろう。Deep water navyという言い方もある。深海海軍と訳せる。潜水艦の世界か。いずれも、米海兵隊のSemper Fiが対比されるが、たとえ地球がなくなっても、合衆国に忠誠を誓うというのはイカレテイル。
 一つ、いや二つ噂が流れていた。例の超極音速魚雷の件だ。大陸も持っていないなら、一体どこの国が持っているのか?北方の大国か?あるいは海の中に何かいるのか?沖縄上空での核の不完全爆発の件もある。米国の迎撃ではないとしたら一体何か?宇宙にも何かいるのか?
 先の大戦の時もフーファイターの伝説はあった。今回も謎が起きている。不思議だ。
 「……日本はこれ以上の戦闘は望まない。誰か伝えてくれんかね」
 その瘦せた内閣総理大臣は会議で言った。前任者は大陸と交戦が始まると速攻で辞任した。
 「麻布の大使館は応答が全くありません。大陸の大使はいる筈ですが……」
 外務省の担当者が答えた。会議室に困惑が広がった。今次大戦はサイレント・ウォーか。
 「……相変わらず、合衆国大統領とは繋がらんのかね?」
 痩せた総理大臣は言った。台湾防衛戦の勝利宣言だけ、ホワイトハウスで出している。
 「合衆国連邦政府は休業中だそうです」
 痩せた総理大臣はうめいた。ここまで来ると、むしろ笑える。新手の兵法かもしれない。
 「……我々は誰と話せばいいのかね?少なくとも沖縄は取り返さないといけない」
 日本外交は、八方塞がりになりつつあった。開かれているのは、国連チャンネルのみ。
 「ですが、我々は今、旧敵国条項が適応されています。慎重な行動を取らないと」
 実際の処、大陸は台湾侵攻の正当化のために使っただけだが、別の可能性もあった。
 「……日本は国際社会の敵ではない。これは自明の理だ。国際社会に訴えよう」
 「ですが大陸と国連でもやりあう事になります。どうされるおつもりですか?」
 「……それは相手にしないでいいではないか?向こうの言い分に付き合う必要はない」
 総理大臣と外務省の担当者とのやりとりが続いた。反論なしの弁論は、海外では評価が低い。
 「最低一回、反論は必要でしょうな。そもそも――」
 官房長官だった。この人物はまた留任している。相変わらず暗い。昼行灯だ。
 「――United Nationsは日本の敵か味方か?いや、日本はUnited Nationsの敵か味方か?」
 「……君、国連は味方だよ。日本は国際社会と協力して、平和を作らないといけない」
 「今国際社会なんてあるのですか?あるのは敵と味方だけで、先の大戦と同じ状況では?」
 沈黙が訪れた。欧州大戦があり、ここ極東でも、大規模戦闘が起きた。第三次世界大戦か。
 「……これが世界大戦かどうか何て、我々には関係ない。とにかく平和。それが一番だ」
 なぜか痩せた総理大臣は怒っていた。珍しい。低血圧なのに怒る事もあるのか?
 「国連で話すという事は賛成です。とにかく日本の立場を伝えないといけない」
 別の閣僚が発言した。流れ的には、国連を通じて、日本の立場を伝える事になりそうだった。
 「……私はスピーチが苦手だ。英語もできない。誰かいないか?」
 瘦せた総理大臣は言った。別に用意した原稿を読み上げるだけだし、勝手に通訳される。
 「英語が達者である必要はありません。今の国連大使でもよいのでは?」
 先日、今の国連大使は、旧敵国条項の件で、席上泡を食って倒れた。みっともなかった。
 「……誰でもいい。誰か日本の立場を説明してくれ」
 総理大臣がそう言うと、官房長官が嘆息していた。そして一瞬だけこちらを見た。

          『シン・聊斎志異(りょうさいしい)』エピソード80

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