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走れケンちゃん

 ケンちゃんはその知らせを聞いて、激怒した。
 母の連れ子が自殺した。どういう事だ?何が起きている?
 最近、父が再婚した。それはいい。
 だがこの新しい母に連れ子がいて、その若い娘がビルから飛び降り自殺したのだ。
 そしてこのネットに出回る大量の動画は何だ?
 ケンちゃんが知る血の繋がりがない女子高生の自殺動画が配信されている。
 女子中学生二人による電車の後追い自殺まで起きていた。社会問題だ。
 自殺した女子高生の遺書も、ある種の檄文のように、読み回されている。
 もしかしたら、あの女子高生は、文学的才能もあったのかも知れない。名文だ。
 それは悲劇であり、犯罪であり、ポルノでさえあった。もの凄い数のビューがついている。
 この遺書に寄れば、血の繋がりがない連れ子は、父によって犯されていた。
 それが原因で自殺したと読める。というか、そう解釈する他はない。
 ケンちゃんは憤った。こんな不義を許していい訳がない。
 悪逆非道な父は倒すべき存在だ。弾劾する。
 自分は最初から狙われていたと記述していたが、それはケンちゃんも感じていた事だ。
 悔やまれる。高校入学と合わせて自分を家から遠ざけたのも、このためだったのだろう。
 少し悪い予感はあったが、まさかそこまで父が非道だと考えていなかった。
 だがあの父なら、やるかも知れない。いや、やるだろう。倒さないといけない。
 ケンちゃんは走った。借りている部屋から実家までひとっ飛びだ。
 実家はお葬式をやっていた。無論、自殺した血の繋がりがない姉妹の葬儀だ。
 ケンちゃんはこれに呼ばれた形で、その死を知ったが、お通夜は出ていない。
 遺体は原形を留めていないくらい損壊していたらしいが、一目会いたかった。
 最後の会話が脳裡に過る。「気を付けて」とは誰の事だ。自分自身が迂闊ではなかったか?
 ケンちゃんは、父と新しい母の姿を認めると、真っ直ぐ向かった。新しい母は動揺している。
 「……あの動画は何だ?」
 事実を突き付けた。だが父は怪訝な顔をした。ケンちゃんはスマホを取り出し、再生した。
 「……全ての男たちに苦しみを!全ての女たちに悲しみを!リセット・ザ・ワールド!」
 自殺した女子高生の声が響いた。聞き覚えがある。家族の声だ。父は顔を顰めた。
 「その動画は警察によって禁じられている。視聴してはならない。今警察が調べている」
 「……遺書を見ただろう。ネットで出回っている。恥を知れ!」
 ケンちゃんは怒号した。だが新しい母が取り直した。
 「あの子は心療内科に通院していたのよ。在り得ないものが見えるとか言って……」
 新しい母は、診断書を渡してきた。やけに用意がいい。
 幻視あり。非論理的、非科学的言動あり。医師の所見として、そう書かれていた。
 在り得ないものが見えるというのが、仮に病気だったとしても、父がこの娘を犯してよい理由にはならないし、ましては隠蔽、誤魔化しの手段に使うなんてとんでもない。
 それにしても一体何だ?この新しい母は?自分の子ではないか?意味が分からない。
 「とにかく、今は葬式だ。落ち着け。ケン」
 父は言った。ケンちゃんは両親から離れると、お棺に向かった。在りし日の女子高生の写真も立てられている。お棺の窓は閉じていた。顔を見る事はできない。だがケンちゃんは涙した。
 ――ゴメン!俺が迂闊だった!もっと気を付けていれば、こんな事にならなかった!
 ケンちゃんが手を合わせつつ、泣き崩れると、葬儀に参列していた婦警さんが助け起こした。
 「すみません。みっともないところ見せちゃって……」
 ケンちゃんは婦警さんに謝った。だが婦警さんは微笑んで言った。
 「ちょっと向こうでお話ししましょう」
 二人は式から離れた。両親はそれを黙って見送り、何も言わなかった。
 「……自殺する前に本人から警察に相談があったのよ。私が対応した」
 ケンちゃんは顔を上げた。何だって?
 「……でも警察は科学捜査で動くものなの。だから確たる証拠がないと」
 婦警さんは残念そうに言った。ケンちゃんは言った。
 「これから調べれば出て来るんじゃないですか?」
 婦警さんは、それは難しそうだと言った。理由までははっきり言わなかった。
 「……相談に来たのが最初の夜から数日後だったし、身体に体液が残されていた訳でもない」
 「本人の証言は?」
 婦警さんは首を静かに振っていた。あの診断書か。父と新しい母は黙秘している。
 「……でも人が死を選ぶには、ちゃんとした理由がある。将来に対する漠然とした不安なんかで、自殺したりしない」
 その婦警さんは言った。何だそれは?そんな話になっているのか?
 「あの遺書と動画は警察でどう見ているのですか?」
 「……参考程度にしかならないのよ。データはいくらでも加工できるから」
 婦警さんは残念そうに言った。
 「じゃあ、父が捕まる事はないんですか?」
 ケンちゃんは叫んでいた。婦警さんは何も言わなかった。すまなそうな顔をしている。
 「分かった」
 決意した。この世の力で正せないなら、あの世の力を借りるまでだ。
 ケンちゃんは、小学三年生の時、聖母マリア幼稚園という処に数日間送られた事がある。
 クラスでスカートめくりをやっていたら、先生たちに怒られて、校長室でマリー・マドレーヌに出会った。彼女は英語の先生兼シスターだった。聖母マリア幼稚園の保母さんでもある。
 それからケンちゃんは、聖母マリア幼稚園に通う事が決まり、毎朝小学校からクレープ屋さんが運転するTOYOTAのバンで出発して、暴力シスターからブートキャンプを受けた。それ以来、スカートめくりはやらなくなった。決してあの訓練のせいじゃない。アレは要らない。
 マリー・マドレーヌ。不思議な人だった。幼稚園も変わっていた。
 あれはどう考えてもおかしい。今考えるとあの世か、異世界だったのではないかと思うようになった。神隠し的に行ける世界だ。どうやって行くのか分からない。
 ケンちゃんは、まず小学校に行った。グラウンドに立つ。
 ここから出発して行った事は間違いない。あの時は、クレープ屋さんが運転するTOYOTAのバンで行っていたが、今度はこの足で行かなければならない。トンネルがあって、雪景色が広がっていた。仙人と花咲爺とサンタクロースがいる老人ホームが隣にあった気がする。
 これから走る。長距離だ。ケンちゃんが準備運動をしていると、ふらりと背広を着た中年の男性が現れた。どう見ても、学校関係者ではない。真っ直ぐ近づいて来る。誰だ?
 「……これから行くのか?」
 その男は言った。全く知らない。初対面だ。だがケンちゃんは頷いた。
 「じゃあ、こいつを仙人に返しておいてくれ」
 聖徳太子の一万円札だった。意味が分からない。男はあっと言う間に立ち去った。
 ケンちゃんは首を傾げながら、その旧札を財布に入れた。とにかく、行かなければならない。
 それからケンちゃんは、小学校のグラウンドを出発した。曖昧な記憶に基づいて走る。小学校には問い合わせない。あの時、暴力シスターのブートキャンプが終わって、母校に帰ると、皆全部忘れていたからだ。ちょっとした浦島太郎だった。アレは一体何だったのか?
 ケンちゃんは走った。聖母マリア幼稚園を目指して。もうマリーさんに頼むしかない。このままでは死者たちは浮かばれない。この世的にも不義だ。これは正しい事じゃない。
 何が何でも、正さないといけない。そういう使命感で走った。だが自分がどこに向かって走っているのかよく分からなかった。とにかく走る。それしかない。心胸(むね)には不義に対する憤りが駆け巡っている。心臓が破れそうだ。走れケンちゃん!もうそれしかない。
 夕暮れ時、ケンちゃんはとうとう力尽きて、見知らぬ街で空を見上げていた。
 「……マリーさん」
 ケンちゃんは涙していた。スカートめくりをしていたら、母が離婚した。あれから母とは会えていないが、マリーさんとは会えた。それだけが救いだった。自分は悪い子だった。だがマリーさんは毒消しをしてくれた。そして恋の夢さえ見せてくれた。また会いたい。もう無理か。
 ブッブーと不意に車のクラクションが鳴った。TOYOTAのバンだ。焼き芋屋さんだ。
 数年前と変わらない姿で、あの美少女が運転席から、クラクションを鳴らしている。
 ケンちゃんは慌てて立ち上がると、美少女が「ん」「ん」と顎で乗車を促した。
 「送る」
 ただ一言、その焼き芋屋さんは言った。ケンちゃんは嬉しかった。助かる。前はクレープ屋さんだった。トンネルを抜けると、そこは雪景色だった。いや、花景色だった。どっちだ?
 「何だ。また来たのか?」
 車を降りると、サンタクロースが出迎えた。近くに花咲爺と仙人のお爺さんがいる。ケンちゃんは懐から財布を取り出すと、聖徳太子の一万円札を仙人に渡した。
 「ありゃ、これは……。お前さん、あやつに会ったのか?」
 ケンちゃんは頷いた。よく分からないが、色々な想いを乗せて、ここに辿り着いた気がする。
 聖母マリア幼稚園に入る。果たしてそこにはマリーさんがいた。
 「あ!ケンちゃん!どうしたの?」
 まるで時間の経過を感じさせない言い方だった。いや、ここでは時間の流れも異なるのかもしれない。ケンちゃんは心胸が詰まって、すぐに言葉が出なかった。
 なぜか水を飲まされて、背中をさすられた。深呼吸さえする。園児か。
 「……それでどうしたの?」
 ケンちゃんは全部喋った。スマホを出すと、電波の受信状態がおかしな記号になっていたが、気にしないで、自殺した女子高生の動画と遺書を見せた。マリーさんは困っていた。
 デス・サイズを持った焼き芋屋さんと、黒い三角頭巾の不吉な男も控えている。
 「悲しいけど、あなたのお父さんはいずれ因果が応報して滅びる。問題はこっちね……」
 マリーさんはネットに拡散した動画を見ていた。一度広がったものはどうにもならない。
 「そんな事はない。消せる方法はある」
 そうなのか?本人が広めたものだが、消した方がいいだろう。後追い自殺も起きている。
 「宇宙人なら技術的に消去は可能。あとは電子使いという超能力ね」
 「……電子使い?」
 「地球人類にはまだいないかも知れないけど、宇宙人にはそういう超能力を持つ者がいる」
 マリーさんは不思議な事を言った。この人は宇宙にまで繋がっているのか?
 「私の方から頼んでみるよ。この案件は小死神にも頼まれているから」
 ケンちゃんは安堵した。ここまで来た甲斐があった。懐かしのマリーさんにも会えた。父は因果が応報して滅びると言われたが、不義が正されるなら、それはいい。しかしそれは具体的にどういう形を取るのかまでは分からなかった。だがマリーさんが言うなら間違いない。
 それからケンちゃんは、暫くの間、聖母マリア幼稚園で、皆と話し合った。
 サングラスを掛け、加熱式タバコを咥えた暴力シスターに再会したのは、言うまでもない。

          『シン・聊斎志異(りょうさいしい)』エピソード56

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