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地獄の閻魔帳

 「お前、地獄行き。確定な」
 閻魔大王はポンと判子を押した。決裁書類が官吏に回される。
 その眼鏡を掛けたドロドロ、もとい元執行役員はダラダラと脂汗を流していた。溶ける。
 意味が分からない。これは何だ?なぜ俺は裁かれる?弁護士はどこだ?
 眼鏡を掛けたドロドロは左右を見た。そこは役所でありながら、裁判所でもあった。閻魔大王が中央の大きな椅子に座っている。聖徳太子みたいに手に笏を持ち、朱色の冠を付けていた。
 右側に官吏たちが立ち、左側に鬼たちが立っている。威圧的だ。なぜか周囲の壁に、十七条の憲法が張り出されていた。どこか飛鳥時代の日本のようだった。建物も朱色で雅だ。
 眼鏡を掛けたドロドロは、ここに来るまでを思い返した。
 気が付いたら、五里霧中の中にいて、彷徨い歩いたら、三途の川とやらに出た。そこで奪衣婆とカローン(懸衣翁)に意地悪をされた。川を渡るのに、金を取ると言うから、カードを出したら、お前は信用がないから使えないと言われた。けしからん。渡し場で口論した。
 結果、酷いボロ船で渡されたが、途中で浸水して、事もあろうか、沈没した。賠償金を請求される前に慌てて、川を泳いで渡ったら、川底にお金とエロ動画があったので、寄り道した。だが気が付いたら、赤鬼に見つかって、引っ立てられて、ここに連れて来られた。
 「……待ってくれ!これは何だ?俺は夢を見ているのか?」
 眼鏡を掛けたドロドロは叫んだ。赤鬼に引っ立てられそうになる。
 「夢?お前にとって何が夢で、何が現実なのか知らんが、お前の人生は見るに耐えん」
 閻魔大王は、照魔の鏡から投影されたドロドロの人生を、倍速視聴していた。1.5倍速だ。
 その人生動画にはタイトルが付いていた。『執行役員の愉悦』だ。
 ちょうど『トキメキ!ラブラブハイスクール』で、デリヘル嬢を選んでいるシーンが映し出された。一生懸命選んでいるが、顔が全部加工されているので、執行役員は不満そうだった。
 仕方ないので、身体を基準で選び直して、「ブラックウォーター」さんを指名する。
 果たして、そのデリヘル嬢がやって来るが、執行役員は思わず、「チェンジ」と言いかけるが、その瞬間、後頭部が豆電球のようにパッと瞬いた。要は顔を見なければいい。
 そのデリヘル嬢は、頭にスーパーの紙袋を被せられて、後ろからやられていた。
 「ブラックウォーター」さんは一生懸命、アニメ声を出していた。だが心の中では、悔しそうだった。あまりに惨めで泣いている。その様子が二重写しのように分かった。
 その女は苦しんでいた。恨んでいた。眼鏡を掛けたドロドロの色が、より黒くなった。
 「何だこれは……」
 眼鏡を掛けたドロドロは、ずり落ちる眼鏡を必死になって直した。油汗が止まらない。
 「お前はこのデリヘル嬢に優しく接したか?していないだろう?雑に扱ったな?」
 閻魔大王がそう尋ねると、眼鏡を掛けたドロドロは、よりドロドロとなった。
 「昔の人も言っているだろう。止むを得ない事情で春を売っている女には優しくしろと」
 出典不明のお言葉だ。閻魔大王のお言葉かもしれない。有難く拝聴する。
 またシーンが切り替わった。連れ子の女子高生が自殺した。すぐに警察がやって来て、最近の娘の様子を色々聞いた。その執行役員は重々しく口を開いた。あたかも文学者の如く。
 「……娘は、将来に対する漠然とした不安(注31)のような事を言っていました」
 話を横で聞いていた婦警さんが内心、怒っている様子が、二重写しで分かった。心の中で嘘吐きと言っていた。突然、「ピンポーン!」と正解音が鳴って、「嘘」という黒い文字が飛んで来て、眼鏡を掛けたドロドロにペタッと張り付いた。取れない。慌てた。
 他にも似たようなシーンが続き、眼鏡を掛けたドロドロは、「嘘」だらけの耳なし芳一状態になった。それは黒い文字列となって、眼鏡を掛けたドロドロの表面をグルグル駆け巡る。
 「まずお前は嘘が多い。だから存在自体、嘘に近くなる」
 閻魔大王は、「嘘」だらけの耳なし芳一状態になったドロドロを見た。
 シーンが切り替わった。自殺した女子高生が怨霊になって暴れていた。自殺動画を足場に、地縛霊であるにもかかわらず、ネットを通じて、どこにでも現れていた。DX化した怨霊だ。二人の女子中学生が、後追い自殺する様子が映し出される。この二人もDX化している。
 肉片を配信してしまった女子大生が、深刻なPTSDを患っている様子も映し出された。
 シーンが切り替わって、今度は息子が出て来た。ケンちゃんだ。女子高生のお葬式で、執行役員を弾劾している。そしてお棺の前で泣いていた。するとお棺の近くに、自殺した女子高生が姿を現していた。両手で顔を隠している。泣いているのか?その身が震えている。
 それから息子は、婦警さんと話し、さらに小学校に行って、なぜか長距離走を始めていた。意味が分からない。だが息子が憤っている事だけはよく分かった。謎の幼稚園に辿り着き、そこで完璧な顔をした保母さんと話していた。在り得ない顔だ。美しい。見た事がない。
 眼鏡を掛けたドロドロは、思わずずり落ちる眼鏡を必死になって直した。
 誰に何と言われようと、女の顔にはこだわってきた。特に10億を超える遺伝子のプールから生成される中国女の顔を、数限りなく見てきた。だがこの顔は全てを超える。何だ?この女は?
 「お前の息子は、聖女マグダラのマリアに会っている」
 閻魔大王が告げると、ケンちゃんの過去シーンが映し出された。マグダラのマリアが十字を切って、スカートめくりのケンちゃんの毒を消していた。両目から黒煙が出て、消える。
 一体何が起きているのか、理解できなかった。だがシーンは続いた。
 全く知らない若い女が出てきた。マルチ・モニターの自室から、テレワークしていた。ITエンジニアかもしれない。だが驚いた事に、この若い女は、ネット上の女子高生の自殺動画と遺書を全部消していた。完璧に。ついでに女子中学生の動画と肉片動画も消していた。完璧に。
 自殺した女子高生と、二人の女子中学生の様子が変わった。ただの地縛霊となったのだ。動画が消されたので、DX化の呪いが解けている。もうネットを通じて駆け巡れない。解呪だ。ついでに、肉片を配信してしまった女子大生もPTSDが軽減されて、穏やかになっていた。
 眼鏡を掛けたドロドロは、沈黙している。理解が追い付かない。
 だがついに、女子高生に対する暴行のシーンが始まった。無論、執行役員によるレ〇プだ。
 閻魔大王は、照魔の鏡から投影されたこのシーンを、通常の速度で視聴していた。
 それは凄まじい世界が、二重写し、三重写し、多重写しに展開されていた。
 その女子高生の心の中で、あらゆる希望、あらゆる夢が砕けて、散って逝った。本来、約束され、用意されていた運命のルートが、破壊されて、閉ざされて行く。破壊は並行世界にまで及び、彼女の運命が大きく狂っていた。彼女は約束した人と出会えない。可能性の死だ。
 この性〇暴行は、この女子高生の心という一つの宇宙の大破壊だった。
 少女の絶望が、希望から絶望の相転移が、宇宙さえも破壊する。負のエネルギーだ。
 そして呪いが誕生する。ブラックホールだ。全てを飲みこむ特異点が誕生する。
 呪いの女が誕生していた。DX化して、自殺動画を足場にネットを駆け巡る。他の人の世界を破壊し始める。その結果、波及的に並行世界も乱れる。絶対者もフォローし切れない。
 恐ろしい大破壊だった。レ〇プとはこういうものなのか。これは運命の世界の核爆発だ。
 無論、合意があれば、こんな事にならないが、運命から見て、これはただの生殖行為、快楽行為ではない。恐ろしく相手の心を傷つけ、他の人にまで影響が出る。宇宙が壊れる。
 眼鏡を掛けたドロドロは、理解できなかったが、沈黙した。意味が分からないが、反論が許されないという事だけは理解した。だがまだ交通事故くらいの感覚だった。
 ふと人生動画が、別れた妻のシーンに切り替えった。出会った時は、まだ少女の面影が強い顔立ちだった。少し夢見がちだったが、日本的な美の空間を作れる女だった。だから選んだ。だが年を取って、容貌に陰りが出た。だがそれは、完全に大人の女性の顔になっただけだ。
 17歳から19歳にかけて、女性の顔が変化する。過渡期で、少女の顔から大人の女性の顔に変わる。だがこの妻は、どういう訳か、かなり長い時間をかけて、顔をゆっくり変化させた。
 だから選んだのだ。無論、そんな話など妻は知らない。
 妻は間男に騙されて、困窮して死んでいた。そしてなぜか最期に、息子と会っている。
 デス・サイズを持った死神美少女がいた。妻を救うため、その力を使い果たしていた。
 見ていて不思議だった。破壊があり、それを修復しようとする動きが必ずある。レジリエンスか。世界には世界性があるのかもしれない。世界は神の庭か。仏の手の平か。
 「……悪魔は存在するのか?」
 眼鏡を掛けたドロドロは、問うた。閻魔大王はシーンを切り替えた。
 「これか?」
 2メートルを超える黒マントの大男が、執行役員を喰らうシーンが流れた。
 不可解な死だった。理不尽過ぎる。意味が分からない。だが死んだ事は間違いない。
 「類は友を呼ぶだな。あやつもお前と似ていると言っていただろう」
 眼鏡を掛けたドロドロは考えた。波長同通、類は友を呼ぶ。
 「……俺は悪魔だったのか?」
 閻魔大王は、元執行役員を見た。
 「このまま行けばな。不幸中の幸いか、そこまで行かずに止まったという訳だ」
 「俺は間違っていたのか……?」
 元執行役員は考え始めていた。閻魔大王は、官吏から書類を取り寄せた。微修正する。
 「……お前に用がある女がいる。誰だか分かるな?」
 閻魔大王がそう言うと、元執行役員は頷いた。
 それは赤い目をした長い髪の女だった。元女子高生にして、呪いの女だ。
 法廷に立っている。断罪するように、元執行役員を指差した。
 「許さない」
 重い一言だった。閻魔大王は鬼に命じて、呪いの女を傍聴席に下がらせた。
 「……という訳だ。少なくとも彼女の怒りを解かないと、お前は地獄から出れないだろう」
 元執行役員は沈黙していた。何が間違っていたのか。そもそもこんな世界知らない。
 「知らないというのは、言い訳に過ぎない。真理は常に説かれている。聞かないお前が悪い」
 閻魔大王は言った。知らなかったし、信じられなかった。今見たものが全て真実なのか?
 「……多少、正気に返ったようだが、遅過ぎたな。お前が行くべき世界で反省しろ」
 「最後に訊かせてくれ」
 「……何だ?」
 「どうして悪魔は存在する?」
 「……世界に物語があるからじゃないか?善悪が存在する限り発生する。そして人間は善悪の狭間に立っている。神の方に行くか、悪魔の方に行くかは、本人の自由だ」
 「なぜ自由がある」
 「……自由だからだ。自由がない世界は、それはもはや世界ではない」
 元執行役員は、迷路に入り込んだ。悪、自由、狭間、分からない事だらけだ。なぜ悪魔が存在する?神がいるからか?神がいて、悪魔が存在する。そして物語が誕生する。世界だ。
 「精々、考える事だな。地獄では時間はたっぷりあろう」
 元執行役員は、鬼に引っ立てられて、退場した。呪いの女がそれを見送っていた。
 閻魔大王は嘆息すると、地獄の閻魔帳を閉じて、官吏に回した。間を置かず、また次が来る。
 
 注31 芥川龍之介の言葉とされる。死ぬ前に周囲に漏らしていたらしい。
 
          『シン・聊斎志異(りょうさいしい)』エピソード59

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