ミッチー

40過ぎて、昔習った剣道を再開しました。おかげで、第二の人生を歩んでいます。野球、サッ…

ミッチー

40過ぎて、昔習った剣道を再開しました。おかげで、第二の人生を歩んでいます。野球、サッカー、テニス、バスケ。スポーツするのも、観るのも好き。

最近の記事

サッカー好きの悲しいジンクス

日本がグループ1位で決勝トーナメント進出。中学時代、サッカー部、大学でサッカーの同好会、社会人になっても、草サッカーや、フットサルをやっていた自分にとっても、大変嬉しいことです。だけど、私には悲しいジンクスがありまして、ことサッカーの試合だと、私がTVでライブで見た試合は必ず負けるというのがあります。信じられないですが、最初のドイツとの試合、ジンクスが怖くて、見ませんでした。翌日「ドーハの歓喜」に変わったと。私、ドーハの悲劇の時も見てしまったんです。もう、ジンクスはなくなった

    • 我が青春の文芸坐

      私が育った時代は、よく言えば高度成長期。娯楽は今より多かった気がする。中でも映画は東映、東宝、松竹、日活など映画会社が元気でどんどん映画を作っていた時代だ。それまで映画の主役は大人だった。もちろん子連れの客はいたが、子供向け映画が出てきたのは、私が小学生になってからだった。東宝は、ゴジラ、ガメラなどの怪獣映画を作り、春休み、夏休みに合わせて公開していた。東映もまんが祭りと言って、まんが映画、当時はアニメという言葉はまだなかったが、同じく、休みに合わせて公開していた。今でも鮮明

      • 我が青春の文芸坐

        私が育った時代は、よく言えば高度成長期。娯楽は今より多かった気がする。中でも映画は東映、東宝、松竹、日活など映画会社が元気でどんどん映画を作っていた時代だ。それまで映画の主役は大人だった。もちろん子連れの客はいたが、子供向け映画が出てきたのは、私が小学生になってからだった。東宝は、ゴジラ、ガメラなどの怪獣映画を作り、春休み、夏休みに合わせて公開していた。東映もまんが祭りと言って、まんが映画、当時はアニメという言葉はまだなかったが、同じく、休みに合わせて公開していた。今でも鮮明

        • #あの会話をきっかけに

          父の死を境にして、母の認知症が進んでしまった。長男である自分は、持ち家はあるのだが、実家で母と暮らしている。認知症の母を説得するのはことのほか難しい。これでも自分は若い時は教員のはしくれで、言うことを聞かない生徒は、もちろん、常識外れのことを平気で口にする同僚や、子を守るためなら何でもするモンスターと渡り合ってきたのだ。見かけはあくまでも微笑みながら。しかし、こんな強敵は見たことがない。ボスキャラが自分の母親だとは。夫を失った直後は悲しみに暮れて元気がなかったが、自分がなんで

        サッカー好きの悲しいジンクス

          家族との絆

          私は2年前に25年以上連れそった妻と離婚した。娘2人は妻について行った。1人郊外の一戸建てに住んでいた。都内に住む父の容態が今年の2月から悪くなり、母も本人は自覚がないが、認知症でお医者さんとの話がわからない。仕事を休んで、病院の予約に数回ついて行った。頼んでくる時には、しおらしく、頭を下げてくるのだが、お医者さんから言われた生活改善のこと、妹から言われた、両親と同居の件など、話をすると、「お前は関係ない。」と怒鳴りつけてくる。そしてまた病院の予約が近づくと、手のひら返して頼

          家族との絆

          おじさんとネズミ

          会社から出て、帰宅しようと、薄明かりの町を歩いてたら、脇の草むらから、何か、飛び出した。猫か?と思ったら、小さい。それは茶色いネズミだった。そいつは、道の真ん中で固まってた。目の前にゴミ捨て場。もちろん、ゴミは回収されて、ない。自分と目があった瞬間、来た時よりも素早く、草むらに飛びこんだ。今ごろ、奴は、仲間に、「人間と目があったけど、ガン飛ばしてやったぜ。その人間は、逃げてった。」と自慢してるだろう。笑。

          おじさんとネズミ

          日本経済を支えるものがわかった。

          うちの会社は始業が遅いので、いつも電車が空いている。座れる時も多い。今朝は、サプライヤーとスカイプでオンラインミーティングがあるので、早起きした。カナダなので、自差があるから、夜遅くか、早朝しかないのだ。交渉で、日本時間の8時にしてもらった。駅までの道は、いつもより人通りが少ない。7時前だから。駅に着いて驚いた。ホームには人が溢れていた。早朝の方が混んでいる。コロナが始まった時に、在宅勤務が出来ない自分は時差通勤を選んだ。早くするか、遅くするかで、遅くしたのだが、正解だった。

          日本経済を支えるものがわかった。

          現実の自分と理想の自分を入れ替える。パート2

          前に書いた、「現実の自分と理想の自分を入れ替える。」には続きがある。その時は夢で理想の自分を見せられて、そこにたどり着くには、もちろん本人の努力が必要だけど、大事なことは、小さな『勇気』だった。友達に自分から話かけること、授業中に先生の質問に答えること、部活に入ることだった。最初の友達に話しかけることは、小学生のイジメでトラウマになってたから、かなり勇気が必要だった。だから、中学校に入って、友達かいなかったし、剣道部がなかったから部活に入らなかった。それがある日を境に自分から

          現実の自分と理想の自分を入れ替える。パート2

          現実の自分と憧れの自分を入れ替える。

          自分は小学生の頃、誰が見ても完璧な、「のび太」君だった。勉強が出来ない。スポーツが出来ない。泣き虫、弱虫だった。両親はそんな自分が心配だったんだろう。よく押し入れに入れられたり、外に出されて鍵をかけられた。ケンカして、負けて泣いて帰ったら、「勝つまで帰ってくるな!」と外に出された。ドラえもんは当時好きなマンガだった。のび太がドラえもんのおかげで、ジャイアンやスネ夫に仕返しするのが痛快だった。だけど自分にはドラえもんがいない。ドラえもんの中では、ジャイアンとスネ夫が1人ずつだけ

          現実の自分と憧れの自分を入れ替える。