我が青春の文芸坐

私が育った時代は、よく言えば高度成長期。娯楽は今より多かった気がする。中でも映画は東映、東宝、松竹、日活など映画会社が元気でどんどん映画を作っていた時代だ。それまで映画の主役は大人だった。もちろん子連れの客はいたが、子供向け映画が出てきたのは、私が小学生になってからだった。東宝は、ゴジラ、ガメラなどの怪獣映画を作り、春休み、夏休みに合わせて公開していた。東映もまんが祭りと言って、まんが映画、当時はアニメという言葉はまだなかったが、同じく、休みに合わせて公開していた。今でも鮮明に覚えているのは、「長靴をはいた猫」。とにかく面白かった。この映画には宮崎駿先生が関わっていたと知って、なるほどと思った。東映まんがまつりのロゴマークは「長靴をはいた猫」だ。さて、長い休みのたびに映画はやってたが、毎回観に行ったわけではない。子供どうしで観に行くのは禁じられていた。一度父が私と友達を子供の映画に連れて行ってくれた時は、露骨に嫌な顔をされた。それ以来父には頼まなかった。中学生になると、今度は友達と行けたが、部活が忙しくて行けなくなった。ただその時はまんが映画を中学生が見に行くのは幼稚という風潮だった。高校に入った時、家から1番近い大きな駅は、池袋だった。アニメの聖地化している今の池袋と違い、どうやっても渋谷、新宿には勝てない印象だった。そんな池袋の路地脇に文芸坐はあった。昔公開された映画を期間を限って再上映していた。こういう小さな映画館は文芸坐だけでなく、新宿、渋谷、高田馬場、五反田、丸の内、上野、銀座にもあった。高校の時、人気があった雑誌は「ぴあ」だった。この雑誌には毎週日本全国の映画館の情報が載っていた。毎週のように買い、1人で夜まで映画を見ていた。だが、だんだん映画の人気はなくなり、都内の単館上映館は無くなっていった。大学4年の時、夏の暑い日にスーツ姿で就職活動をしていた。(今日は一社行ったら帰ろう。)と思っていたら、偶然文芸坐の前を通った。看板には(スターウォーズ祭り)とあった。スターウォーズが3本立てで観れるのだ。時間を見たら、一本めが始まる直前だった。コンビニでおにぎりと飲み物を買って、切符を買った。合計6時間。映画を見終わったら夕方だった。でも、おかげで元気が出て翌日からの就職活動を頑張れた。しかし、すぐに文芸坐はファンに惜しまれながら、閉館した。今でも映画と共に若い頃が思い出される。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?