#あの会話をきっかけに

父の死を境にして、母の認知症が進んでしまった。長男である自分は、持ち家はあるのだが、実家で母と暮らしている。認知症の母を説得するのはことのほか難しい。これでも自分は若い時は教員のはしくれで、言うことを聞かない生徒は、もちろん、常識外れのことを平気で口にする同僚や、子を守るためなら何でもするモンスターと渡り合ってきたのだ。見かけはあくまでも微笑みながら。しかし、こんな強敵は見たことがない。ボスキャラが自分の母親だとは。夫を失った直後は悲しみに暮れて元気がなかったが、自分がなんでも身の回りのことに口を出すようになると、「息子のくせに。」「伊達に長く生きているんじゃないんだ。そんなことはわかってる。」とまるで、女王様に使える下僕の扱い。嫌になって、自分の家に週末は逃げ帰っていた。もちろん平日は実家にいるのだが、しかし、仕事があるので、昼間は母1人になる。母は元々は社交的で、職人気質の父とは対照的に友達も多かった。が、コロナの蔓延で、外出も出来ず、友達の家に行くこともなくなった。地方自治体のデイサービスを頼もうとしたが、母は頑なに拒否した。1番心配なのが、火の扱いだ。今までに、味噌汁、カレー、おでん、煮物など食べ残したものに火をかけて、そのまま忘れて鍋を焦がした。火事になるかと、怒り、なだめすかして、あらやる説得を試みたが、ダメだった。60年以上主婦をやったプライドが、息子に諭されることを許さないのだ。それは大喧嘩の中で、思いもしないで、私の口から飛び出した。「火をつけたら、そこを離れてはいけない。もし、どうしても離れる時は、火を消す。それはお母さんが俺に教えてくれたことじゃないか。」説得しようと思い、言った言葉じゃない。教員の時に身につけた話術じゃない。心から、溢れ出た言葉だった。「わかったよ。」母は小さな声でつぶやいた後に、泣いた。私も自分の部屋に戻って泣いた。今でも母は、私の目を盗んで火を使う。でも最近は鍋を焦がすことがなくなった。以前より話を聞くようになった。まだまだ介護の闘いは続く。

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