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☆本#181 20代でベストセラー映画化「原田康子 『挽歌』から『海霧』まで」(財)北海道文学館編

3年ほど前に「挽歌」を読んで気に入り、ほかの作品も読んできたけど、著者にも興味があったのでこの本も読んでみた。
存命中の出版には間に合わなかったこの本には、エッセイや、対談、短編等が含まれている。

原田康子は東京生まれだったけど、2歳の時からずっと北海道で暮らし、最後まで北海道を拠点として過ごした。田辺聖子と同じ年の生まれとは知らなかった。

エッセイで意外なエピソードを知った。例えば映画化された「満月」のキャストは最初薬師丸ひろ子と中井貴一とか。オリジナル(原田知世と時任三郎)も観たことないけど、こっちも観たい。

短編を読むと、他に作品も読みたくなった。多分「挽歌」が売れすぎて、芥川賞にカウントされなかったんだろうな。というか、同時期にすぐ映画化されたから、文学のほうではカウントされなかったのか。どうも映画の原作としてのほうが話が先に進んでいたらしい。

50代後半で、身体が弱いにも関わらずスペインに取材旅行している。こういうの知ると作家って年齢ほんと関係ないなと思う。

さらに、70歳過ぎてから取材を開始して、「海霧」という長編を書き、賞を獲る。これもすごい。自身の叔母らの実話をベースに描いた話。この叔母がかっこいい。しかし短命。彼女の作品でいちばん印象に残っている女性。女性の幸せって何だろうと考えさせられた。

両親の本棚に翻訳された小説があり、日本の作家より外国の作家の本をよく読んでいたらしい。「挽歌」は昭和初期~中期が舞台の割には、その時代感が薄いので、その影響かもしれない。

原田康子は昭和2年生まれ、6歳上の夫は大正生まれ。エッセイで登場する夫は、あまり家父長制っぽくない。奥さんが作家でもそのことに文句を言うこともなかったようだし、子供がいなかったことでさらに仲が良かったのか。23歳のとき、28歳まで小説を書きたいので結婚する気はないと言ったら、プロポーズ時に小説を書いてもいいと言われて結婚したそうだ。

美術家の篠田桃紅は、大正2年生まれ。10代の適齢期は戦時中で、結婚した友人の夫が戦死したり、自身は結婚に興味を持てず独身を貫いた。一方、彼女より14歳年下の原田康子は、釧路で二人目の女性記者で、まわりはすべて男性だった。
なんというか、環境ってどういう決定をするかに思いのほか大きい影響を及ぼしてるのでは、と思う。

原田康子の夫は82歳で亡くなり、同時期入院していた彼女は死に目に会えなかったという。肺癌で夜苦しいと病室で彼女の名を読んでいたというエピソードは悲しい。せめて携帯で会話でも出来てたらいいなと思う。今世紀に入ってからの話だし。

5年後、原田康子は81歳で亡くなる。ちょっと早すぎる。夫婦の若いころの戦争も含めた話を元に構想を練っていたようなので、もう少し長生きして欲しかった。

改めて、いくつか彼女の本を読みたくなった。



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