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お菓子の空き缶がつくる聖域

幼い頃、おうちでクッキー缶を見かけるとうれしくなった。頑丈で、やや大きめ。閉めるときはわずかにチカラが必要で、開けるときにはパカンと音がする。ふたに重い何かを落とすとへっこみができる。うちは上品な家柄ではなかったので、家にあるとしたら頂いた贈り物だったのだと思う。

食べ終えたら、母にお願いして空になった缶をもらう。その中には、いつもお気に入りの小物を入れていた。兄の影響で少年ジャンプや少年マガジンを読みながら育つ一方で、私はかわいいキラキラしたものが好きな女の子だった。

キャラクターのシール。おやつや雑誌に付いていたおまけ、新しく買ったペン。選び抜かれた精鋭たち。大切に缶へ仕舞ったら、ときどき思い出したように開けて、そのたび心をときめかせる。

少し大人になったら、お気に入りのマンガだけを本棚に並べたがったし、もう少し大人になったら、お気に入りの言葉だけを手帳に書き留めるようになった。この雑多な広すぎる、ときに生きづらい世界で、ほんの小さな空間に自分の聖域を作ろうとしていたのかもしれない。


そんなことを思い出したのは、長男が食べ終えた高級チョコレートの缶を欲しがったからだ。上質なお菓子は相変わらず頂き物ばかり。個装に身を包み、凛とした表情で並ぶ甘味を、毎日コーヒーのお供に食べるのが楽しみだった。

缶の中に何を入れるの、と私は訊いた。彼はちょっとはにかむように笑いながら「まだきめてない」と言った。

数日前、長男はダイニングテーブルで小さなメモ帳に黙々と鉛筆を走らせていた。ちらりとのぞいたら、本から好きなポケモンキャラクターの特徴を書き写していたようだ。

見て見て、見て!と一日に何十回も言われていた日々だったのに。そういえば、呼ばれる回数が少しずつ減ってきた気がする。チョコレートの空き缶に何を仕舞ったのかは、まだ知らない。知らないままにしておくのかも。長男にとって、大切にしたいもの。心の拠り所になるもの。


身寄りのいない異国の地で、個性豊かすぎる長男と天真爛漫な次男を育てていくこと。もしかして相当の難プロジェクトなのではないか…?と気付いてからは、なるべく身軽になろとした。

仕事の肩書きも、創作をしたい迷いも、稼ぎたい欲も、目指したい姿も、日本の家族との摩擦も、こうしたい、こうあるべき、悔しい、負けない、も。書くことは好きだけれど、それさえも一旦リセットしてしまえと、暮らすシカゴの雪空へ放った。


すると、なんだか清々しくなった。意外と元から空っぽだし、空っぽになれるもんだなと思った。これから私は、何を好きになってもいいし、何を楽しんでもいいし、何を描いてもいい。決め打たず、こだわらず。自分でもよくわからない無敵感に包まれている。

これまでも同じだったはずだし、実際にそう生きてきたのだけれど、積み重ねてきた分だけ、無意識に囚われていた部分も多かったのだろう。

愛しい空っぽを抱きしめて


そんなフレーズがパッと浮かんで、何度も繰り返し聴いたやさしい声のはずで、でも出どころを忘れてしまって、検索したらBUMP OF CHICKENの「HAPPY」だった。なんたるかはすぐに思い出せないのに、メロディはいとも簡単に降りてくる。心へ深く染み渡った言葉は、記憶から形を変えて残っているらしい。

長男の姿に、自分を重ねる。いま、手元にクッキー缶があるとしたら、私はどんなお気に入りを詰めるだろう。また、ゆっくり一つずつ集めていけばいい。そんな心持ちで、毎日をシンプルに、ご機嫌に過ごしてみる。

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