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震災のニュースでフラッシュバックする想い出

正月早々、日本から悲しいニュースが飛び込んできた。また地盤が大きく歪んだのだ。


もう何十年も前のことだが、かつて私も被災者だった。

有難いことにウチの界隈は電気の復旧が早かったのだが、水道とガスは暫く使えなかった。

湯が沸かせない風呂は生活用水を溜め置く桶と化していた。

何日も風呂に入らなかったのは今までの人生であの時だけだ。ベタつく髪をひとまとめにして友達と被災地区外の銭湯へ行ったことを思い出す。

溢れるお湯に肩まで浸かることが出来たのは何日ぶりだっただろう。

一緒にお風呂に入った友達のひとりは家族で避難所生活をしていた。彼女曰く、自衛隊が設営してくれる風呂があるのだが、何だか申し訳ないような肩身が狭いような気分でゆっくり出来ないし落ち着かない、と。

ウチは屋根瓦が落下して壁に亀裂が入ったが、何とか持ちこたえていたので避難所には行かなかった。

避難所生活は不便だろうから泊りに来たら?と誘ったら、いつ何があるか分からへんから家族と一緒におるわ、と返事が返ってきた。

ほんまに、そうやね。

いつ何があるか分からない。ほんまにその通りやわ。


震災直後、関東や海外の友達や知り合いから電話がかかってきた。もちろん家の固定電話に。ラインもフェイスブックもない時代の安否確認は家電が一番早かったのだ。そう、電気と共に電話も早くから繋がっていた。

支援物資を送ってくれた友達もいた。段ボールを開けたら野菜がぎっしりと詰まっていた。

実は神戸はオシャレ都市のイメージがある一方で、少し山を越えて行くと田畑が広がる田舎風景が見られる。姉が嫁いだ先がそんな田畑持ちの家だったので米や野菜はそこから分けてもらえていた。

メディアで流れていたのは都市部の悲惨な状況ばかりだったので、それを見た友達が野菜をかき集めて送ってくれたのだ。

心配してくれたことが嬉しかったが少し申し訳ない気持ちにもなった。


当時、私が本当に心の底から望んで欲しかったのは、普段の生活に戻ることだった。水を汲みに行ったり食料を売ってるスーパーを探しまわったりするのではない、それまで当たり前にしていた普通の生活にすぐさまにでも戻りたかった。


テレビをつけたら被災のニュースばかりで気が滅入る。

せめてテレビの中だけでも世界は普段通りの日常で溢れていて欲しかった。でなければ私が戻りたいと望んでいる日常もありえないから。


結局その後暫くして渡仏することになったのだが、あの時の情景は今でも何かキッカケがある度にフラッシュバックして蘇る。

辛い思い出と言うよりも、人生観が変わったターニングポイントとして。

私が拠り所にしていた日常は、いつ強制的に略奪されるかも分からない不安定なものだった。一秒後の世界は今の継続からは分断された、全く異質のものになるかもしれない。


遠く離れた異国に住む私は無力で何の役にも立たないけれど、被災された方たちが一刻も早く普段の生活を取り戻せるように、心からお祈りしております。

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