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君が代が琴線に触れたのは、

ラグビー対イングランド戦、お疲れさまでした。ルールも何も分からなくても、気合や情熱はテレビの画面を通してでもガンガン伝わってくるものです。結果は残念だったけど、一生懸命にぶつかって行く選手たちの姿はカッコよく、手に汗握るほど集中して見入ってしまいました。


さて、ワールドカップは試合開始前に各チームの国歌を斉唱をするのですが、スタジアムの構造のせいか、会場に流れる音楽とマイクで拾う観客や選手たちの声が微妙にズレて聞き辛いですよね。

それが昨日の試合では、日本の『君が代』がズレなくキレイに聞こえました。ウチのテレビの調子が良かったのでしょうか?後で流れたイギリスの国歌は微妙にズレていたから、もしかしたら集音マイクの位置か何かが関係あるのかもしれません。よう知らんけど。

とにかく『君が代』がキレイに聞こえて、画面に映る選手や関係者、サポーターたちが大きく口を開けて歌っている姿を見て、私、不覚にもちょっと感動してしまいました。


先発で発表された日本代表選手たちの名前の半分以上が私にとっては耳慣れないもので、日本ラグビーの現状に全く疎い私にでも、他の国から日本に来てプレーをしている選手たちなのだってことが分かります。顔つきや体つきで日本人とのハーフ(ダブル?)だと分かる選手もいます。

そんな、日本だけでなく他の国とも深い関わりのある選手たちが日本代表として世界の舞台に立ち、『君が代』を歌う姿を見て、嬉しい気持ちと国ってなんだろう?という疑問が入り混じった複雑な思いが湧き上がり、それがどうやら私の琴線に触れたようです。

アメリカやフランスでは当たり前のように目にしていた光景。肌の色や顔つき体つきの明らかに違う人たちが同じ国の国民として、表舞台で活躍する。

それが日本のラグビー界で今、現実になっている。

私のように日本に生まれて選択の余地なく日本人である人と、どういう経緯であろうと自分で選択して日本を選んだ人。その両方が『君が代』を歌い、日本を背負ってプレーする。

民族が国なのではなく、精神たましいが国を支えている感じがして、なんだかとっても素敵じゃないですか?ウルっときませんか?


そして『君が代』の歌詞をなんとなくぼんやりと、しかしじっくりと噛みしめて聞いてみて気付いたのは、良い歌だな~ってこと。

戦うとか勝ち取るとか、栄光よ我らに!とか、そんなこと一言も言わず、ただ君が代が長く続きますようにって願ってる歌なんですね。さざれ石が巌となり、苔の生すまでずっとずっとって。目に見えないはずの時の流れが目の前に鮮明に広がる気がします。

自然が時間をかけてより合理的で強い形に変化するように、君が代も時間をかけて進化し確固となる。それが日本であり日本の望み。

世界中の国歌を聞き比べたことはないけれど、よく耳にする先進国の国歌でそこまでシンプルに国の存続だけを願う内容の歌ってあったっけ?

戦ったり勝ち取ったり、栄光や栄誉なんてゆーものは個人のレベルで望めばいいものだ。国の立場でそんなことを望んでしまうとどこかの国と競争したり争ったりしなければならなくなる。

私が知らないだけで、もしかしたら裏の意味があるのかもしれないけれど、文面だけをそのまま読むと『君が代』は慎ましく、国民にあーしろこーしろと押しつけがましいことを何も言わない。

自由であれ!とか繁栄しろ!とか。ましてや敵に負けるなとか勝ち取れとか、そんなこと言われたら戦わなくてはならぬくなる、みたいな攻撃的な言葉は一切出てこない。

そう、そんなことを考えていたら、日本の国歌っていいな~って思えてきた。そして、小学校に入学してから幾度となく繰り返し歌ってきたこの歌を、大人になってからは全然口にしてなかったことに気付いたその時、テレビの画面の中では選手たちが大きな口を開いて「苔のぉ、むぅすぅま、ぁぁでぇー」と歌い切っていた。

本当にずっとずっと、日本が日本の精神を守っていられることを切に願う。

天皇制に賛成や反対やいろんな意見があるのは知っているけど、私自身、そんなことを深く考えたことはない。生まれた時からこの国には象徴としての天皇がいて、国語や歴史の授業で天皇や日本の起原にまつわる話に触れてきた。それだけのこと。

学校行事で京都や奈良、お伊勢さんにも行ったし、あまりにも身近な生活の中に溶け込んでいる天皇の存在を特に変だとも問題だとも思わない。

日本ってそんな国なんだ、って思うだけ。日本って『君が代』なんだって思うだけ。私はそんな『君が代』に暮らす一個人。それだけのこと。


前にどこかでも書いたように、海外で暮らしていると定期的に自分のアイデンティティーを確認しないと迷子になってしまうことがある。迷子になって帰る場所のない流浪の民になりそうになる。

宇宙空間にひとり置き去りにされた宇宙飛行士のように、孤独が恐怖へとすり替わり、自分自身すらも信じられなくなり、果てには精神が崩壊してしまうような感覚に襲われそうになることもある。


日本の国籍は私が私である証明だ。日本の民であることが私を正常な位置につなぎとめていてくれる。

だからこそこの国がずっとずっとなくならないように願っている。

『君が代』が琴線に触れたのは、そんな私の個人的な思いに気づいたからなのかもしれない。

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