見出し画像

海のある街

パリのリヨン駅から高速鉄道TGVに乗って六時間もかけて降りてきたら、空が抜けたように真っ青だった。パステルカラーの青い空の下には紺碧こんぺき色の海が広がっている。同じ青でもこんなに違うんだ。海のあおは緑がかった深い色。空の青は、白っぽくて透明感のあるかわいいベビーブルー。

はじめてこの街に来た時、正直言って、何もないって思った。それまで住んでいたパリ三区は、マレ地区の北側。少し歩いただけでもおしゃれなカフェやレストランがいくつもあって、ガイドブックやファッションマガジンに掲載されているような有名なお店も何軒かある。ファッションウィークともなると、最先端の装いをした人たちがそこかしこを闊歩するし、日本のおしゃれ芸能人も見かけたことがある。

自分が何もしていなくても、特別な何かを経験出来るような雰囲気が漂う、人のエネルギーが溢れている街。それがパリ。古い歴史感漂う空気を切り裂くように、いつも何かしら目新しい催しが開催されている街。それがパリ。忙しい人はより忙しく、暇な人にも忙しい気分にさせる街。それがパリ。

不思議なもので、忙しいと有意義な時間を過ごしている気分になる。結果、何も産み出さなくても、何も身に付いていなくても、生きている達成感を味わうことが出来る。そうやって元来自分が持っていた素の感覚が、都会の喧騒と共に渦巻く人たちの想いや希望と混ざり合い、あらがう余裕もなく一緒に流れていく。そんな混沌とした意識の濁流の中、自分の時間を都会の慌ただしさに同化させて吸収して、成長できる人が羨ましい。

海と山に挟まれた温暖な地方都市で生まれ育った私には、そんな都会の時間の流れは速すぎて、息継ぎをするタイミングすら分からなくなる。多分、パリだからではなくて、東京でもニューヨークでも同じだろう。都会は息苦しい。関わる人たちの意識が、ワインボトルの下に溜まったおりのように自分の中で静かに蓄積されて、少し揺すっただけで全体をにごすようになる。

もし大金持ちで、お姫様のように手取り足取り世話をしてくれる人が周りにいれば、都会でも地方でもそう変りなく暮らせるのだろうけど、一般庶民として独立して暮らしていくには、都会の生活はとてもシビアでハードだ。強い意志と欲を持っていないと、すぐにフルボッコにされてしまう。

そんなパリから六時間もかけて降りてきたフランス南方東、端っこの街の最初の印象は、何もない。パリに比べたら全く何もない、そう感じる。もちろん、実際に何もない訳ではなくて、むしろ、必要なものは十分に何でも揃っている街だ。名前も知らない片田舎へ行ったら、それこそ本当に何もないことを実感できるだろう。お店もレストランも何もない、そんな場所だって確かにあるのだから。

何もない、と表現してしまったけど、別にこの街を卑下している訳ではなくて、どちらかというと「何もない」から「好き」だと言いたい。この街に来て、やっと心が休まる気がしたから。やっと、上を向いて空を見上げても、複雑な思いが込み上げてこなくなったから。素直に真っ直ぐ、空が青い!と言えることが清々しい。何もないのは、都会の喧騒と流されていく人々の意識の方だ。そんなもの私には必要ない。

パリに到達する以前は、海に隣接した都市にばかり住んでいた。学生の頃は、毎日海を眺めて過ごしていた。友達と海を見ながら笑ったり、辛い時に海を見ながら呆然としたり。楽しい時も悲しい時も、視界の中にはいつも海があった。

社会に出て電車通勤をしていた時も、毎朝晩車窓から海を眺めていた。雨の日も嵐の日も。頭が痛くても、お腹が痛くても。車窓には広々とした海が流れていた。

海のある街が好き。もちろんパリも素敵な場所。でも二、三週間、いや、ひと月が素敵だと思える限界、多分。素敵なものが散りばめられた魅力的な街、パリは、私が安らげる日常とは相反する場所だから。ギュッとコンパクトにキレイなものが詰め込まれた宝石箱より、何時間眺めても飽きないキレイな色で塗りつぶされた大きなカンバスが欲しい、と私は思うから。

画像1

犬を連れてブラブラ散歩をしていると、近所の人がよく話しかけてくる。他愛もない世間話。よく聞いていると、パリから降りてきた人が結構多いのに気付く。学生だったり仕事だったりで住んでいた人や、実家がパリだった人も結構いる。どうやらこの街は、都会疲れをした人が集まる場所らしい。そりゃそうよね、年中お天気良いし、フランス屈指のリゾート地だし。田舎過ぎず都会過ぎず、必要なものは全部揃っている。

そしてわざわざ遠出をしなくても、日常の中に海がある。

フランスだけどパリじゃない、地中海に面したこの街が好き。


この記事が参加している募集

眠れない夜に

この街がすき

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?