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まっすぐでも遠回りでも、あなたに届くように

私は「まっすぐな文章を書く」と称されることが多い。他にも「ストレート」であったり「ひたむき」であったり、時には「真摯」だと言って頂いたこともある。最後の「真摯」という言葉についてはとても素敵な表現だと感じ、涙が出そうになってしまったくらいだった。


noteでは婉曲的なやさしい言葉であったり、まるで小説のような描写で語る人がいて感動させられることが多い。私はむしろ自分のできないような表現をするクリエイターさんの文章を読むことの方が好きなのかもしれない。正反対な表現というのは物事の新しい見方を教えてくれるからだ。また前向きで誰かに対して元気になるような気持ちを与えてくれる文章に対しても憧れがある。

その日にあったことを自分らしい感覚を織り交ぜて書いている方、同じようなことがあっても自分とは全く違った発見をしている方。そして何よりもやさしい気持ちを与えて下さる文章に心癒される瞬間が好きだ。それは私には難しい表現であるからかもしれない。

そして同時に私の文章とは読んで下さる方に対してどんな印象を与えるのだろうかと思って、怖くなることもある。けど冒頭で書いたような良い印象を受け取って下さった方もいるということで少しほっとするのだ。


人それぞれ文章を書いていても個性があり、きっとそのどれもに長所があるのだと思う。誰かを傷つけるようなものはもちろん論外だが、短い文章でもリズミカルになっていたりして楽しんで読めることもある。逆に余白があることで想像の余地を与えられることがあったりすることも。

長い時間をかけて読んでいってまるでひとつの小説を読み終えたかのような満足感を持てるものもあるし、逆に長い文章であるにもかかわらず一瞬で読んだような気持ちになりはっとすることもある。全て私がnoteで今まで読んできた文章で受けた印象の一例だ。今回書いていないだけで他の楽しみ方もたくさんある。

温かい言葉をいくつも書いた文章が、誰かにとってのトラウマに触れて癒しを与える文章になることがある。正論を並べた文章が、かつて自分が傷つけられた相手を糾弾してくれたようですっきりすることがある。ただ心の内を綴った文章が、「自分だけじゃなかった」と共感した人を安心させてくれることがある。


こう並べてみると本当に文章って不思議だと思う。伝えたい思いが想定した通りに届くとは限らないし、相手の受け取り方によっては特に気を付けて書いたわけではなくても琴線に触れるということもありうるのだから。そう考えてみると、私の文章はわりと届きやすい代わりに奥行きがあまりなくて解釈もいくつもあるとは言えないのだろう。

それを「ひねりがなくてつまらない」と呼ぶか「わかりやすくていい」と呼ぶかはその人次第であって、私が決めることではない。


それでも「月が綺麗ですね」より「あなたが好きです」とストレートに言われるほうが好みな方は思ったよりいるそうだ。人の数だけ愛の言葉における理想があり、私の表現が好きだと言ってくれる人もいる。そしてそれは文章においても同じようなものではないかと思うのだ。

少しでも思いが届くように書いていきたい。
無理せずマイペースに、時々頑張ったりしながら。

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