個のスキルが重視される時代に、会社(組織)は何のために存在すべきか

非正規で働いていた頃、正社員になった友人たちが「見積書」とか「企画書」とかを作っているのがうらやましかった。それが、ホワイトカラーのビジネスマンとしての「正しい仕事」みたいに見えたのだ。

憧れのあまり、自分も見積書や企画書をバンバン作る仕事に天職してみたけれど、なんだかフラストレーションを感じることがあった。そのむなしさの原因は、ウェブ制作会社TAMの代表・爲廣慎二(Shinji Tamehiro)さんのnoteを読んでわかった。

新しく仕事を獲得するには、「提案書」や「企画書」を書き、それに結びつく「見積書」を作ってから交渉をする。提案内容に興味を持ってもらい、金額が予算の範囲となれば、その仕事は発注されてめでたく受注となる。

でも、実際にプロジェクトを始めて見れば、最初に作った提案のままに進むことはほとんど無い。必死に作った提案はひとまず横に置いて、クライアントと打合せをしてからようやく方針が決まる。当然、必要となるお金の額も変わってくるが、最初に出した見積もりの額は基本的に変更されない。どうしてもというときだけ、再度見積もりを作り直す。

すっごい無駄じゃない? と私はずっと思っていたのだ。

日本では当たり前の「受託型」の仕事は、海外ではすでに時代遅れになているそうだ。「共創型」の海外の場合、新たな仕事が動き出すときは、まず優秀なメンバーをアサイン(任命)するところからプロジェクトは始まる。アサインされた時点で、メンバーには適切なフィー(報酬)が発生する。そのメンバーによるプロジェクトチームで話し合ってから、初めて仕様や施策が決まるのだ。やるかどうかわからない企画のために見積もりをとるなんていう無駄な作業は発生しない。

この仕事の始まり方の場合、クライアントに重要視されるのは「会社名」や「肩書き」ではなく、個々の人間が持つスキルや魅力になる。もはや海外では、会社名や肩書きを名乗って自己紹介をし、名刺を交換するなんていうことはめったにないそうだ。

そうなってくると、「会社って、何のためにあるんだっけね?」という疑問が湧いてくる。

爲廣さんは、上記で紹介したnoteの中で「組織の役割は個が成長する場」と書かれている。自分が持っていない能力を、自分の持てる力を貢献しながら学ぶ場だ。

エッジの立った個人がそれぞれの得意分野を生かし合い、苦手な部分を補い合う。それがチームの役割だと私は思う。未経験の仕事を学ぶ場として、組織はありがたい。でも、「苦手で、あまりやりたくないこと」までを学ぶ必要は無い。

私は、苦手なスキルは無理をしてでも身につけなきゃいけないものだとずっと思っていた。でも、そんなことをする必要はなかったのだと、組織を離れた今になってみるとわかる。いろんなことがそこそこできる、おんなじくらいの能力を持つ人を何人も抱えたところで仕方ないのだ。

組織の中で、無理に能力を平均化しようとしない。苦手なことを持ったままでも、得意なことがずば抜けていたら、それは間違いなくエッジのある優秀な「個」だ。その人が苦手な部分は、それが得意な人とチームを組めばいい。そのために組織はあるのだ。

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