偶然?必然?わたしの産業保健師への道
1-難病治療しながらの国試&就活
大学4年生の春、難病が見つかり入院。当時の恩師が専門医に連絡を取ってくださり、運良く短期間で診断がつき入院治療につながりました。指定難病と言っても予後が良いものですが、当時は絶望感と不安でいっぱいでした。でも、泣いてばかりはいられず、卒業単位を取るためのレポート、卒論、国試の勉強…外泊許可をもらって就職試験…とにかく必死でした。
地元での就職を望んでいましたが叶わず、治療のためにこの街に残ることにしたのです。
2-小さな町とのご縁
就活がうまくいかず、就職先が決まらないまま国試を受け、気づけばもう3月…。そんな時、主治医が健診機関の方を紹介くださり、そこで小さな町で産休代替保健師を探していると伺い、面接に行きました。すると、難病持ちの私を採用してくれたのです。感謝の気持ちでいっぱいでした。
3-小さな町で保健活動をスタート
社会人1年目、しかも産休代替えの臨時職員の私を保健師の先輩方、職員の方々が一生懸命ご指導くださいました。半年後には地区担当を持たせていただいて、新生児訪問、保健指導、精神疾患の方、要介護の方…たくさん家庭訪問しました。
4-産業保健の道に進むきっかけになった出逢い
ある日、脳血管疾患により認知症が進み、要介護となった方のお宅を訪ねたところ、家族は施設入所を希望し、お金を誰が出すか等々揉めていました。介護で疲弊しイライラして冷静に話し合えない状況で、ケアマネージャーさんに入ってもらうことになりました。
この時、もし、この方が病気にならなかったらこの家族はどんな象だっただろうか…と。もっと早い段階での予防活動がしたい!と思い、産業保健の道に進むことを決意しました。
5-産業保健師としてスタート
自身の難病はようやく寛解し、就活には支障なく、産業保健への思いを伝えると採用が決まりました!
難病が見つかった時は絶望感しかありませんでしたが、病気になったからこそ今のライフワークである
産業保健への道に繋がったと思っています。
人生には色々なことが降りかかってきますが、どんなことにもちゃんと意味があると私は思います。
次回以降、「産業保健師のキャリア形成と転職」「選択と適応」「人生の転機とレジリエンス」等々自身の経験から思うことを書いていきたいと思います。
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