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日々考えることのはなし

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毎日考える何か、何かが引き金になり考える何かを綴ってみました
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2021年10月の記事一覧

狐火(きつねび)のはなし

狐火を見たことのある人はいるのだろうか。 『豊川稲荷』をご存じの方は多くいらっしゃると思う。 小学生の頃豊川市の中心あたりにある体育館やプール、自衛隊の駐屯地から少し外れて豊川稲荷あたりまでが私たちの遊び場のテリトリーであった。 大晦日から正月にかけては警察の警備・誘導が入るほどの参拝客でごった返す場所であるが、平日にうろつきまわる私たちには静かで不気味な遊び場でもあった。 陽の当たるのんびりした境内から続く参道には、『豊川稲荷』とその上に狐火のような『宝珠』が白抜きされ

さようなら夏

気がつけばクーラーのリモコンは壁に戻り 気がつけば冷蔵庫の氷は減らなくなり 気がつけば長袖のシャツを着て外を歩いている いつのまに夏は終わってしまったのか どうせ夏らしいことなど望めぬ夏ではあった 海に行けるわけではなし ビアガーデンは死語になりつつあり マスクは顔にへばりつき 公園の木陰でビールを飲むことさえ許されなかった 四季を肌で感じたあの頃にはもう戻れないのだろうか 急な寒さは老体にはこたえる 秋、頑張ってくれ 四季が三季(ミキ)になってしまう ミキはスナ

枇杷の木

以前、天王寺の古いハイツに住んでいたことがある。  大学のすぐ裏、前の道路は人通りも少なく静かで、狭いが落ち着く部屋にそれなりの安らぎを覚え安穏な日々を送っていた。 何も用事の無い日曜日の午前中にはよく四天王寺まで散歩に出かけた。 その途中に誰も住んでいない古い小さな家があり、庭に不釣り合いなぐらい大きな一本の枇杷の木があった。 枇杷の木は地味だ。 それと知る人は少ないのではなかろうか。 白い枇杷の花が咲いてもさほど気に留めた記憶は無い。 実がなり、初めて枇杷の木と意識しだす

嚔(くさめ)

クシャミの古語である『嚔』に縁のある人はそれほど多くはないだろう。 私も同様、高校の古文か、ずいぶん以前に風邪薬のCMで「くっさめ、くっさめ」とやっていたのを思い出すくらいである。 妙に頭に残っている『くっさめ』が気になり調べると1985年の風邪薬のCMであった。 なんと私が社会人となった年である。 基本的にテレビはNHK以外はみない。 思い起こすとこの時は東京都足立区竹ノ塚の会社の独身寮にいた。 この独身寮、私がいた建設会社が、受注目的で証券会社の女性独身寮を買

日曜日のすごしかた

世の中がまだ日曜日だけが休みだったあの頃、日曜日が楽しみで何をするのでもないのに早くから起き出していた子どもの頃を思い出します。 こんな時期だったかも知れません。 これから冬にかけて愛知県三河地方は太平洋岸気候で極端に雨は少なくなります。 毎日快晴の日が続きます。 北陸福井から転勤されてきた社宅の隣のおばさんが「こっちは毎日布団が干せてうれしい、信じられない」と言っていたのがいつまでも忘れられません。 私を含めた子どもたちは家でじっとしていることはありませんでした。 いつも

住むことと道楽

乾いた冷たい空気に包まれて頭上は晴天の青空、雲は白く足早に駆けていく、私の秋はどこに行ったのであろう。 大阪府八尾市、現在住んでいる場所ではあるが、私には縁もゆかりもない土地であった。 母の長引くと予想された介護のため、その応援を申し出てくれた方の助言で移ってきたこの土地で過ごしてすでに八年が過ぎる。 長い旅をしてきてたどり着いた地のような気がする。 転居には金がかかる、労力もいる。 しかし、それには替えることのできない良いこともある。 新しい出会いも発見もある、そして

猫のきもちと朝のくうき

わが家のミケ猫ブウニャンはもうずいぶんのおばあちゃん、食は細くなり体重は減る一方で毎週病院通いを欠かせなくなった。 それが最近持ち直したのである。 食欲が出てきた、体重も増えてきた。 私たちの愛が通じたのか、それとも食欲の秋の力なのか、真相は分からない。 ただ、毎日のご機嫌は麗しいようである、、 人間と同じである。 美味しいものを美味しいと感じ食べることが出来て、疲れとともに眠りにつける、本当にわかりやすいおばあちゃんである。 ところで、最近私は睡眠不足が続いている。 夜の介

四季を考えるきっかけ

大学の同期から毎年新米を頂戴してます。 新潟魚沼の新米です、「毎年買ってる、美味いからお前も食え」のLINEとともに今年もやって来ました。 そして季節を感じています。 この大阪八尾に住んでいても四季を感じます。 春夏秋冬を考えます。 合気道部の先輩に俳句を勧められてから特に敏感になりました。 しかし、私の感じる四季は本当に俳句を嗜む方々のように風雅なものではありません。 その時期、その季節での思い出であったり感じる事は現実的な事の方が多いです。 ずっとこの日本で育ち、四

 朝、そして夕、考えること

朝焼けを見て仕事が終わる。 今まで生きてきた世界とまったく違う。 同じなのは人間相手ということ。 自分の生き方に悔いることが無いと言ったら嘘になる。 しかし、今さら悔いて何になろう。 男は現実で生きなければならない。 それは男も女も関係ないかも知れない。 思い通りにならないのはもとより定められた道であり、試練なのかも知れない。 逃げずに少しの夢を棄てることなく最後まで前を向いて歩きたい。 この世に生を受けたからには死ぬまで前を向いて進まなければならない。 これも男も女も関

男の居場所(男のいいわけ)

さて、いつ頃からだろうか、最後に落ち着く場所が欲しかった。 仕事柄、付き合いが多かったこともあるだろう。 酒を飲んで最後に落ち着く場所が欲しかった。 ニューコロナ前、仕事の付き合いも接待も、社外での打ち合わせも、後輩の愚痴を聞くのにも毎晩飲酒の場を欠くことは出来なかった。 所詮理解はしてもらえないことと、帰って説明をすることは無かった。 でも、こんな世界があることは誰にでも容易に想像がつくはずである。 しかし、私の場合、付き合いが人より多く、ストレスが人より多かった。 頭

すいみんの秋

深まりゆく秋、なんだかいつでも眠いのは私だけなのでしょうか。 夏の疲れの残党かとも思いましたが、どうも眠りの質が良くないようです。 夢は覚えてません。 考えごとをしながら寝ていてそのまま起き出して忘れないように書き留めたり、手紙を書いたりしています。 決して身体には良いことはないでしょう。 しかしこれがこの一年二年のことではありません。 学生の頃からかも知れません。 だから、と言うわけじゃないのですが、寝ることの出来る時に寝る。 どこでも眠れます。 風呂でもよく寝ました。

大阪 八尾の喫茶店

たぶん、日本でも有数の個性的な珈琲店はいつものように八尾の高安に佇んでいました。 八尾市高安の住宅街にある知る人ぞ知る『ザ・ミュンヒ』です。 美味しいが高いコーヒーで有名です。 で、店の名前の由来がこのドイツ製のオートバイ『ミュンヒ』です。 とても個性的なこのバイク、日本では、ここでしか見ることの出来ない一台です。 望月三起也の『ワイルドセブン』って漫画に出ていて憧れました。 中学生頃、胸を高鳴らせて読んだのを思い出します。 最初、実物を見て感動しました。 一脚数万円でも

街で見かけるあいつ

日々目にするもので何も考えず見過ごしているものってのがたくさんあると思う。 電信柱、これが無い街は実際にたくさんある。 電線が地下に潜っているわけである。 初めてそんな街を見ると「あれ、」と違和感を覚える、そんな感じの事である。 見ていないようで見ているのである。 逆に見つけて安心するものもある。 猫好きは街中を闊歩する猫を見つけて安堵する。 その安堵感は意識せず目にしている電信柱に対するものと変わりはないと思う。 以前はもっと野良猫や家猫が外をウロウロしていた。 今は野

われら老人のゆくえ

敬老の日はとうに過ぎてしまったが、昨日の休みにたまたま手にした『老人性うつ』の本に目を通していた。 日本老年学会と日本老年医学会なるところが日本人の65歳以上を「高齢者」と定めており、65歳以上のうつ病を『老人性うつ』と定義している。 気がつけば私も60代、そのうち、うつ病になれば老人性うつだ。 なんとなく抵抗のある名前である。 これまで一般的であった60歳定年というゴールのようなものがこの『老人性うつ』の大きな原因になっている。 毎日通っていた場所が無くなり、立場も肩書も