見出し画像

男の居場所(男のいいわけ)

さて、いつ頃からだろうか、最後に落ち着く場所が欲しかった。
仕事柄、付き合いが多かったこともあるだろう。
酒を飲んで最後に落ち着く場所が欲しかった。

ニューコロナ前、仕事の付き合いも接待も、社外での打ち合わせも、後輩の愚痴を聞くのにも毎晩飲酒の場を欠くことは出来なかった。
所詮理解はしてもらえないことと、帰って説明をすることは無かった。
でも、こんな世界があることは誰にでも容易に想像がつくはずである。
しかし、私の場合、付き合いが人より多く、ストレスが人より多かった。

頭の緊張を解くために飲んだ後にもさらに、アルコールと落ち着ける場所が必要だったのである。
気に入った飲み屋が何軒かあった。
仕事が終わる場所場所に落ち着く飲み屋があった。
最後に一人で飲む場所である。

たいてい親父が一人でいる店、ひと言ふた言話せればいい、そんな親父は何も言わない。
ビール一本か酒一本、アテは何でもいい、座れば落ち着くのである。
サラリーマンを辞め、酒も飲めないこの時世、あの時間は何だったんだろうと考えることがある。

決して無駄な時間ではなかった。
最後に考える時間、明日への英気を養う時間であった。
自分で自分に「お疲れさんよ」と言い聞かせ、明日に向かう時間だったと思う。

今はもうない時間、ここまで続かなくてよかった時間かも知れない。
酒はこの世にあるべきものなのか、そんな議論はあるかも知れない。
必要悪かも知れないが、人間の歴史とともに歩いて来た酒である。
酒には何の罪もない、あるのは飲む人間の心にある。

それでも四の五の言いたい方々には「ほかっといてくれ」と、私は言いたい。

この記事が参加している募集

#ほろ酔い文学

6,045件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?