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日曜日のすごしかた

世の中がまだ日曜日だけが休みだったあの頃、日曜日が楽しみで何をするのでもないのに早くから起き出していた子どもの頃を思い出します。

こんな時期だったかも知れません。
これから冬にかけて愛知県三河地方は太平洋岸気候で極端に雨は少なくなります。
毎日快晴の日が続きます。
北陸福井から転勤されてきた社宅の隣のおばさんが「こっちは毎日布団が干せてうれしい、信じられない」と言っていたのがいつまでも忘れられません。
私を含めた子どもたちは家でじっとしていることはありませんでした。
いつも外で遊び、日暮れとともに散らばり自宅に帰りました。

時々、日曜日に遠征をしたのです、小学校で校区外に出ることは禁止されていました。
まぁ、ダメだと言われたことをやりたくなるのが普通の人間です。
普通の小学生である私たちは、校則を破ってよく浜名湖まで釣竿を片手に東海道線に乗り込みました。
JRの駅である豊橋・二川・新所原・鷲津・新居町・弁天島、新居町駅に来ればもう浜名湖は目の前です。
子どもの私たちにでも遠さを感じない距離でした。

弁天島から歩いて『今切』(いまぎれ)という地名のところまで行きました。
その名称通り浜名湖の切れ目、太平洋との境になっている場所です。
私たちが豊橋の三河湾や砂浜が延々と続く太平洋岸と浜名湖の海岸はまた違う雰囲気でした。
観光地でもあるこの付近は私たち田舎者には何となくしゃれた海岸でした。

私は釣りよりも知らない土地を皆でウロウロするのが楽しかったのです。
浜名湖を中心に遠江国(とおとうみのくに)、琵琶湖は近江国(おうみのくに)どうして『とうみ』ではなく『とおとうみ』と呼ぶのか不思議でした。
釣りをしながらそんな疑問をぶつけると「なんで宮ちゃんはみやじまなんだよ」と言い返してきた奴がいます、その通りだと思い、返す言葉もなかったのですが、未だに気になってます。

隣県の静岡県は割と面積の広い県です。
富士山、伊豆半島から太平洋岸で愛知に続き、奥に入れば南アルプスに続きます。
愛知県境沿いの多くは私たち、もしくは私一人の行動範囲内でした。
浜名湖は自転車に乗り一人でよく一周しました。
天竜川を遡った先の佐久間ダムへは気楽に友人たちと自転車で向かったものの走れど走れどいつまでも着かず、着いたのは夕方、帰宅は深夜になりエラく母に叱られた記憶があります。

携帯電話も無い時代に子ども達ばかりでよく夜中までウロウロしていました。
家族は今ほど物騒ではない時代にしても心配していた事と思います。
しかし、私たちはそんなふうに常識との境界を渡って、やって良い事とそうでない事を学んだような気がします。
これらを失敗とは思っていませんが両親たちや見る場所が違えば間違いなく失敗でしょう。
失敗しながら当り前の人間に近づいていった、そんな感じがします。

社会人になってもずっと同じようなことをやって来たのかも知れません。
それは私に進歩が無いのか、はたまたやることのグレードが上がっているのか、
個人的にはグレードが上がっていると思いたいのですが、、
両親が雲の上から笑ってみているような気がします。

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