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住むことと道楽

乾いた冷たい空気に包まれて頭上は晴天の青空、雲は白く足早に駆けていく、私の秋はどこに行ったのであろう。

大阪府八尾市、現在住んでいる場所ではあるが、私には縁もゆかりもない土地であった。
母の長引くと予想された介護のため、その応援を申し出てくれた方の助言で移ってきたこの土地で過ごしてすでに八年が過ぎる。

長い旅をしてきてたどり着いた地のような気がする。
転居には金がかかる、労力もいる。

しかし、それには替えることのできない良いこともある。
新しい出会いも発見もある、そして思い出も増える。
引越しにはたいてい理由があってするのが普通であろう。

でもどうであろう、とくにそんな理由にこだわらない引越しもあってもいいと思う。
『引越し貧乏』とは言うが、『引越し道楽』という言い方はあまり聞かない。
余裕、もしくは老後への展望さえあれば、そんな引っ越しもあってもいいような気がする。

生活の基本の『衣食住』、『衣食』のみに道楽・趣味が存在して『住』にないのもおかしな話である。
堺の『建て倒れ』がそれにあたるのかも知れないが、若干意味が違うような気もする。
昔の商人の堺衆たちが建屋で見栄を張るわけで、その費用の大きさから一部の富裕層にしかあてはめれない言葉であろう。

日本中にあり余っている誰も住まなくなってしまった家や部屋がある。
これを活用出来たらいいと思うが、これは私の勝手な思いでしかない。
 実家の処分でずいぶん悩んだが大阪から離れた愛知の不動産を遠隔操作をするのはそれほど簡単ではない。
住の法律は変わってはいるが一たび賃貸してしまえば道義的な責任感も生まれてくる。
日常管理を不動産業者に頼めば当然費用も発生する。
いろんなことを考えるとエイヤで解体売却処分が一番手っ取り早い。
しかし、そこにも多少なりともの手間とまあまあの費用が必要なのである。
住むことのない不動産の相続は面倒なものである。

この歳になって思うのは、生まれた土地で育ち、所帯を持ち、子を育て、年老いていくことが一番生涯におけるロスは少ないように思う。
ただ、そうもいかない事情がどこにでもあるのが人の人生。
だから、真剣に吟味して居着いた場所になるべく長く居るべきかも知れない。

でも、引っ越しによって、知らない土地を歩くこと、生活することは意味のないことではない。
いい意味でも悪い意味でも子どもばかりか大人にも情操を育てる何かに関係すると思う。

ここまでの人生において人以上に転居した私の感想であるが『住めば都』である。
慣れ、馴染んでしまえばどこに住もうと多くを気にさえしなければそれほど問題ではないであろう。
元気な年寄りを目指す私にとっては駅に近く、スーパーが徒歩圏内、出来れば図書館も徒歩圏内、出来れば静か、そして駅前に小さな飲み屋があれば十分である。
そんな場所に住む今、しばらくはおとなしくしていようと思うのである。

若いうちから計画性を持って一カ所に長住まい出来る人を羨ましく思う。
年寄りに向かって終の住処を見直すことの出来る人を尊敬する。

まだこの地が私の最期の土地ではないような気がしながら、この抜けるような青い空を見上げている。

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