闘いの歌
対価なんか必要ないから、と、飛び去った鳥、対比されるだけの私たちの恒常性、正解すらなく、快晴であるのにもら関わらず、ずっと自分の周りだけは雨だし、惰性で引き伸ばした主観が、世界を狭める間に、アイロニーやら老化やら、肥大や、悲哀なんかがデータ化され、あらゆる意味を塞ぐための退嬰的な競争や、豊かさを謳い、中抜きしまくるだけの、企業的な悪魔、権力に加担し、次々に入る金を湯水のように使い、はした金だとか、足して二で割るだとか、達成感を謳い、今に意思を奪うだけのテストの最中、あらゆる抗原やら攻撃性が降る戦争の音や、空白を埋めるための日々に、この身を置くよりも、私は幼い頃から、自らの哲学や思想のためだけに、本の虫というよりも、私自体が、一冊の本として、あらゆる意味を批判的に乗り越え、短絡的な否定に陥らず、受け入れて、偏りを示したら、すぐさま自らの中庸のために、口に穴を開け、松果体にインプラントを植え、果たす義務なんていうギミックを蹴散らし、軽薄な偶像を打ち倒し、すべてに対処する辺りから、真実は加速し、懐疑的な日常に擦り寄る価値や、数多の退屈な偽装による、絶え間ない犠牲、退廃的な呪詛を書き殴る僧侶や、祈祷師の夜、分断された私のひいおばあちゃんによる、水面に浮かべた水により占う世界、私に氾濫する超自然的な物事、どんな死をも超越するために産まれたのが、私らしく、今に希望を産み出すための宇宙の母として、言葉や文字に制限を持たずに、こうして、私たちが重用するものなどは、不必要なものには、見えるが、ほんとうに必要なものすら、あまり無いのであるから、そこで、不必要にされても、また、どこかでは、必要にされるのであるから、まあ、苦しまずに、繰り返し来る憂鬱にも、夕食なんかをご馳走して、眠れないなら、身を預ければ良いし、君が何人だとか、男だからとか、女だらかとかなんて無視して、ただ、貸し付けられた罪や金なんかで屈折するよりも、そりかえり反発し、大義なんか捨て去って、ただ、愛を語るだけの輩を調理して、空疎な自分や世界になんか、期待しているから、君は傷ついてばかりいるし、期待なんてものは、所詮は機械的なものであるし、快適な世界を見つけるよりも、自分で作り直すべきなのである。
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