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斉唱

交差点で笑う君が咲かせる花、歯痒く募る論理のガイダンスには、従わないで、でたらめに切り刻まれた憂鬱の脱色を眺め、赤裸々に語る人々の過去の虚栄や、空腹を埋める為に、吐き出された疾しい心を映し出す鏡や、承認欲求のために、蹴落とす他者や、互い違いになる意識の波形や、残された日々に、司る過ち、あらがうほどに、食い込む値や、アンチテーゼに絡まる月、怠惰な熱情により、孕んだ夜、歪んだ孤独を加工するカタストロフに見出された神や君が、ケミカルな理想を積み上げる君たちの収容所の中では、デリカシーもなく、引き延ばされた日々の中で、加算される論理に参画し、攪拌される日々の結び目や、曖昧に奔走する大人たちの愚行、生贄として、誰彼構わずに、嬲られているSNSの中、無知なマジョリティーたちが、崇めるほどに、食い込む罪を補填するための、道理なんかを、教え込まれた子供たちの泡沫に備わる、過ちなんかにより、過食嘔吐を繰り返し、埋めることにより、あたかも、苦しみから逃れるまにまに、吐き続けることにより、喉から得られる快楽の谷間に堕ちるだけの、心の中を、爆撃し続ける自分自身が生み出した焦土に座り込み、ただ、現れる虚しさを埋めては、吐き出すという作用にだけ、生きているような、実感を感じている彼女たちの背中のソケットに、差し込む電源プラグたる精神科医たち、誤りを読み込む苦痛と、あらゆる普通を織り込んだ、空疎な社会で、どう生きるかなんてことは、重要ではなくて、どう逃げ惑い、何にも参加しないで、自分の意思など、ほとんどないこの値に反し、価値なんてものを翻し、関わるほどに摩耗し、間引かれるだけの合間に住まう、情報に支配されるだけの日々に溺れないようにしても、ただ、目の前に現れる、意味がないものに、右往左往するばかりであるから、何を埋めるのかではなく、何を排除するかでもなく、何を放棄し、この身を軽くすることでもなく、何も言うことを聞かずに、ただ、見聞きし、自分で判断しているかのように演技し、騙し合う世界の中では、本質や、真実などは、無いということを知り、自らの価値を作り出すことに、喜びを感じるべきである。

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