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家の前を通り過ぎる他人ですら、

限界集落のなかにひっそりとたたずむ実家に帰郷して以来、少しばかりの寂しさを感じることがある。それは、“ほかの人の存在をあまり感じられない”という寂しさだ。

転職を機に移り住んだ大阪や千葉、そして新卒時代に住んでいた京都ではそんな寂しさを感じたことがなかった。窓から通りを見渡せる住宅街に住んでいたので、往来する人々の姿がいつでも目に入っていたんだ。

言葉を一度も交わしたことのない同じ地区に住む住民の姿をほんの少しみるだけで“他人”の存在をひしひしと感じ、不思議な安心感で心のなかが満たされた。

多分これはきっと、“人とのつながりを何かしらで感じていたい”という気持ちから生じているんだと思うな。

別に知り合いでなくてもいい他人の存在をちょっぴりでも感じることで、自分が社会の一員であることを認識するような感じ。

実家の窓越しに目に映るものといえば、タヌキ・アナグマ・カモシカ・キツネ・ハクビシン・イタチ・ウサギ、ときどきノラネコくらいなものだ。

“人”の存在を知って安心感に包まれるようなあの頃の感覚は、現在住んでいる実家では微塵も感じられそうもないのだ。


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