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罪学者が分析する映画の中の連続殺人者:物語と現実の境界線 vol.2

アメリカン・サイコ(2000)

この映画は、白人の投資銀行家である連続殺人犯について描いています。犯罪学者は、彼のキャリアの中でホワイトカラーの投資銀行家に出会った事はないと語っています。連続殺人犯は職業としては配達員や運転手が多い。しかしホワイトカラーの投資銀行家にはサイコパスが多く、サイコパスの特徴としてはよく描かれていると。連続殺人犯はどんな人種や職業でもありうると説明していますが、この映画で最も連続殺人犯としてあり得ない表現は自分自身の事を”かなり病んだ男”とは表現しないと。彼らは自らをスーパーマンや並外れた人間であると思い込んでいる物が多い。

評価:★★☆☆☆

もう一歩解説

ナルシシズムと物質主義
パトリック・ベイトマンは、社会的地位や外見、消費行動に執着する裕福な自己愛の強い投資銀行家として描かれています。このキャラクターを通して、1980年代のヤッピー文化の表面的な側面が批判的に描かれています。しかし、現実の連続殺人犯は多様な背景を持ち、このような露骨な物質主義的特徴を示すことは稀です。彼らの動機は通常もっと複雑で、社会的地位への執着というよりも、むしろ精神的な問題やトラウマ、支配欲などが絡み合っていることが多いのです。

信頼できない語り手
「アメリカン・サイコ」の物語はベイトマンの視点から語られており、現実と彼の妄想の境界が曖昧になっています。この手法によって、彼の行動と精神状態の不確実性が強調されています。実際の連続殺人犯の中にも精神疾患の兆候を示す者もいますが、通常このような作り込まれた歪んだ物語の枠組みの中で行動することはありません。

演出的な要素
ベイトマンの殺人行為は、しばしば様式化され、映画的な手法で描かれることで、衝撃と恐怖が強調されています。この芸術表現は、実際の殺人の残酷な現実を描くというよりも、社会規範を批判するための手段として用いられています。確かに、実際の連続殺人犯も特定の手口や特徴を持つことがありますが、彼らの行動は一般的にそこまで演出的ではありません。むしろ、より原始的な衝動や強迫観念に駆り立てられているのです。

被害者の幅広さ
 「アメリカン・サイコ」において、ベイトマンは些細なきっかけや内なる葛藤の表現として、様々な人々を殺害します。これは、多くの実際の連続殺人犯の特徴とは対照的です。現実の犯罪者は、特定の被害者像や動機(性的満足、復讐、支配欲など)を持ち、被害者の選び方にもより一貫したパターンが見られることが多いのです。

社会への批判
ベイトマンというキャラクターは社会批判の媒体として機能し、資本主義社会の行き過ぎと道徳的な空虚さを映し出しています。彼の行動は殺人そのものよりも、現代社会の虚しさを批評することに重点が置かれています。一方で、実際の連続殺人犯がこのような社会批判を体現することはありません。彼らの動機は、広い意味での社会批評ではなく、個人的な心の歪みに根ざしていることがほとんどです。

結末のあいまいさ
映画は曖昧な形で幕を閉じ、ベイトマンの運命を不確かなままにすることで、彼の行動に対する責任の欠如を示唆しています。この物語の展開は、彼の暴力的行動と社会規範とのかい離を強調する効果があります。一方、現実では、ほとんどの連続殺人犯は最終的に逮捕され、その行為に対する法的責任を問われます。これは、犯罪と罰のより直接的な関係を反映しているといえるでしょう。

「アメリカン・サイコ」のパトリック・ベイトマンは、暴力的な傾向や心の問題など、実際の連続殺人犯といくつかの特徴を共有していますが、その描写は大きく様式化され、社会的価値観を批判する役割を果たしています。動機、物語の構造、テーマの焦点の違いは、連続殺人犯の創作上の表現と、実際の犯罪行動のより複雑な現実との違いを浮き彫りにしています。

ノーカントリー(2007)

この映画は、殺し屋である連続殺人犯を映画いています。犯罪学者は、この映画は名作だが、連続殺人犯を正確に描写していないと述べています。
特にこの主人公は支配能力に優れ、相手を完璧にコントロールする。そういった人間は相手を殺す必要がないので、むしろ大企業の重役や、大統領などといった高い地位にいることさえできる。連続殺人者になる必要がないとのこと。

評価:★★★☆☆

もう一歩解説

ニヒリズム的世界観

アントン・シガーは虚無的な世界観を持ち、しばしばコイン投げで被害者の運命を決めるなど、生死が偶然によって決まることを示唆します。この哲学的な背景は彼の人物像に深みを与える物語上の仕掛けですが、実際の連続殺人犯の特徴を代表するものではありません。現実の殺人犯は通常、超然とした哲学的立場からではなく、支配欲や強迫観念といった個人的な動機に突き動かされて行動します。

共感能力の欠如
シガーは冷酷で計算高い殺人者として描かれ、完全に共感能力を欠いており、サイコパスの特徴によく当てはまります。確かに、多くの実際の連続殺人犯もサイコパス的な特徴を示しますが、彼らはより複雑な感情生活を持っています。さらに、シガーには見られないような人間関係や社会的なつながりを持つこともあります。つまり、シガーはサイコパシーのより極端な表現となっているのです。

計画的で制御された行動
シガーは殺人において非常に計画的で意図的であると描かれ、スタンガンのような道具を使って効率的に被害者を処刑します。この描写は、映画的効果を高めるために、誇張された自制心と正確さを強調しています。現実では、確かに一部の連続殺人犯は組織的に行動しますが、多くの場合は衝動的に行動したり、逮捕につながるようなミスを犯したりします。

象徴的な暴力
「ノーカントリー」における暴力は象徴的な役割を果たし、運命と道徳性というより大きなテーマを反映しています。シガーの殺人行為は単なる殺人ではなく、映画の実存的なテーマを探求するための手段となっています。一方、現実の連続殺人犯は通常、このような哲学的な動機で暴力を振るうことはありません。彼らの行動は、むしろより直接的で個人的な欲求に突き動かされることがほとんどです。

捕まりにくさ 
映画全体を通じて、シガーが法執行機関から逃れ続ける能力は、彼の人物像に神秘性を付与しています。一方、現実では、ほとんどの連続殺人犯は最終的に自身のミスや捜査活動の結果として逮捕されます。「ノーカントリー」の物語構造は、シガーを取り巻く緊張感と恐怖を高めていますが、これは実際のケースではそれほど一般的ではありません。現実の殺人者がこのような無敵のオーラを纏うことは極めて稀なのです。

「ノーカントリー」のアントン・シガーは、共感能力の欠如や暴力的な傾向など、実際の連続殺人犯と特定の特徴を共有しています。しかし、彼の人物像は大きく様式化され、特定の物語の目的に沿って描かれています。シガーに見られる哲学的な動機、計画的な行動、テーマの深さは、より複雑でありながら、しばしば思想的な動機に乏しい実際の連続殺人犯の現実とは大きく異なります。


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