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負と正のフィードバックを併せ持つ主張や行動は、ハイリスクハイリターンな螺旋階段を降りる危険性がある



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注意

特撮テレビドラマ
『ウルトラマンオーブ』
『ウルトラマンネクサス』

特撮映画
『ウルトラマンオーブ 絆の力、お借りします』


漫画
『銀魂』
『虚構推理』

小説
『探偵ガリレオ』
『二重螺旋の悪魔』
『カムナビ』(梅原克文)

テレビドラマ
『ガリレオ』


これらの重要な情報を明かします。ご注意ください。


はじめに

 環境問題や経済学で、フィードバックの符号が重視されることがあります。
 フィードバックとは、原因から生じた結果が、原因そのものを強めるか弱めるかすることです。
 たとえるならば、正のフィードバックは、左に傾くとさらに左向きの力が働き、右に傾くとさらに右向きの力が働く、山の上のような不安定なものです。
 一方、負のフィードバックは、左に傾くと右向きの力で戻り、右に傾くと左向きの力で戻る、谷の底のような安定するものです。
 経済学や環境では、この調整作用が共に扱われるようです。
 しかし、私がふと考えたのは、負のフィードバックと正のフィードバックの両者を併せ持つ論理の危険性です。
 まず、自分の能力に向上心やプライドを持つ人物の、「何であれ大掛かりなことをしたい」というハイリスクハイリターンな姿勢があります。さらに、そこには「自由の軸となる不自由」があります。


「本気の相手と戦いたい」負と正のフィードバック


 『ウルトラマンオーブ』では、かつて宇宙人のクレナイガイの味方だったものの、彼がウルトラマンオーブになったことへの嫉妬心などから反発したジャグラスジャグラーが、逆に敵となる魔王獣などを操りました。
 しかし、ジャグラーは手段を選ばずオーブやガイを倒すことにこだわるわけではなく、「俺は本気のお前と戦いたいんだ」、「戦いに集中しろ」と言っています。
 また、「格好悪いか格好良いか」でガイと戦うかを判断するところもあります。
 ガイが魔王獣「マガオロチ」に敗れたときには、とどめを刺さずに変身するためのカードを奪うにとどめ、新しいカードで暴走して勝利するように追い込みました。そのあとにカードを返しています。また、ガイもそのときにジャグラーを追い込み切れませんでした。
 また、終盤でオーブと同じ体格に巨大化したときに、戦闘能力の低い仲間の人間達のSSPや渋川をかばってオーブが倒れたのを、「くだらねえ、人間なんてかばうからだ」と話しています。
 しかし、オーブはその奮起こそ、「お前が捨てた力だ」として勝利しました。
 ここには、戦いを描く物語の「螺旋階段の論理」とも言うべきものがあります。
 おそらくジャグラーは、「自分は強くなってガイに勝ちたい。攻撃されて不満があるならばガイも強くなれば良い」として、反論を認めているつもりだったのでしょう。つまり、自分は一方的に攻撃するだけでなく、それによる反撃で自分が傷付くことも認める「負のフィードバック」があると主張したかったとみられます。
 しかし、それは戦いの被害の絶対値、すなわちプラスとマイナスを取り除いた値の拡大を続けるハイリスクハイリターンな主張であり、被害の拡大が繰り返される「正のフィードバック」もあります。ジャグラーは「何であれ大掛かりなことをしたい」と、それも望んでいたとみられます。
 しかし、「守る」意思を持つウルトラマンならば、そのハイリスクハイリターンな戦いそのものに疑問を呈すること、「敵が強くなるぐらいなら自分が弱くなる方がましだ」という論理も必要です。ジャグラーの望む「正のフィードバック」も抑えなければならないのです。
 ただし、ウルトラシリーズの主人公が常にそれを遵守しているかは微妙ではありますが。
 いずれにせよ、SSPや渋川達をジャグラーが集中して狙い、それをオーブがかばうだけならば、被害が点に集中して、それを防ぐだけで済みますから、ローリスクローリターンになるところもあります。それこそが、本当に「守る」ことなのです。
 そして、それがジャグラーにとっては「格好悪い」、「くだらない」ことだったのでしょう。
 ここに、「自由の軸になる不自由」の概念があります。
 ジャグラーは、「自分は反撃する自由を相手に与えて、反撃される不自由に耐えている」という意味での負のフィードバックを主張しつつ、「戦いの規模を拡大させる自由を手に入れ、それに巻き込まれる不自由を相手に与えている」正のフィードバック、ハイリスクハイリターンな変化も起こしており、後者も楽しんでいたのでしょう。
 オーブのローリスクローリターンな姿勢は、その楽しみを奪います。

「面倒くさい」「正義の味方」


 なお、『オーブ』劇場版でジャグラーは、SSPのナオミに「また悪いことをする気なの?」と聞かれて「何が良いことで何が悪いことかは人によって違う」と言いつつ、オーブの敵であるムルナウの能力であるダークリングを奪い魔王獣に変身して、「お前を倒すのは俺だ」とオーブを援護しました。しかしそれに敗れたとき、「正義の味方って、面倒くさい」とぼやき、ムルナウと自分の能力を同時に強化させていたダークリングを異空間に投げ込むことで、ムルナウを弱体化させました。
 しかし、これはジャグラーの願望のうち、ムルナウを倒してオーブを助ける第1段階を「楽にする」ローリスクな部分と、自分が魔王獣に変身出来なくなり、全力のオーブを倒す第2段階は「面倒」にするローリターンなところがあります。
 ジャグラーにとっては、敵と自分の両方を弱くするローリスクローリターンな姿勢が、「面倒くさい正義の味方」と言えるのでしょう。
 「自分は物事のリスクとリターンを考えて、負のフィードバックの働く行為をしてバランスを保っており、偏見はない」と主張したい人間の、「螺旋階段を降りる」ような軸方向の「正のフィードバック」を露呈させて、その感情を台無しにする論法はあります。それはある意味で相手を不愉快にさせますが、必要なときはあります。

 ちなみに、表題の図は正のフィードバックを右に、負のフィードバックを上下に考慮したものです。


ローリスクローリターンな姿勢が生み出す信頼関係


 『ウルトラマンネクサス』では、メタフィールドとダークフィールドのリスクとリターンが重要です。
 人間を捕食して細胞から増殖するスペースビーストに立ち向かうため、ウルトラマンネクサスが作り出すメタフィールドは、変身する人間の体に負担をかけ、ビーストを隔離します。当初はそのエネルギーから、ウルトラマンに有利に、ビーストに不利になるような空間の性質があったのですが、ビーストを操る敵であるファウストとメフィストが、メタフィールドをダークフィールドに書き換えたことで、むしろウルトラマンはエネルギーからは不利になりました。
 ファウストは、「ダメージの残る体で、自分の墓場を作るとはな」、メフィストに変身する溝呂木は、「俺は変身しなくてもダークフィールドを張れる」と話しています。
 しかし、ウルトラマンに変身する姫矢は、それでもメタフィールドの展開をやめませんでした。ダークフィールドでも、ビーストの隔離される性質は残るためです。
 つまり、姫矢にとってメタフィールドを張るのは、ダークフィールドに書き換えられて弱体化するリスクと、それでもビーストを隔離出来るリターンがあります。
 ビーストを操る敵であるファウストとメフィストにとっては、姫矢がメタフィールドを張るのは、ダークフィールドに書き換えて強くなれるリターンと、ビーストの細胞を拡散させられなくなるリスクがあります。
 溝呂木に至っては、そのリスクのある能力を自慢していたのです。
 ファウストやメフィストは、「ビーストの墓場を作る」可能性もありました。
 しかし、ビーストは強制的に操られているのか、ダークフィールドで強化すれば満足なのか、後者のフィールドで増殖の機会を奪われたことに憤る場面はありませんでした。
 一方、本作のウルトラマンは、当初はビーストの一種だと人間の凪にみなされており、フィールドも「有利な空間に引きずり込んだだけ」と推測されましたが、ダークフィールドに書き換えられる覚悟でメタフィールドを張ることで、強くなることより隔離を優先する姿勢が伝わったのか、信頼関係を得ました。
 オーブ=ガイのような、ローリスクローリターンな姿勢を姫矢も持っていたようです。
 ちなみに、本作で「ネクサス」という単語は最終回での「絆」の抽象的な表現のみであり、ある意味では、フィールドを張るローリスクローリターンな姿勢、「守りたい」心が「ネクサス」としての信頼関係を生み出したとも言えます。

『銀魂』の攘夷志士にとっての「戦国大名」はハイリスクハイリターンな存在である


 「何であれ大掛かりなことをしたい」という姿勢は、『銀魂』にもあります。
 本作は江戸幕府が宇宙人に従い開国して傀儡の政権となり、それに反発する攘夷志士の銀時が敗れて生活する物語です。
 しかし、攘夷志士の仲間の桂に再起を促されたときのある場面が重要です。
 本来は敵になるべき宇宙人であり、「攘夷」の意味すら知らなかった神楽が、桂に巻き込まれて警察に追われるとき、「ボスなら私に任せるヨロシ。善行でも悪行でもやるからには大将をやるのが私のモットー」と言い、それを不愉快に感じた銀時は「何、その戦国大名みたいなモットー」と怒鳴りました。
 神楽はこののちのあるエピソードから、桂に「リーダー」と呼ばれるようになりました。
 また、その神楽達が別の宇宙人の海賊に拉致されたときに、銀時は桂に、徳川家康の言葉を引用しており、「なかなか年寄りの言うことは馬鹿に出来ない」としています。
 やや短絡的な推測ですが、おそらく銀時にとって家康のような戦国大名は、「良くも悪くも大物」なのでしょう。家康は攘夷志士にとって打倒すべき政権を打ち立てた大名ではあっても、その政策が攘夷志士も肯定する日常を支えている面があり、全否定は難しいでしょう。そのハイリスクハイリターンな部分が、「善行でも悪行でも大将をやる」と表現されるのかもしれません。
 途中で家康の幽霊がコミカルに登場した回もありましたが。
 そもそも「やる気があるのか」という言葉はしばしば聞かれますが、「やる」というのはやや乱暴な動詞として使われることもあり、「良くも悪くも何らかの覚悟が必要な行動を決断する」というハイリスクハイリターンな意味合いがみられます。

犯罪を踏み台にする技術


 『ガリレオ』ドラマ版では、超音波と水で殺人を行う大学院生の田上が、その技術を軍事産業で売ろうとしました。それを暴いた物理学者の湯川は、田上が「10万人殺せば英雄になる」と正当化したのに対し、「僕は道徳観から君を批判しているわけではない」として、それより高度な超音波の技術を生み出し、「僕に負ける君の技術など誰も買わない」と言い捨てました。
 ちなみにこれに該当する原作での湯川は、犯人や関係者の争いに駆け付けるため、友人の刑事に「合理的に行動しよう」と自分を「物理的に」踏み台にして窓から入るように指示しました。
 ところがドラマ版では、自分の道徳心よりも、犯罪者を「学術的に」踏み台にする知恵と残忍さを見せました。
 「何であれ大掛かりなことをしたい」というハイリスクハイリターンな姿勢があり、それは「不満があれば自分に競争で勝てば良いとして、反論を認める負のフィードバック」と、「危険な技術の発展を容認する正のフィードバック」があります。

競争心と保身

 ちなみに、このドラマ版の最終回では、湯川の知っていた別の科学者である木島による核爆発が東京で起こりかけ、おそらく収監されていたであろう田上も巻き込まれる可能性がありました。田上は「10万人を殺す英雄」になるつもりだったかもしれませんが、逆に「英雄に殺される10万人」のうちになる可能性があったのです。その場合、田上も軍事技術の発展に怯える側に回ったかもしれません。
 そして湯川は、その木島が助手に犯罪を実行させて自分が手を汚さないのを「責任を取らないのは科学者として失格です」と批判しつつ、「僕も木島先生の危険な研究を告発出来なかったから同じだ」と、自分の問題点を振り返りました。
 湯川は自分の優れた研究に、競争で周りが対抗する意味での負のフィードバックを認めつつ、知人の危険な研究を止められなかったのは、研究や仕事を続ける自分の立場を守りたいという正のフィードバックもあったかもしれません。
 競争心という負のフィードバックと、保身という正のフィードバックが両立するのは、臆病かどうかの二面性があります。


際限のない被害を望む悪役

 『銀魂』では、地球のエネルギーにより、地球上では不死身の虚が、それへの迫害などに苦しみ続けたため、地球もろとも滅ぼうとしました。
 そのためならばいかなる破滅もいとわない「死にに来た」、「あなたでも私を殺せなくて残念です」という感情があり、自分にとっての損害も憎い相手にとっての損害も際限なく容認するハイリスクハイリターンな部分があります。
 『虚構推理』漫画版では、不死身の体を意図せずに与えられて苦しむ女性の六花が、その解決のために人工的な怪異を生み出したのですが、事情を知らない刑事が捜査のために深入りして命を落としたのには、のちに後悔の念を口にしていました。こちらには際限があります。
 『二重螺旋の悪魔』では、人類のバイオテクノロジーによりDNAから解放された怪物のGOO(ジー・ダブル・オー)が増殖し、ある「味方」をも解放しようとしました。しかし、その「味方」に裏切られる可能性を知り、最後は自暴自棄になり予定外の形で解放しました。
 『カムナビ』にも、『虚構推理』の六花に似た境遇の女性が、際限のない破滅を画策する自暴自棄なところがありました。
 ギリシャ神話の「パンドラの箱」が引用されています。


金銭の往復と共有財産の消費

 落語の『花見酒』では、2人組が花見で共有する酒を売ろうとして、一方が他方に金銭を払い酒を「買って」飲み、それにつられた他方が金銭を返して同じ酒を「買って」飲み、往復を繰り返すだけで酒が減る一方になってしまったという物語があります。
 これも、往復を繰り返す「負のフィードバック」と、酒を飲みたい感情を共有して消費し続ける「正のフィードバック」があります。
 経済学や環境でもこれは重要かもしれません。


まとめ

 負のフィードバックと正のフィードバックを併せ持つ主張や行動は分かりにくく、自由の軸になる不自由がある螺旋階段のような事象であり、そのハイリスクハイリターンな姿勢をいかに解決するかが重要だと、私は結論付けました。


参考にした物語

特撮テレビドラマ
田口清隆ほか(監督),中野貴雄ほか(脚本) ,2016 (放映期間),『ウルトラマンオーブ』,テレビ東京系列(放映局)
小中和哉ほか(監督),長谷川圭一ほか(脚本),2004 -2005,『ウルトラマンネクサス』,TBS系列(放映局)

特撮映画
田口清隆(監督),中野貴雄(脚本),2017,『劇場版 ウルトラマンオーブ 絆の力、お借りします!』,松竹メディア事業部(配給)

漫画
空知英秋,2004-2019(発行期間),『銀魂』,集英社(出版社)
城平京(原作),片瀬茶柴(漫画),2015-(未完),『虚構推理』,講談社

小説
東野圭吾,2002,『探偵ガリレオ』,文春文庫
梅原克文,1998,『二重螺旋の悪魔(上)』,角川ホラー文庫
梅原克文,1998,『二重螺旋の悪魔(下)』,角川ホラー文庫
梅原克文,1993,『二重螺旋の悪魔 上』,朝日ソノラマ
梅原克文,1993,『二重螺旋の悪魔 下』,朝日ソノラマ
梅原克文,1999,『カムナビ』,角川書店


テレビドラマ
鈴木吉弘ほか(プロデュース),福田靖ほか(脚本),東野圭吾(原作),2007,『ガリレオ』,フジテレビ(放映局)


参考文献

麻生芳伸,2017,『落語百選 春』,筑摩書房(『花見酒』)
伊勢武史,2012,『「地球システム」を科学する』,ベレ出版

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