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ポーカープレイヤーから動物生理学者へ あるロシア人男性の物語

シベリア鉄道に乗ってロシアを周り、いろいろな人の話を聞くプロジェクトМесто47。今回はある男性ポーカープレイヤーの話です。純粋にプレイ楽しむことからスタートした彼は、いつの間にかプロのポーカープレイヤーとして大金を稼ぐようになっていました。ところが外面的な成功とは裏腹に、彼の生活は荒んだものとなっていきます。そして彼にとって決定的な瞬間が訪れました。
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最初は趣味でやってたんです。ただプレイするのが楽しくて。
初めて3千ルーブル勝った時に、これ一本でやっていこうって思いました。
ある時に自分のプレーを見た人間が、レベルの高さに驚いていました。彼は私の才能を見抜いたんです。自分の型破りなプレイスタイルも気に入ったようでした。「俺と1ゲームしないか?」と誘われたので、ビールをかけて一勝負したんです。私はラッキーで彼に勝ちました。その後彼から誘われて一緒にトレーニングし始めました。1年でかなり成長しましたね。

当時は賞金のない大会でしかプレイしてなかったので、タバコを買う金もありませんでした。それがある時に4万ルーブルまで勝ったんです。その後別の大会に参加して20万ルーブル手に入れて。次はネットでプレイし始めると大きな勝ちがいくつか重なって、手持ちが10万ドルにまでなっていました。2011年はまさに記念碑的な年でした。出る勝負出る勝負全て勝ちました。

時々こんな状況ってありますよね。例えば手持ちが1万ドルあるとします。今日はすでに2,3千ドル負けが込んでいて、あなたはなんとか取り返したいと思っている。ポーカーではよくある状況です。重要なのは予定通りゲームを切り上げること、そして頭を切り替えることです。

不健康な生活サイクルによって問題が忍び寄ってきました。頻繁に真夜中にプレイし、神経をすり減らし、アルコールに逃げる。若いけど金はありました。散財しましたね。女、旅行、クラブ通い。結局ある時にパニック障害が始まりました。病院に行きましたが、症状は改善しませんでした。

私はその頃一つの考えに取りつかれていました。私は全てのゲームに勝ち大金を稼ぐ。しかもそれは永久に続くと。でもそれから5年後くらいにポーカースクールが出てきたんです。自分が胡坐をかいている間に、人々は技術を磨き始めました。その頃自分の才能は無限大だと思っていました。ところが研鑽に努めてきた人々は、私に追いつき追い抜いていったんです。そこで私は悟りました。自分の進むべき道は二つ。一つは本腰を入れてポーカーのスキルを高めること。もう一つはポーカーからは足を洗って別の道に進むことだと。

私が選んだのは二つ目の方でした。科学の道に進み、動物生理学を勉強するために修士課程に入りました。

ポーカーにおける勝敗は、8割が運で残りの2割が技術によるものと言われます。でも1年の長いスパンで考えれば、その比率は逆転します。長く鍛錬すればより技術を発揮できるようになります。努力に勝る天才なしということですね。

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ポーカープレイヤーが人の考えが読めるというのは誤解です。マイク・カロの「Poker Tells」という本があります。その中で人の動作について実用的な説明がなされています。良い手が来ているプレイヤーは背もたれに寄りかかりリラックスする傾向があります。プレイヤーがウソをついている時は前のめりになり、まるで何かを隠すかのように顔の近くに手を持ってくることが多いのです。もちろんそのことを逆手にとって相手に間違ったメッセージを送るプレイヤーもいます。

2年半前に父が亡くなりました。私も母も家に居ない時に脳卒中で倒れたんです。4時間放置されてる間に脳出血が続いてしまって。このことでこのままではいけない。変わろうと思ったんです。全てのことについてもっと真剣に考えるようになりました。ポーカーも、自分の成長とか人生の目標についても。父は私にとって最も身近な人でした。今でも夢に出てきてよく二人で話込むんです。今もし父が生きていたら100%応援してくれると思います。
ずっとそうでしたから。

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