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バンジージャンプはエンタメなのか?

「バンジージャンプはエンタメなのか?」と考えることがありました。どうやら世の中的には「否」のようです。きっと「罰ゲーム」感が強いのでしょう。でも「バンジーってこんなにも人生を喜ばせてくれるのに・・・」というのが僕の素直な気持ちです。そんなことを考えていると「エンターテイメント/エンターテインメント/エンタメ」という"言葉の使われ方"に自分が違和感を感じていることに考えが至ったので、走り書きをまとめてみました。

■簡単に自分について

全国を制覇するほどバンジージャンプが大好きでラジオ局勤務のサラリーマンから脱サラし、手軽で本格的なバンジージャンプの疑似体験をお届けする『どこでもバンジーVR』というサービスを開発して現在海外進出を目指しているヤツです。

©︎TBSテレビ

僕は生きることは冒険だと思っていて、一定水準の安全が確保された現代だからこそ自らの人生の冒険性へ飛び込み楽しむことがこれから大切になってくるのではないかと思っています。

■結論:「言葉の定義がおかしい」あるいは「新たな言葉が必要」と思う

「エンターテイメント」という言葉について調べてみると、様々な定義や説明がなされていました。Wikiでのカジュアルなまとめ方だと下記でした。

画像:Wikipediaより

僕は「エンターテイメント/エンターテインメント/エンタメ」という言葉が商業性を前提とした文脈で語られることが多いと感じていて、はじめの引っ掛かりはそこにありました。
商業性が前提となっていることにより、そのコンテンツは一律に楽しく体験できるようパッケージされていることや、金銭を支払うことで受動的でも起承転結が得られるものであることが必要条件になることが多いのです。ここに違和感を覚えた次第です。

例えば、スポーツはエンターテイメントと言えるでしょうか?
多くの人は、「スポーツ鑑賞」はエンターテイメントであるけど「スポーツすること自体」はそうでないと感じるでしょう。「スポーツすること自体」には能力差があり勝敗も発生する為、一律に楽しく体験できるようパッケージされているものとは言えないからです。

 また、旅行することもエンターテイメントと言えるでしょうか?
渡航費や宿泊費やグルメやサービスに金銭を支払い、要素要素でエンターテイメントを享受することはあっても「旅行すること自体」はそうでないと多くの人は感じるでしょう。これも「旅行すること自体」は受動的に進むものでなく、決まった起承転結を得られるものではないからです。

写真:グランドキャニオン 一人旅

「スポーツすること」も「旅行すること」も、それそのものを「エンタメ」と呼ぶ風習は今のところ無いと思います。ただ、確かに僕たちの心を喜ばせてくれます。
一方、「スポーツ体験教室」や「ツアー旅行」などのパッケージされたものであれば、その内容の演出方法によっては「エンタメ」と呼んでも違和感は無いかもしれません。
ここの差異がエンタメかエンタメで無いかを分け隔てるのでしょうか?ますます「エンタメ」ってものが何なのか分からなくなりそうです。

■エンターテイメントの本質とは

僕は「エンターテイメント/エンターテインメント/エンタメ」という言葉で指し示す物事には「非日常の体験」という要素が含まれていると思います。"体験とは何か"については別の機会にまとめたいですが、僕はこの"非日常を体験させてくれる"という要素がエンタメの持つ最も重要な要素だと思っています。

言い換えると、エンタメは時に僕たちを日常から切り離して夢中/没我状態にしてくれると思います。これはコンテンツのクオリティ論となるかもしれませんが、僕はそんな状態にしてくれる体験を日々求めています。

補足をしておくと、商業的であろうとなかろうと、僕はエンタメが大好きです。サラリーマン時代にパワハラに遭って抑うつ状態になっていた時、仕事終わりに1本でも映画を観ることだけが自分の人生を積み上げてくれることを信じられる唯一の心の支えとなりました。コロナ禍で事業が上手くいかなくなってSNSを全く見ることができなくなるくらい心が動揺した時も、音楽や漫画やアニメや映画が目の前の嫌な日常を忘れさせてくれました。
 元々、小さい頃はゲームを始めとするエンターテイメントで好奇心を育みましたし、体験型のアートに人生観を揺さぶられたこともあります。最近では凄く良くできたイマーシブシアターに出会いしっかり物語へ没入する感動を楽しんでいました。

つまり、目の前の嫌な日常から離れる為であろうと、日常のプラスアルファとして楽しむ為であろうと、多くの場合は夢中/没我状態の心地よさを求めて僕たちは非日常の体験=エンタメを求めているのだと思います。それがエンターテイメントの本質だと思います。

どうでしょう?読者さんの思う「エンタメへの認識」や「エンタメに求めていること」とズレはありますか??

写真:シンガポールで体験した屋内スカイダイビング「iFly」

■で、結局バンジーはエンターテイメントなのか?

今回のNoteで僕が伝えたいのはエンタメの商業性の批判ではありません。むしろ、「エンタメってものを単なる娯楽以上のものにしようよ」という個人的な思いを表現したかったんです。

なので、"誰でも一律に楽しめる"とか"お金を支払えば受動的にでも起承転結を味わえる"といった前提で語ろうとすると「バンジージャンプはエンタメじゃない」という結論になると思います。(「バンジージャンプ」は本当に面白いくらい「やりたい人」と「やりたくない人」とが分かれるので。)

一方、"非日常を体験できる"とか"没我状態を味わえる"といった要素のみで"エンタメ"と言えるならば「バンジージャンプは、人によってはエンターテイメントになり得る」でしょう。バンジージャンプは字の如くそれまでの常識を"超越"する体験なので、個人的には「非日常の極みにある至上のエンターテイメント」と思っています!

でももしそんな前提で語ることが難しいのだとすれば、バンジージャンプを始めとするそういった物事は「エンターテイメント」とは別の言葉で表現したいところです。
つまり、「何が得られるか・どう感じるかはその人次第。だけど圧倒的な非日常や没我状態を得られうる物事」について新しい言葉で表現したい。

なんだろう。
例えば「オーバー・エンターテイメント」とか「エクストリーム・エンターテイメント」とか「Transcendence(常識を超えた状態)」とか・・・?
、、、ネーミングセンスの無い人間なのでこれ以上は止めておこうと思います。笑

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