校正者必読! 横澤一彦『つじつまを合わせたがる脳』~感想
「ゆる言語学ラジオ」の食レポの回で「安心・安全の岩波ライブラリー」と紹介されていたのが本書だ。しかし、食レポとは関係なく、実は校正者が読むべき本でもある。とくに第3章「見落として当たり前」だけでも読むのを勧める。章名どおり、「見落とし」について科学的に考察し、実験した結果が載っている。
「標的」とは、「異常」と言い換えてもよいが、「校正および校閲」(以下「校正」という)においては、校正刷り(ゲラ)の「ミスおよびコメントしなければならない箇所」(以下「ミス」という)のこととなる。つまり、校正刷りにミスが少なければ少ないほど、見落とす率が高くなるというおそろしい現象について述べられているのだ。たとえ誤植が1か所しかなくとも、それが重大なものであれば謝罪や回収となるのが出版業界である。
なぜ、ミスが少ないほど見落とし率が高くなるのか。それは本書に載っている。
「呈示項目」とは、本書では、空港の手荷物検査において「工具(金づちやのこぎり)」を1項目と扱っていることが示唆されている。校正であれば、「誤植」「級数」「フォント」「ルビ」「かぎかっこ等の約物」「事実確認(ファクトチェック)」といった項目を指すことになろう。チェック項目が多ければ多いほど、すべての項目を確認しなければならないために時間がかかる。これはいいだろう。
そのため、校正現場においても「ミスがない」という判断は「ミスがある」という判断よりも遅い。これもいいだろう。
問題はその次だ。ミスの出現確率が低いほど見落とし率が高くなるというところをちょっと考えてみたい。
まず、ミスの出現確率を0.01%とする。1%では、100字のうち1文字が間違っていることになる。校正者に回ってくる原稿で「出現確率が低い」とは言えないため、例として適切ではない。
0.01%なら10000字に1文字の間違いだ。1ページが何文字何行で組まれているか、どの程度改行や会話があるかによるけれど、たとえば小説30ページに1文字のミスというくらいになる。精度の高い原稿ならばあるかもしれない。これなら「出現確率が低い」といえるだろう。
このように「滅多にミスがない」原稿の場合、「ミスがない」という判断の方が「ミスがある」という判断よりも早くなる。不十分な処理で「ミスがない」と判断してしまうために、見落とし率が非常に高くなる。ほんとうだろうか。
本書で「標的(異常)を見落としてはならない職業」として2つの職種が挙げられている。疾患部位の検出に携わる医療診断の専門家と、空港などで危険物を除去するための手荷物検査に携わる空港職員である。この2つの職業従事者も、やはり見落としというのはあるという。
ということは、残念だが校正者も同じ傾向があるということになる。しかし、対処法はあるのだ。
ここですね。校正者だって同じはず、つまり「事前学習(経験を積み、それを忘れないように覚えておく)」と「フィードバック」が大事ということになる。やはり、自分が「なんとか拾えた(間違いを発見できた)」事例と、「落とした(間違いを拾えなかった)」事例をリストアップしておくのは必須なのか。
いつもフィードバックを得られるとは限らないが、少なくとも出版された本と自分が校正刷りに入れた赤字とを照合することはできる。わたしは、紙の校正刷りを戻すとき、必ずスキャンしてデータにしておくので記録が残っているのだから。
くわえて、できれば他の人の例も集めておきたい。新聞社の校閲部がこうしたツイートをしているので、それを拾ってリストにしておくのも有効だろう。これはすぐやろう。
もうひとつ、校正者が知りたい点が本書には載っている。
校正だって、ひとりでやるよりも(異なる場所で別々に)複数で取り組む方が見落としの確率が低くなる。新潮社の校閲講座でもそう習ったし、実感もしている。しかし問題は、本書の次の箇所だ。
ポイントは「出現する確率が低い標的」である。校正作業の場合は「滅多に見ない種類のミス」ということになる。
表紙や帯、大扉、大見出しの文字等に目立つ誤植が残っているのに、出版されてしまうことがたまにある。その理由はこれだろうか。関係者が何人も見ていても「(他社の事例等で)知ってはいても自分では未経験」だった場合、こんなことになりがちということだ。
まして、最終修正後、時間がなく校正者を通さないということもあるだろう。担当編集者とその周囲数人、上司、デザイナー等々、何人もの目をとおったのだから大丈夫だろうと、そのまま印刷工程に流す。そうなると複数の人員が見ていようが、「専門の訓練を積んだ校正者」が見ていないため、危険性は桁違いに高まってしまうわけである。
校正者であろうとなかろうと、いや出版業界の誰しもがこのことを知りたがっているだろう。その答えも本書に載っている。
ひとことで言うと、やっぱり「時間をかけて隈なく見る」しかないんだろうなぁ。
まぁ、そういうことなんですよね。急がない、ゆっくり丁寧にやる。これまで、他の人のものも含めて間違えた事例を集めて折りに触れ復習する。それくらいしかミスを「少なく(ゼロにするのは無理)」する方法はない。
そうそう、校正者なら誰しもそうしているが、「終始安定した探索速度を維持」つまり、ひとつの文字にかける時間は一定であるということも大切なポイントだ。ここは翻訳チェックも同じだろう。緩急を「つけない」で読むのである。
さて、この原稿の締めとして、本書から次の引用をしよう。
編集者の方々へ。校正者はみな「その作業の重要性を理解し、丁寧に時間をかけて繰り返し作業に取り組」んでいます。
校正者の方々へ。「見落とし回避につながるコツをつかむために経験を積むというのは、人間の限界を超える能力を身につける作業ではない」のだから、お互い、これからも「丁寧にがんばって」いきましょう。
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