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石黒圭『知っているようで知らない 日本語てにをはルール』から得た知見

読みやすくて信頼のおける「日本語ライティング書」はここから

 世の中に文章術の本はあふれている。ライターが書いたものは玉石混交であり、国語学者が書いたものは若干感覚が古い、文章が硬すぎて読みづらいこともある。
 だが、石黒先生の本なら間違いはない。「ライティングの本」として「最初の一冊」に挙げたい本はいくつかあるが、助詞の大切さは最初に知ったほうがよいと思っているので、本書はとくにお勧めである。 

「の」について

「AのBのC」と書いてある文は、読みづらいし見た目もしつこく読む気をなくす。「の」を多用しないというのは「書く商売」の人なら誰でもわかっているだろう。ではなぜそうしてはいけないのか。
 本書に答えがある。

一つの文のなかで「の」が続くと、あいまいな文になってしまう。読点を打つことである程度は解決できるが、決定的ではない。また語順を変えても、あまり有効ではない。「の」で簡単に続けず、面倒くさがらずに詳しく書くべきである。

本書59ページより

 本書の例文は「百万円の絵画の額縁を買った」である。これでは、絵画が百万円なのか、額縁が百万円なのかがわからない。「百万円の絵画を入れる額縁を買った」「絵画を入れる百万円の額縁を買った」とすれば「百万円」がどこにかかるか明らかになる。こういうことを丁寧に教えてくれる文章術本は意外なことにあまりないのだ。

「~して」を多用する人はライティング力がない

「の」の多用に付随して、わたしは「動詞+して」と「名詞/形容詞+で」を多用するなといつも言っている。
 翻訳者の訳文を直すとき、文体面で一番多く手を入れるのが「当社は環境に気を配って、CSRレポートを発行して、SDGsを目標に掲げて~」と続く文である。長い英文を訳すとき「~して」「~で」とすると、とりあえず日本語にはなってしまう。急いでいるときにこの手を使う翻訳者は意外に多い。
 だが、そういう訳文を作る人をわたしは信用しない。読みづらくて必ず直すことになるからだ。あまりにも多いときは「変更履歴をご参照ください。この翻訳者はライティング力がないから次からは直したくない」と担当者に申し送りをすることもある。

プラスの言葉とマイナスの言葉

 「話し言葉」ではなく「書き言葉」で書く。これも、実は世の中の「ライティング本」ではあまり見かけない。だが、「話し言葉」で書くと稚拙な印象があるので避けた方がよいと著者ははっきり言っている。本書には具体的な言い換え例もある。 

そんな→そのような
~とか→~や
~たら→~と
~したら→~すると
~してた→していた
~を食べてる→~を食べている
~んじゃないか→~ではないか
やっぱり→やはり
ばっかり→ばかり

本書103ページより

 左の語のように「話し言葉」で書く人には、「この人に『書く』ことを頼みたくないなぁ」とわたしは思う。
 なぜだろう。「書き言葉」を書く人が、あえて「話し言葉」で書くのは簡単だが「話し言葉」で書く人は「書き言葉」を書けるとは限らないからである。

失礼や下品だととられる可能性がある語は使わない

 わたしは、自分に言われたら「失礼だ」と思う語は決して使わない。書く商売の人なら誰でもそうだろう。だが、「失礼」のレベルが人によって異なるようだ。昭和人間のわたしは「失礼」と思うレベルが低いのかもしれないと思っていたが、本書で詳しく説明してくれていた。
 たとえば「どうしても」を使わない方がよい理由は、次のように述べられている。

「どうしても」には「たとえ嫌でも」「どんなことがあっても」というように相手の気持ちや事情を無視してまでも自分の望みをかなえさせるという強い要求が含まれています。ですから「どうしても~してください」というと、「たとえ~したくなくても、大事な予定があっても(それよりも優先して)~してください」ということになり、よほど切羽詰まった用件があるかのような印象になる。

本書92ページより

 本書では、このように「なぜ」それがよくないのかという理由を詳しく説明されている。省略表現を使うなというのも、「それを聞いてわからない人もいるかもしれないから」である。
 加えてわたしは、省略表現には「わかる人だけわかってくれればよい」という雰囲気を感じる。「顔本」と書けば、それがFacebookの隠語だとわかる人だけに向かって書いているということになるのだ。失礼だし、「顔本」は下品極まると思うのでわたしは使わない。

「よ」「ね」「な」のような終助詞は使わない

 「よ」「ね」を使われると、わたしはなんとなく不快に思っていた。その理由もやはり本書に載っている。

終助詞「よ」と「ね」は、相手に同意や返答を求める役割がある。

本書106ページより

 そういう役割のある語を使うと、読み手は「同意しなきゃいけないの?」「返答しなきゃいけないの?」と思ってしまう。「ね」「よ」は相手に不快に響くことがあると思っていたが、こういうことなのだ。
 また、「な」は稚拙だ。メールや、いやSNSであっても「うれしいなと思います」と書いてきたら「この人とはビジネスをしたくない」とわたしなら思う。
 こんな風に、ふだんから思っていることに理由を与えてくれるのが本書なのである。ベテランライターもぜひご一読を。「だからこの語は自分は使わないのか」が腑に落ちるはずである。

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