思い出す古典

小にして学べば、則ち荘にして為すこと有り
荘にして学べば、則ち老いて衰えず
老いて学べば、則ち死して朽ちず
──佐藤一斎『言志四録』

上の引用は江戸時代の儒学者の言葉で、高校生の頃に読んで、一回で記憶に残った。それだけインパクトがある三行なのだ。
「若くして学べば、大人になって大成する。大人になって学べば、老いてからも衰えない」ここまでは淡々と読める。そんなものなんだろう、と漠然と思う。印象に残るのは、最後の「老いてから学べば、死んでも朽ちない」だ。気魄のある一行で、学問への執念や狂気すら感じさせる。死んでも朽ちないってすごいな、と、当時読んだときは一瞬背をのけぞらせた。

「学ぶことはそれほど大事なのだ」ということなのだろうが、それだけならこの凄まじい表現は出てこないだろう。どうしてもこの最後の一文には、尋常じゃないものが感じられる。解釈は他にもあるだろうが、「朽ちない」の意味は「その人の人望は死んでからも衰えることがない」と捉えられているようなので、とりあえずそれに従う。

「老いてからも学べば、死んでもその人望は衰えることがない」
……これを聞くと、どうしても古い価値観にしがみついて「老害」と呼ばれる人たちの存在が頭をよぎる。名言は、裏を返すととても残酷なことを言っているケースが多いが、これもまた「老いて学ぶのを止めた者は、人望を得ることがない」という現実味を帯びた言葉になる。「老いて学べば、則ち死して朽ちず」の背後には、朽ちていく人たちに対する冷徹な観察眼があるように思う。

だから冒頭の三行は「学べば常によいことがある」という意味であると同時に「学ばない者の人生はそこまで」というメッセージも伝える力がある。それが妙な気魄を感じさせるんだろう。初めて読んだときに感じた狂気の正体は、文の背後にある、残酷なまでの現実主義っぷり。そういうことなのかもしれない。

それにしても、思春期の頃に出会った文章と、大人になってからもこうして向き合う機会があるのは、なんだか贅沢な経験だ。若い人たちにアドバイスできることなんてほとんどないけれど、もし何か言えと言われたら「たくさんの言葉に触れておくこと」を挙げたい。詩でも小説でも、名言でも歌詞でも、なんでもいいから、いろいろな人の言葉に触れること。それが人生を大きく変えたりはしなくても、生きることの養分にはなってくれるだろうから。

もっとも、自分は読書家でもなんでもなかったから偉そうなことは言えない。ただ、言葉に触れたいと思った時、古典は本当にいいよと最後に書いておく。

本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。