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本『ダイアローグ』〜対話は人生を彩る

対話とコミュニケーションの違い

ヒエラルキー社会では対話が成り立たない、とされている。なぜ成り立たないかというと、ヒエラルキーを大切にする人がいるから。

コミュニケーションとは伝えることを目的としていて、対話とは目的を共有して互いの内側を引き出しあい,想定の着地からジャンプした創造的な解を作りだす行為。
つまり、引き出す過程を大切にしなければゴールには辿りつかない、相互理解と目的理解、過程を外れないように集中力を必要とする。

思考と対話の違い

思考と対話の違いを明確にすることになんの意味があるのか。
思考は私たちの頭の中の会話で、これまでの経験や知識や正義をもとに決められた前提。
対話はその時点で答えも正義も判断もない。今からみんなで思考ごと作っていくものだから。

対話とはどういう状態なのかを理解する

対話は意味や目的、価値を共有することがまず大切。自分の持つ前提を一度保留する必要がある。
私たちは私たちの思考をよく理解していないことがある。
なぜなら思考は経験に基づく反射。注意を向けないと思考の過程を無視してアウトプットしてしまう。
対話は自らの存在が全体の一部であることと、一つ一つの事象が独立していることの間を理解している状態なのだ。

自分と対話しないと他人との対話で支障が出る

対話というと、他者間のやりとりを思い浮かべることもあるが、まずは自分と対話することが最も重要なこと。
答えをいつも外に求めてしまい、相手の存在や対話の過程を大切にできずに、どこかで借りてきたような、どこかで聞いたような回答を提示することに安心してしまう。

もし私たちが自己と会話ができると、自分がどんな感情で、なんのために発言しようとしているのかわかる。
少し腹を立てたらそれを伝えようと反射的に反応する。だから感情の保留は大切。
保留するとは蓋をするということではなく、しっかりとその感情を認識して、どうしたいのか自分と対話する。自分の感情わ無視してはいけない。

しかしこれができないと、他人の存在や感情を無視してしまい、人を傷つけてしまったり、自分の正義に固執してしまい対話が成立しない。

対話するといいこと

対話は難しい。でも自他の感情や存在の機微にきちんと注目する余裕を持つことができると、無限の可能性作り出すことができる。
すると何がいいのか。
そこに価値が生まれ、豊かな時間を作り出すことができる。
難しいようだが、私たちが相手の存在を大切にし合うことができる人が1人でも増えると、世界は豊かになる。

対話の上に成り立つ議論を

そうはいっても、対話の理解がない人と対話はできない。
それでも私たちは対話をしなければならないのか。
対話は義務ではない。対話は私たちの人生やの時間や空間を豊かにする。だから対話のできる仲間を増やそう。
対話ができる人と議論をすると、吟味するよりクリエイティブな解を導き出せる。

昔はヒエラルキーでよかった。時間が予定調和で流れていくから、経験が全て。
今はテクノロジーやリテラシーの発達により、時空を越え圧倒的に時間が圧縮されてしまった。つまりヒエラルキーの意味が担保できなくなってきた。

今こそ、自分を大切に、人を尊重し、私たちの一部である宇宙を敬愛することを再認識したい。
そして、生かされている宇宙で、どうやって強制していくのか、既成の解ではなく、新たな解をクリエイトしよう。

私の価値観

私の価値観は、対話や対峙を通して光を当て、価値を最大化すること。

これは議論をする上で大切なことなのに、私たちは対話を飛ばして議論をすることが多い。
その違いを知らないと、議論をする中で対話や会話が混じってしまい,つい感情的になったり傷つけたり傷ついたりする。

人との関わりとは愛、だと思う。

自己への愛、他者への愛、全体への愛。

愛の上に成り立てば、議論も争うことなく『創造』できる

そんな余裕がないのではなく、そんな余裕を作るための方法を考えたい。
これは理想?いえ、目指さなくては理想のまま。
私はすでにそんなコミュニティを持っています。

ただ、対話には少しの知識と愛と感謝に満ちた心が必要です

これから私は『生きがい経営』をしていきたい。
社会に生きる私たちが生きがいを持って自己,他者、世界を敬い社会活動を行う手伝いをする。
そんなコミュニティを対話を通して作っていきたい私にとって、良本でした。

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