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学びは快楽、学び続ける大人たち

「女が中途半端に学んでどうするの?」

ビジネススクールに通いたての頃、ある40代の専門誌の編集さんに言われた一言。

『ほっといて』

という話なのですが、その前に、色々気になるところありますよね。

『女が』『中途半端に学んで』『どうするの?』

なぜその質問をするのか?

『女が』
30,40代が育ってきたのはそんな世代なんです。今もし違和感を感じる方がいるのであれば、これに関して時代はよくなってきて、価値観を変えようとする大人たちが増えたのかもしれません。

『中途半端に学んで』
彼は霞ヶ関が顧客になる仕事をしています。霞ヶ関には、お勉強のできる方々も多くいらして、彼のにとって『学び』のタグとして最高峰なのかもしれないですね。

『どうするの?』
単純にわたしの行動に興味があって、聞いているのであれば、彼は、「どうして学んでいるの?」「学んで何をするの?」など質問したらよかったかもしれないですね。


「女が学ぶなら極めろ!」と叱咤ししようとしていたのかもしれませんが、
自分の発する言葉は、時代や価値観を反映する鏡なので意識したいですね。


なぜ学日続けるのか

楽しいからです。

学ぶことが楽しい、知ること、分かることが楽しいからです。役立つために学ぶとしたら限界が来ます。

人は、18,19歳までに、分かることや腹落ちすることの快楽を得ると、大人になってもその気持ちよさを求めて学び続けるそうです。

若い頃に学ぶ快楽を獲得していたら、大人になっても学び続け、何年も前の常識を引きずることはないのかもしれませんね。


癖になる学びの条件

若いときに身につける癖になる学びは、強制された学びではなく、自分で興味を持ち探究したものを指します。なぜなら、人は、興味のない学びは頭に残らないからです。

私たちの周りには、目に見えない2つの学びを妨げるものがあります。

ひとつは貧困、もうひとつは世間の目。

子どもの貧困は7人に1人いるそうです。彼らに学びの機会を与えようと頑張る大人たちが、私の周りにもいます。

世間の目は、子供だけでなく、大人、親への影響力が強い。少数派や浮いた存在にならないよう自分を守るための基準。学びの目的が、いつの間にかマジョリティから外れないにすり変わる瞬間があります。

大人も子供も、自分の探究心をくすぐる興味そのものこそが個性です。『多様性』という、とってつけた言葉ではなく。
私たちが好きなものや好きなこと、自らの信条を安心して語れる空間を持つことこそが、相手の個性を認められる一歩と考えます。

ついつい話がそれましたが、学びが楽しいということは、小さい頃から好奇心を大切にしてもらえた証拠なんでしょうね。親に感謝です。

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