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本当の自分は探すものではない。だって、創っていくものだから

退屈だと思える日常に不満を持っていた

何処かで聞いた時から、ずっと心の何処かで考えていたことがありました。人生は旅のようなものなんじゃないかということです。

自分でも気づかずに知らない自分がいるのではないか。自分の中に眠っている新しい自分がいるんではないかと感じていたからでした。そうした自分をを呼び起こすには、旅をするように生きる必要があるのだと思ったのです。色んな人と出会ったり、見たことのない景色を見たり、様々な新し経験を得ることで、未知の自分に出会えるのではないかと。

かつての僕がどうしてそこまで考えていたのかというと、その当時の自分の現状にとても不満を抱き嘆いていたからでした。毎日が同じように見えるのです。ひとつの会社に長い間勤めていたこともあって、多少は変動することはあっても、毎日が同じ顔触れ、毎日が同じ道、ほとんどが毎日することが決まっている。そんな毎日では、自分は満たされなくなっていました。もっと何か出来るんではないかと思ったのです。自分がとてもちっぽけにみえたのかもしれません。

ただ僕は、自分の現状に不満を抱えているのにも関わらず、新しく人生を踏み出す勇気が持てませんでした。自分には新しいことなんか出来ない。そんな度胸なんかないんだ。そんな余裕もない。

だって、自分には守るものがあるから。そうやって自分をかばっていました。自分探しなんて若いからこそ出来ることで、ちょっとしたものでも立場が出来てしまうと、そんなことを言うのは自分勝手な人間でしかないんじゃないだろうか。どれもが自分が決めたことです。自分が決めた仕事で生きていくのは当然。自分が決めた場所で生きていくのは当然。自分が決めた道だから、そこを歩くべきだと考えていました。今更、変えようなんて都合が良すぎるのではないかと思ったんです。

今の場所にも、どこか安定があって、そこにずるずるとすがっていたんだと思います。ですが、どこか不満は消えずに、ずっと心の中でくずぶり続けていたのかもしれません。

もっと、自分はやれるはずではないだろうか。もっと、自分には輝ける場所があるのではないか。現状の不満から、そんな、淡い期待を持つようになっていました。

愚かな選択をしてしまった過去

僕がたったひとつの挫折で、何もかもを捨てて逃げ出してしまったのは、そんな思いを持っていたからかもしれません。大きな挫折ではなかったのかもしれませんが、僕が追い込まれたのは確実で、これまでの思いが全て、糸が切れたように、どうでもよくなってしまったのです。結果的に、重度の鬱病だと診断されたのですが、僕が失踪したのは、間違いなく僕の意志でしかありませんでしたから。

自分の人生を終わらせるにしても、最後に自分探しの旅に出ようと思ったのです。

色々彷徨うように気の赴くままに行ってみて分かったことがありました。そこには、どこまでいってもダメな自分が付いてくるし、何処まで行っても情けない自分が付いてくるのです。それは、より憂鬱なものであったし、ただただ、孤独を感じるだけでした。

そこで、新しい何かを見つけることが出来れば、すっきりとして気も済んだのかもしれません。ですが、自分探しの旅の先に何もないことを知ったぼくは、元の世界に戻ろうと思い直したのです。

結局のところ、自分が壊したものが戻ってくることはありませんでした。逃げたことは事実でその責任は重いものでした。これまで、積み上げてきたものは簡単に壊れるもので、修復を試みても叶わないものだったのです。

人から見れば、こんなことは自分探しの旅ではないというかもしれません。いや、誰が見ても、ただの自分の人生から逃げただけのことではないかと批判されるかもしれません。

ですが、あの時の自分の覚悟は、自分探しのためにと勇気を振り絞ったことは間違いありません。それが、あまりにも、お粗末な結果だったのかもしれないけれど、僕なりに試みた結果なのです。

自分探しをして分かったこと

それから、良くも悪くも、何もかも失ってしまったことで、僕は自由でした。はじめの頃は、人生に希望は持てなかったけれど、徐々に新しい自分を求めて、開き直ったように色んなことにチャレンジすることが出来たのです。

自分よりも、若いコミニティに入ってみたり、これまでやりたくて我慢したことをやってみたり、行ったところのない場所にいってみたり。色んなことを試してみてました。その時に、楽しいこともあれば、逆に辛い気持ちになることもありました。壁にぶつかってしまうこともしばしばで、出来ない自分の力量を思い知ることもあります。

その度に、喜んだり思い悩んだりしながら、僕は自ら自分を変えていっていることに気が付いたのでした。

それは、自分が新しい自分を創り出していると自覚できたんです。

かつての苦しみは、自分は自分であるということで、どこまでも変わらない自分がいるものだと思い込んでいたから、苦しみが生まれていたのです。自分が変らないものとして前提であるからゆえに、何もない日常を何も変わらないものにしか見えなくて退屈だといっては、自分探しの旅に憧れるだけでした。

ですが、実際に自分探しという思いを持って、人生の度に出てみて分かったんです。今暮らしている場所が変わっていくように、どんどん自分も変わっていくものだと。その変わった自分こそが違う世界を見せてくれるものだということです。

つまり、新しい自分というのは、出会うものではなく、こうありたいと思い、自分で創り出していくものであったのです。そう思うと、退屈だと思う日常もおのずと変わっていくのではないかと思います。

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最後まで読んで頂きありがとうございます。
今日も自分をご機嫌に。
メルシー

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